義理チョコ10年分の幼馴染

縞杜コウ/嶋森航

義理チョコ10年分の幼馴染

「はい、バレンタインの義理チョコです」


 わたしは微かに震える手を気持ちで抑え込みながら、あくまでひょうひょうとした態度を貫いて目の前の男の子にチョコを手渡した。


「おお、ありがとな」


 男の子、即ち幼馴染である石峯穂高が、さして驚いた様子もなくチョコを受け取るのを見て、少しムッとする。もう少しありがたそうに受け取ったらどうなのか、と思ってしまう。わたしがいつもどれだけ手間をかけているか、君は知らないでしょう。恩着せがましく言いたいわけでもないけど、渡されるのが当たり前、なんて思われてるのもどこかしゃくに触った。


「なに?」

「はぁ、鈍感ですね」


 ジッと見つめていたのが気になったのか、穂高は首を傾げていた。これまでよりも気合を入れて作ったのに、それが穂高にはまるで伝わっていない。箱をピンク色にして、赤色のリボンを付けたのに。もちろん、中身だって頑張って作ったし。


「なんだよ。藪から棒にため息なんかついて」

「私が何年連続で義理チョコ渡してると思いますか?」

「うーん、7年とか?」


 当てずっぽうだというのはバレバレだった。たとえその答えが合ってたとしても、余裕で気づけるくらいにはあからさまである。


「全然違います。8歳の頃から毎年渡してます」

「何が言いたいんだよ」

「わたし、義理チョコ10年は本命と同じだと思うんです」


 喉がカラリと乾く感覚を覚える。これが本命だと、口に出してしまった。羞恥心に震えて穂高の顔を覗き見ると、なぜか険しく眉を寄せていた。なんでそんな顔をするの? そう尋ねたくなるのをグッと堪えて、わたしは返答を待つ。


「そんなわけないだろ」

「どうしてそう思うんですか?」

「義理チョコは義理チョコ。10年だろうが50年だろうがその事実は変わらない」

「でも気持ちは月日が経てば変わるものですよ」

「じゃあ本命チョコだと言って渡して来ればいいだろ」

「分かってないですね。気持ちが積もってるんですから、そっちの方が特別感あるでしょう?」


 これを本命チョコと言ってしまったら、免罪符を失ってしまう気がするから。その建前は、家庭環境に縛られて恋愛を封じられたわたしが、後ろめたさをひた隠すために築いた最後の砦だった。


「受け取れない」

「どうしてですか」

「お前のことは幼馴染としか見れないからだ」

  

 その瞳には拒絶の意思がこもっていて、わたしの心に絶望を宿す。受け入れてもらえると勝手に確信していた自分が馬鹿らしいと思った。喉がカラリと渇いて、その後の言葉が紡げない。目尻に涙が浮かんでいるのが自分でも分かる。そんなわたしの様子を見て居た堪れなくなったのか、穂高は足取り重く踵を返し、やがて教室から姿を消した。


 そして彼は次の日から、学校にすら来なくなった。


 その理由は心配したわたしが穂高の家を何度か尋ねて、ようやく分かった。穂高のお母様は、穂高からわたしには黙っておいてと言われていたらしい。そして市で一番大きな病院に入院していると聞いて、血の気が引いた。


「穂高」

「へ?」


 ベッドに横たわったまま、穂高は気の抜けた声を挙げる。身体をよじった次の瞬間、全身を突き抜けた痛みに顔を歪める。


「無理しないで」


 わたしは穂高の身体を支えて、落ち着くまで待った。


「母さん、言っちゃったかぁ」


 穂高はバツが悪そうに顔を背けている。


「なんで言わなかったんですか」

「言えるはずないだろ。俺はお前を意図的に傷つけたんだ」

「だからって10年以上幼馴染やってきた事実が消えるわけじゃないんです。傷つければ離れる、なんて単純なわけない」


 わたしは厳格な家庭に育った。穂高はわたしのことを『お嬢様』と呼ぶけど、実際その通りだと思う。勉強は常に学校でトップの成績を求められるし、門限は5時だし、学校行事以外の外泊は禁止だし、自由な恋愛だって禁止されてた。


 でもバレンタインの日だけは違った。『友チョコ』なんていう便利な言葉で堂々とチョコを作って、穂高に渡せる。義理チョコに本命の意味を持たせるために、『10年目の義理チョコは本命と同義』と勝手にでっち上げて、穂高に対して片想いを一方的に突きつけたのだ。


 だから、10年分が募ったこのチョコは、これまでのどれよりも気合を入れて作ったものだ。


 晴れてその片思いが受け入れられたとして、誰かにその関係を告げるわけでもない。どこから両親に漏れるか分からないというのもある。


 『付き合う』というゴールに至ったとしても、両親には内緒の恋人関係を始めていくつもりだった。誰にも告げることなくこの先を歩んで行くのも、なんだか二人で大切な秘密を共有するようで、悪くないと思った。それなのに、あそこまで冷たく突き放されたのは、これ以上ないショックだった。


「俺だってあんなこと言うつもりはなかった。未練は捨てたつもりだったのに」


 未練? わたしは要領の得ない発言に、思わず眉根を寄せる。


「……どういうことですか?」

「毎年義理チョコだって言って渡して来たのに、突然本命だなんてさ」

「ごめんなさい」

「いいんだ。でも義理チョコって裏を返せば恋愛的に興味ないってことだろ。だから今年も義理チョコだって言われて最初は安心したんだ」

「安心? どうして」

「去年の夏にはこの先長くないかもって言われてた。もし詩葉が俺の事を幼馴染と以外思ってなければ、気兼ねなく逝けるだろ?」

「でも知ってたら、もっと一緒に時間を過ごせたと思います」

「知ってたら、普段通りにはいられなかったでしょ。一緒に過ごして、お前の青春を奪う可能性に耐えられると思えなかった。それに詩葉はお嬢様だからさ。俺みたいなただ長い期間一緒に過ごしただけの有象無象と付き合うなんて、ご両親が許さないと思ったし」


 穂高が自分のことを『ただ長い時間一緒に過ごしただけの有象無象』と言ったことに、わたしは思わず怒鳴りつけたくなった。


 穂高とわたしは、ただ家が近所とか、小学校で隣の席だとか、そういう単純な幼馴染関係ではない。


 穂高は屋敷に囚われたわたしを外に連れ出してくれた、こう表現してしまったらなんだか照れ臭いけど、白馬の王子様みたいな存在だったのだ。


 穂高との出会いは、わたしが6才の時だった。日付、曜日まではっきりと覚えている。生まれてこの方公式的な家の行事を除いてほとんど家から出たことの無かったわたしを、偶然屋敷に迷い込んだ穂高が無理やり連れ出した。ちょうどお付きの執事が休暇を取っていてわたしを逐一監視する存在がいなかったからバレなかったけど、バレたら両親から雷を喰らっていたと思う。穂高は元々町中を冒険するのが趣味だったらしく、なぜか屋敷の抜け道を知っていた。


 最初は嫌だった。同年代の男の得体の知れなさもあったけど、両親からの言いつけを破ったことが何よりも怖かった。


 穂高は町で一番広い公園でグローブを渡してきた。言われるがままにグローブをはめただけで、野球すらも知らなかったわたしにいきなりボールを投げつけてきたのは、今思っても鬼畜だと思う。


 でも楽しかった。初めて運動らしい運動をした気がする。そのあと穂高はわたしをゲームセンターに連れて行き、ぬいぐるみを取ってプレゼントしてくれた。たったそれだけ。でも、幼いわたしにとっては人生をガラリと変えるほどの新鮮な出来事だった。さしもの両親も、わたしの部屋にぬいぐるみが増えたことには気づかなかったらしい。気づいたとしても、お付きの執事に買ってきてもらったとでも思ったのだろう。それはなんの変哲もない、ウサギのぬいぐるみだったから。有名なキャラクターとかだったら、さすがに疑われたかもしれない。


 それから、わたしと穂高は両親と執事の目を盗んでは、外で色々な遊びを教えてもらった。その全てが楽しくて、いつの間にかわたしは穂高を好きになっていた。


「……嫌われたかったんだけどなぁ」


 そんな想いとは裏腹に、穂高は次々とわたしの意に反することを口にしていく。 


「……なに、それ」

「成功する確率は30%だって言われてさ。俺は弱いからさ。絶対失敗すると思ってた。失敗する可能性が高いのに、好きだなんて軽々しく言えるわけない」

「好き? え……、もしかして私のことですか?」

「そうだよ。他に誰がいるんだ」

  

 突然の『好き』という言葉に、わたしは反射的に硬直した。本心をなかなか離さない穂高が、わたしに真っ直ぐな感情を伝えてきたから。


「あ、そうだ」


 穂高はおもむろにベッドの横にある引き出しから紙袋を取り出して、わたしに手渡してきた。


「なんですか、これ?」

「開けてみて」

 

 紙袋の中を覗くと、そこには四角い箱があった。ラッピングに包まれていて、黄色いリボンが仰々しくも貼ってある。ラッピングを丁寧に解体し、意を決して箱を開いた。


「これって、指輪?」

「学生だから大層なものは買えなかったけどさ。子供の頃から貯めてたお金で買ったんだ」

「嬉しいけど、突然どうして?」

「告白の返事のつもりだったんだけどな。10年分のホワイトデー。義理10年に見合うかな」

「え、でも穂高、さっきまで先が長くないとか言ってた」

「そのつもりだったんだけどさ。先生が頑張ってくれて、手術、成功したんだ」


 わたしはその言葉に目を見開く。言葉の意味を上手く咀嚼できない自分に驚いた。それほどまでに、衝撃的な発言だったから。


 わたしはてっきり穂高はもう先が長くないと確信してしまっていた。ベッドで痛々しくも横たわる穂高はわたしの知っている快活な姿とは程遠くて、そう思い込んでしまうのも仕方ないと思う。


 それでもわたしはその言葉を信じきれなくて、自分の頬をつねる。しかし視界が暗転することもなく、それが現実であることを突きつけてきた。次の瞬間、目から無数の涙が滴り落ちてくる。


「えっ……。夢じゃない?」

「夢じゃない」

「ありがとう。そんなに俺のこと想ってくれてるとは思わなかった」


 穂高は照れ臭そうに頬を掻いている。そんな様子を見て、わたしは頬を膨らませながら肩に軽く拳を打ち込んだ。


「もう、本当に死んじゃうかと思ったじゃん!心配したんだから!」


 染み付いた丁寧な敬語口調もいつの間にか崩れてしまい、わたしは涙を撒き散らしながら何度も穂高を叩いた。


「酷いこと言ってごめん。でももう、大丈夫だから。多分、あのチョコが効いたんだね」

「本当に、調子いいんだから」


 私の口許はきっと弧を描いているだろう。心の中は、今日の空のように晴れ渡っている。そしてわたしは思った。この指輪を大事に保管して、もしこの先10年間周りの人にバレることなくわたし達の関係を隠し通せたら、次は結婚を申し出て今度こそ告白を成功させよう、と。


 しかしこの時のわたしは夢にも思わなかった。わたしより1年遅れて大学を卒業した穂高が、そんな決意を嘲笑うかのように、抜け駆けてプロポーズしてくることを。

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