鏡の中

柚木浅名

第1話

いつからだろう、この夢を見るようになったのは。

ある日を境に私はこの夢だけを見るようになった。


何も無い大きな部屋が出てくる夢。

そこには鏡がある。私の全身を移してしまうほどの、大きな鏡。

この鏡には私が映っていた。


ついこないだまで。


ある日を境に、“それ”は現れた。


“それ”は確実に私ではなかった。

まず、人じゃない。地に足が着いていない。

幽霊でもない。人の形をしていない。

ただそこには黒い物体があった。球体とは言えない歪な形をした“それ”はまるで脈を打つかのように蠢いてた。


鏡の前には私がいる。

でも鏡の中には“それ”がある。


私は目の前にある“それ”が何なのか分からないまま、1週間あまり同じ夢を見ていた。


しかし、次第に“それ”は成長していった。

十日ばかりたった頃だろうか。“それ”が成長をはじめたのは。

大きな物体に、では無い。

人に、だ。

いや、正確には違うのだろう。

人のような、人になりきれてないような。

大まかな人としての形はある。ただ、目や鼻、手の指など細部は曖昧だった。


“それ”は日々形を変えていった。「人」という括りは崩さずに。

成人男性、学生、主婦、おじいちゃん、あるいは赤ちゃん。“それ”は日々、目まぐるしいほどの変化を遂げていった。


そして、“それ”が現れてちょうど三十日たったとき、私に大きな変化が訪れた。

体が消えていたのだ。しかも部分的に。

手で探っても見当たらない。所々で手が涼しくなるばかりだ。


私は探した。私を。私が今いる部屋の中を。

しかし、何も見つからない。

第一この部屋には家具がない。装飾品も一切ない。鏡以外、何も無い。

それでも私は探した。必死に探した。

けれども、何も変わることは無かった。ただ体は消えていき、時が過ぎていった。


相変わらず“それ”は人の形を保ちながら形を変えるばかりだった。




足が消え、手が消え、腰も消えた。

今私は完全に宙に浮いている状態だ。もうすぐ上半身も消えるだろう。


この夢から早く覚めないものだろうか。


そんなことをぼんやり思いながら、ただ大半が欠けた体を見ては“それ”を見る、ということを繰り返している。




突然、どこか遠くで「ピー」というような電子音が聞こえた。




これはなにかの合図だろうか。そう思った瞬間、私の体は今までの何倍も早く消えていった。

そして、“それ”はより鮮明に人の形に近づいていく。


電子音と共に、微かに声が聞こえる。


「…時……分。……様は」


声とともに、私の思考が動き出す。まるで、止まっていた時計が、今までの時間を取り戻すように。


そうか。



私がこの夢を見るようになったのは。



この夢だけ見るようになったのは。



この夢に




あの日。あの時。



私は











猫を助けようとしたんだ。




そして……



その日を境に私は夢を見はじめた。

いや、夢を見ていたのではないのかもしれない。




もうすぐ、“それ”は完成しそうだ。


「人」として。


私は、もう顔の半分しか残っていない。



そう、夢でないのなら



ここは、私の頭の中?





「………様は、ご…終です」





消える。


そして、“それ”は、出来上がる。




私と“それ”は鏡を隔てていた。

正反対だった。



私は消える。

“それ”は現れる。



私は死ぬ。この世から。

“それ”は生まれる。この世に。

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鏡の中 柚木浅名 @yu__asa

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