ただ再会を希う。

時をかけたい少女

第1話

周囲を森に囲まれた小高い丘。


麓から徒歩20分で辿り着くこの『一本桜の丘』は僕にとって思い出の象徴だ。




あの時と何も変わっていないこの場所にホッと胸を撫で下ろし、太く育った幹に触れて語りかける。




「……ごめんね」




返事など返ってくるわけは無いのだが、一応形式的にでも謝っておくべきだろう。








「……まだ残ってたか」




満開に咲き誇る桜の根元。


そこに二人分の名前と相合傘が彫られている。




『彫られている』なんて言い方をしたが、これを彫ったのは僕だ。


荒く削られた跡を指でなぞり、我ながら恥ずかしいことをしたものだと今更になって呆れてしまう。






「……やっと来てくれたんだね」




しゃがみ込んで感傷に浸っていると、ふいに頭上から声がした。


見上げれば太い枝に5、6歳くらいの少女が腰掛けている。




「えいっ!」




人が居た衝撃に呆然としていると、少女は枝から飛び降り僕の前に立った。




「おじさん誰とお話ししてたの?」


少女は両手を後ろに組み、覗き込むように僕を見上げる。


その顔が妙に懐かしくて思わず見惚れてしまった。




「……おじさんとは手厳しいね。これでもまだ29歳なんだけどな」


突然のことに数秒固まってしまったがなんとか言葉を返す。


見惚れていた僕が言うのもなんだが、初対面の人間に対して随分無遠慮な子だ。




……まぁ、29歳といえばアラサーの中でも立派な方だし、小さい子からみれば充分おじさんか。




「ちょっと思い出に浸ってたんだ。……この丘は僕にとって大切な場所でね。滅多に人が来るところでもないから思わず一人で喋っていたんだよ。君は……1人かい? お母さんは?」


幼い顔立ちの割に身長は高めだが、まだ一人でふらふら外出できる年齢でもないだろう。




「お母さんも近くにいるよ! 私もこの場所好きなんだぁ」


少女はそう言ってふふっと小さく笑い、地上に張り出している木の根に腰掛けて眼下の街を見下ろした。




丘に春風が吹き、少女の着ている薄い桜色のワンピースが風になびく。


その裾から伸びた脚はすらりと長く、モデルのように透き通った肌をしていた。




「……良い風だね。この近くの子かな?」


少女の隣に立ち、同じように街を見下ろしながら問いかける。




「そうだよ! もうずーっとここにいるんだぁ。おじさんは?」


少女は街から目線を外し、二重のくりくりとした目で僕を見上げた。




「じゃぁ僕とは同郷だね。僕も昔はこの街に住んでてね。今は仙台の方に引っ越してしまったんだ。……悪いけどおじさん呼びはあんまり慣れていないから優希ゆうきさんて呼んでもらっていいかな」




「わかった! 引っ越してからも見に来るなんて、ユウは本当にこの場所が大切なんだね」




「距離の詰め方がえぐいね。……まぁおじさんよりはいいか」




『ユウ』という愛称はこれまで親しい女性にしか許したことはない。


久しぶりに呼ばれた愛称に驚いたが、なぜかこの子にならそう呼ばれてもかまわないという思いが沸く。




「ここには沢山の思い出があるからね。わけ合って今回は6年ぶりになるけど、それまでは毎年ここに来てたんだよ」




「そうなんだ! じゃぁ久しぶりにユウに会えて桜も喜んでるね!」


少女がニッコリと微笑むと、その口元から不釣り合いな八重歯が覗いた。




「それで? ユウはさっき1人で何を喋ってたの?」


少女は続け様に質問し、無垢な顔で小首をかしげる。




……こういう時大人なら『人の思い出に触れるのは不粋』としてそっとしておいてくれるのだが、この年齢の子にそれを求めるのは酷だろう。




「ぐいぐいくるね……。ちょっと初恋の恥ずかしい思い出に触れてたんだ。もう15年も前のことだけどね」


何気なく質問に答えたつもりだったが、少女の顔が突然かげりそのままうつむいてしまう。




気に触ることを言っただろうかと心配して声をかけようとすると、急に顔をあげた少女が悪戯っぽく微笑んだ。




「15年前かぁ。ユウは今でもちっちゃいけど、その頃はもっとちっちゃかったんだろうね!」




「……心配して損したよ。っというか初対面なのにめちゃめちゃ人の心えぐってくるね君」


けたけたと笑う少女に対し呆れた声を出すしかない。




正直身長に関しては学生の頃から伸び悩んでいたため、今でも強めのコンプレックスを感じている。


仲の良い友だちもそこだけは触れないでおこうと考えてくれるくらい僕の繊細な部分だ。


それこそ初対面でいじられるようなことがあれば割と険悪なムードになる。




しかし、相手が幼い子だということもあってか今回は不思議と大して怒る気にはならない。


むしろどこか心地よささえ感じてしまった。




……そういえばあの頃もこんなふうによくからかわれていたっけ。


懐かしい感覚とともに様々な思い出がフラッシュバックし、心臓がぎゅっと縮むような心地がした。




……どうして過去の過ちというものは、こんなにも心の襟元を掴んで離さないのだろう。






「ねぇねぇ、ユウの初恋気になる! 詳しく教えて!」


少女は肩まで伸びた黒い髪を揺らし、その場でキャッキャと脚をばたつかせる。




正直良い思い出ではないのだが、その無邪気な様子にほだされ氷が溶けるように当時のことを話し出してしまった。






「あんまり面白い話じゃないよ? ……僕は中学生の頃、バスケ部の椎名しいなっていう子のことが好きだったんだ。入学式で見た時からだから、いわゆる一目惚れってやつだね。女の子にしては身長が高くて、くりくりとした二重、すらっと伸びた脚に透き通るような白い肌。……あの日は同じ中学にこんな可愛い子がいるのかって心が躍ったよ」


少女の隣に腰掛け、当時のことを思い出しながら語る。


見上げると、花びらの間から穏やかな陽が眩しく降り注いでいた。




「椎名とは奇跡的に同じクラスになれてね。……仲良くなるのに時間はかからなかった。でも、いざ話してみたら彼女とんでもないじゃじゃ馬でね。しょっちゅうからかわれたものさ。……当時は文句も言ったけれど、今思えばそんなやりとりも楽しかったな」


青臭い恥ずかしさが込み上げ、鼻の頭を人差し指でかく。




「それでそれで!?」


少女は何がそんなに面白いのか、にやにやとした表情のまま顔にかかった細い髪を片手で耳にかける。




……少女のそんな一つ一つの仕草が僕のノスタルジーを掻き立て、なんとも言えない感情にさせた。






「……運が良いことに椎名とは中学3年間ずっと同じクラスになれてね。友達としては随分仲良くなれたんだけど、それ以上の関係にはならなかったんだ。……僕がそれ以上の関係に踏み込むことを恐れたからだけどさ。……それでも中学を卒業して高校に進む時、別の進路になるってことがわかったから慌てて告白することにしたんだ。……この桜の木の下に呼び出してね」




告白、なんて青春くさい言葉に思わず苦笑してしまう。




おじさんの照れ笑いなんてよっぽど正視に耐えないと思うのだが、少女は相変わらず悪戯っぽい笑顔でこちらを見つめていた。




「その頃もユウは意気地無しだったんだね!」




「意気地無しは酷いな……。でも、時間切れまで勇気を持てなかった僕にはお似合いか……。それに、結局僕は椎名に告白できなかったしね」




少女から目線を外し、木の根元に彫られた相合傘を見つめる。


目を細めればあの日の浮かれた自分が透けてみえるようだ。




もし叶うのなら、あの日に戻ってその顔面を思い切り殴り飛ばしてやりたい……。










お前のせいで……椎名は帰らぬ人になってしまったんだぞ、と。








「……卒業式のあと、この丘にくる途中で椎名は交通事故にあってしまったんだ。大きいトラックだったから……死体の傷もひどくて、お葬式でも顔を見ることはできなかった」






サーーーッ


という音とともに緩い風が頬を撫で、咲き誇っていた花びらを散らしていく。




本当はここまで話す気なんてなかったのに、一度語り始めてしまうと堰を切ったように言葉が止まらない。




「僕がこの丘に呼び出さなければ……もっと早く告白する勇気を持っていれば……。あの日から今日まで……自分を責めない日はなかった」




鼻の奥がつんと熱くなり、その熱が徐々に目頭へと向かう。


うつむき、硬く組んだ両手を見つめると徐々に視界がぼやけいく。




「本当に好きだったんだね」


傍らから聞こえる大人びたトーンの声に、あの頃の日々がフラッシュバックする。




「……大好きだった。後にも先にも、僕が本当に愛したのは椎名だけだ。大人になってからもその面影を探し続けて、よく似た人と結婚までしたのに結局お別れしてしまったよ」


未だ薬指にはめたままの指輪をなぞり、少女を見つめる。




……出会ったばかりの、それもろくに年端もいかない少女に対して何を言っているのかと自分でも思う。




しかし、少女の立ち居振る舞いが……幼さの中に垣間見える物憂げな表情が……彼女を彷彿とさせて仕方ない。




出会った瞬間に衝撃を受けたのも本当はその姿があまりにも椎名に似ていたからだ。




こんなことはありえない。


夢だと言われた方がまだ信じられる。




映画やドラマじゃないんだから、生まれ変わりなんてものが実在するわけない。


これは僕の罪悪感が見せている白昼夢だ。




頭ではわかっていても、押し寄せる感情の波が理屈を否定しようとしてやまない。






『君は椎名なのか?』


そう僕が口にした時、全ての魔法がとけるのではないか。


そんな馬鹿げた恐怖に苛まれ、顔をあげることも声を出すこともできない。




押し殺した嗚咽の中、自然と人差し指が鼻の頭へと伸びる。






「そうやって困った時に鼻の頭を掻くクセ……変わらないんだね」


少女のどこか小馬鹿にしたような声。


その懐かしい声色に、押し留めていた涙がこぼれ乾いた土に染み込んでいった。




「ぅぐっ……椎名っ……?」




漏れだした嗚咽とともにその名前を呼ぶ。


見つめると、少女はただ黙って微笑んでいた。




……これは奇跡だろうか。


神様とやらがあの時伝えられなかった思いを、後悔した過去を清算するチャンスをくれたとでも言うのだろうか。




「あぁ……本当に…椎名なのか……?」


黙って微笑む少女の顔は穏やかで、まるで母に抱きしめられているかのような安心感が広がる。




滲んだ景色の中で少女と椎名の顔が重なり、もはや溢れる思いを止めることができない。




「椎名! 椎名ぁ……! 会いたかった……ずっと会いたかった……! 会って君に一言伝えたくて! 俺……俺…本当に椎名に謝りたくてっ……!」




勢いのまま椎名の前にひざをつき、その手をとって15年分の思いをぶつける。




嗚咽が言葉を遮っても、与えられた奇跡の瞬間に感謝して必死で言葉を繋いだ。




「もう……いいんだよ」


椎名は小さな手を俺の頭に置きゆっくりと撫でる。


その感触がとても心地よくて、いつまでもこの時間が続くようにと願った。




「椎名、あの日君に伝えられなかった思いをここで言わせてくれ。……俺は君のことが好きだ。出会ってからずっと、君のことだけを想って生きてきた。あの頃君も…椎名も同じ気持ちでいてくれたのかな?」




問いかける言葉に対し、椎名はただ黙って微笑む。




その沈黙だけで、答えを聞くどころか届けることすらできないと諦めた心が報われていく。






「……随分長く待たせちゃったな。……もう君はあの時の君ではないかもしれない。でも今度こそ愛すると誓うよ。もう、あの頃の意気地のない俺じゃない。それを証明させてくれ」


少女の手を取り、膝をついたままその顔を覗き込む。




「……嬉しい。ずっと一緒にいてくれる?」


少女のほころんだ顔からまた八重歯が覗いてしまう。




「もちろんだ。ずっと一緒に暮らそう」


ようやく落ち着いてきた心が涙腺を穏やかにしていく。


まったく、せっかくの再会なのにこんな泣き顔を見せているようじゃまだまだだな……。




手の甲で乱暴に涙を拭い、今更ながら冷静なふりをして椎名に語りかける。




「ぐすっ……でも、今の椎名の親御さん達がこのことを聞いたらビックリするだろうな」


奇跡に浮かされていたが、少し冷静になるとこの状況は非常にまずい。


29歳のおじさんが少女に対して愛を誓うなんて事案でしか無い。




ご両親にあって説明するとしても、いきなり『お嬢さんは椎名の生まれ変わりなんです!』なんて言おうものなら警察に突き出されるだろう。




どうしたものかと思案していると。




「大丈夫だよ。きっとお母さんは喜んでくれると思う」


そう言って椎名は微笑み、木の根元へと歩いていく。




「へぇ、俺が言うのもなんだけど変わったお母さんだな。……でも、きっと椎名に似て背が高くて綺麗な黒髪のお母さんなんだろうな」


今生でも椎名がこの姿に生まれ変われたのはそのお母さんのおかげに違いない。


そう思うとその母親にすら愛情に似た感情が芽生える。




「うふふ、そうだよ。お母さんは本当に優しくて、私大好きなんだ」


母親を褒められ、更に嬉しそうな表情になる椎名。






「ははっ、そんなお母さんと結婚したお父さんは幸せ者だな。お父さんはどんな人?」




くるくるとその場でワンピースを翻していた椎名が立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
























          お前だよ




















「例の話聞いた? 丘の上の一本桜で死体が見つかったって話」






「聞いた聞いた! なんか上半身だけ土の中に埋まってたんでしょ!? 気味が悪いよねー」






「その話なんだけどさ、警察が死体を掘り起こしたらもっととんでもないものが見つかったみたいだよ」




「どういうこと?」




「あの桜の木の下からね。更に2人分の白骨死体が見つかったんだって! 1人は成人女性で、もう1人は赤ちゃんだったみたい」


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