第33話



 蜂人が一匹、夜空を飛んでいく。緩く巻かれた長い髪は黄金に黒のメッシュが走り、黒地のドレスのスカートに黄色の縞模様が差し色として映える。普段はキャストとして店に出ることもある。そういう役割を与えられた見目良い働き蜂の女。天高く、その頂を目指すように翅を広げ。

 ────そうして程なく撃ち落とされた。矮小な羽虫が人の手で叩き落とされるように、呆気なく。


「当たり」


 夜の大通り。大量の車両が片側四車線の道路を無造作に占有している。即席の防御陣地バリケードである。

 革のジャケット姿が黒のSUVのボンネットから腹這いで黒いL字の器物を構えている。黒みの強い赤毛の側頭部に剃り込みを入れた鷹人ホークの女は、感慨もなく言った。

 命中を確認するや、傍らの灰褐色のざんばら髪の女が口笛を吹く。首筋や手足をブチ模様の体毛で覆い、鬣犬ハイエナ特有の太く強靭な犬歯を剥いて笑う。


「よく当てるなぁ。あの蟲共やたらにすばしっこいってのに。あんたらの種族ってなに、皆スナイパーなん?」

「遮蔽物もない。目眩ましも張らない。そんなところを迂闊に飛び上がったあれが間抜けなんだよ。まあ、私の同族であれを仕留められないなら生きてる価値はないね」

「うっへー。猛禽人種こっわ」


 魔界の銃は実体の弾を使用しない。弾倉および薬室に込めるのは実体無き純粋なオード。魔力や氣力といったスタンダードな原初のアモを注ぐことで、給弾はおろか装填さえ要さず一挙の動作なくエネルギーの弾丸を発射できる。利便性という点ではなるほど評価に値する。

 現に今も、道路の彼方此方でオードの光や音が無数に撃発を繰り返している。


「何匹やった?」

「ウチは三匹」

「私は四匹」

「うきゃー! こっち負けてんじゃん」


 また、銃火器を模したこれらの武器には様々な魔術的効果付与エンチャントが可能だ。従来の銃器がライフリングやレティクルを改良し、スコープやサプレッサーを後付けできるように、ブースターによって威力を嵩上げし、あるいは火炎、氷結、電磁気、毒といった固有属性を加え、敵に二次的なダメージを与えることもある。程度によっては何かしらの条約に違反しそうなものだが。

 いずれにせよ、より簡易簡便に、最小の労力で最大の殺傷能力を求めれば、こういった武器が出来上がる。こういう形状かたちになる。


「武器なんてものは所詮、非力を補う為に使う。使うからには上手く使う。でなきゃみっともないだろ」

「ふーん、そういうもんなん、っと」


 不快な羽音が響く。それも直近、鷹人の女の視界の外だった。

 そこへ跳弾のような鋭さでブチ模様の影が跳ぶ。接近してきた蜂人、その翅の根元を掴み腹を足蹴に、首元に喰らい付く。ブチハイエナの咬合力を以てすれば蟲の外骨格などスナック菓子に等しい。苦も無く噛み砕き、その体液を滴らせた。

 降下してきた勢いそのまま、蜂人をアスファルトの路面に叩き付ける。


「ぺっ、まっず。でもこれで四匹! 同点同点」


 鬣犬の女は半透明の体液を吐き捨て、ついでとばかり足蹴にしたそれの背中から翅を毟り取った。

 痙攣するそれは文字通り虫の息だが、死んではいないようだ。


「あんたみたいな奴に武器なんざ無縁だろうな」

「獣人だかんねー。大概ぶきっちょだしバカだから。それにこの方が楽じゃん。へへへ」


 魔術だの異能だのが持て囃されているようで、魔界も現世も行き着く結果には大差がない。兵器は兵士の戦力を平均化し、悪く言えば陳腐にする。その方が都合がいいから。その方が使い勝手がいいから。

 欲しいのは約束された破壊力。野性の色濃い獣人や蟲人が、装備よりも自身の肉体を恃むのはそれが最も信頼に足る武器だからだ。

 しかし。


「そんなん言ったらうちのかしらが一番ヤバいっしょ」

「あのひとは別格だ。比べられるもんじゃない」

「キャハハ! ま、そうだけどさ」


 武器の有無云々だの、野性だの。そんな次元を超えた存在はいる。超越者が。


「膠着し出した。向こうの混乱が冷めてきてる」

「一匹一匹はザコいけど数めっちゃ多いんだもん。だから蟲は嫌いなんよ」

「……数だけじゃないかもしれない」

「え?」


 肉体と言う名の武器。唯一無二のそれを、もしさらに強化できるなら。望むままに。おおきくつよくできるのなら。

 ヤツラは躊躇わない。

 群体の守護を第一とする蜂人ホーネット種は、その遂行に当たり手段を選ばない。そのさえあるのなら。


「デカ物が来るぞ!」

「うっげぇ」


 バリケードたる車両が弾け飛ぶ。床に転がるミニカーを蹴飛ばしたような様。

 ひしゃげ、部品を巻き散らして跳ね飛ぶワンボックスカーを頭上に仰ぎ、次いで鷹の目はそれらを捉えた。その無体を働いた張本人達を。

 ビルにも匹敵する巨体。計八車線の幹線道路さえ狭しと、膨れ上がる。凶悪な姿容をしていた。蜂の体に三対の人の手足、蜂の複眼と大顎に人の頸と背骨。悍ましく人魔を折衷した異形。黒と黄の警戒色に彩られた外骨格には無数の棘を群生する。蓮の蕾めいて肥大した臀部で長く鋭い針が出入りし、そこから毒液を滴らせている。

 巨大な異形の蜂人。その成れの果て。怪物。

 這いずり、あるいは屹立するそれらが全部で九つ。夜空を覆った。

 路面を這う一匹が腕を薙ぐ。いや、もしかしたら、それはただ単にをしただけなのかもしれない。

 たったそれだけで道路は紙のように捲れ、街灯は草のように刈り取られた。散兵として各所で戦闘していた龍神会の面子、そして、なんとなれば周囲を飛び回っていた蜂人さえ巻き添えにして。

 消し飛ぶ。蹴散らされていく。

 純粋なる、強烈なる、それは質量だった。


「ちっ、化物が」

「やべぇやべぇやべぇ! ど、どうすんのよこれ」

「とっくに来てる。撤退命令だ! インカム付けろって言っただろバカ!」

「ご、ごみーん。獣人用のやつ動く時邪魔でさ」


 蟲が巨大化を始めた瞬間には、広域無線で下知が伝播していた。当初の作戦通り。

 足の速い者はさっさとビルの小路へ逃げ込んでいく。よしんばあの巨体や大群の蟲を相手取るにしても閉所の方がいい。

 とはいえこの場で継戦だけはありえない。

 徒走する他の鳥人種や翼膜人種の姿も各所に見られた。翼があるからと飛んで逃げるような真似をすれば、先の間抜けの二の舞を踏むからだ。


「糞っ、走るぞ」

「アイアイ!」


 地響きを立てて巨蟲が迫って来る。

 鬣犬は流石、獣とあって走力は並以上。人の形を取っていようが、その脚力は自動車の法定速度に匹敵する。

 一方、翼を封じられた鷹人の女は、当然ながら出遅れた。太く強靭なあしゆび。握力ならばともかく、走力は人並をやや超える程度に留まる。


「急げ!」

「わかってる! 先に」


 行け。

 そう続けようとした声が、喉奥で凝り固まる。

 我が身に覆い被さる影。街灯とネオン光によって生まれた色濃い闇が、鷹人の女の背後に。

 蜂の凶悪な貌。そうして天牛カミキリムシも斯くやの大顎が。

 オード銃を向け、撃ちまくる。数十発の弾丸は正確に複眼へ命中しあるいはその口内へと注ぎ込まれたが、僅かな怯みも、痛痒を感じた様子すらない。


「糞がぁ!」


 悪態が巨像に押し潰される。鷹の目を見開き、最後の抵抗とばかり悍ましい怪物を睨み付けた。最期まで────爆音。


「!?」


 いつしか影は晴れていた。

 巨大な蜂の顔も既にない。

 何が起きた。理解は、実に緩慢に脳へ浸透する。

 その“銀”が巨大蜂を吹き飛ばした。

 腕を掴まれる。傍らで鬣犬の女が叫ぶ。


「おい! 起きろ! 逃げんぞほら!」

「あ、ああ」

「キャハハハッ、ってかマジやべぇ! 今ぶん殴って吹っ飛ばしたぞ、

「あ?」


 興奮した様子でハイエナは下品に笑った。それはひどく濁った、さながら獣の吠声はいせい。今にも涎を垂らしそうな笑み。その目が見詰める先に。

 男が立っていた。黒い背広、黒いパンツ──銀の右腕、銀の右脚。

 その歪な鎧姿は幹線道路の中央に陣取り、そうしてその正面には頭の骨格を潰された蜂が横たわっていた。


「あぁそうか……あれが」

「本物だ。ネットでも挿絵しか見たことないわ。へへ……んーとと」

「写真撮っても無駄だぞ」


 早速スマホカメラを構えた鬣犬に釘を刺す。


「うえっ、なんか画面やべぇ! ぐちゃつくんですけど!」

「画像にも映像にもあれは映らない。どうやら本当らしい」

「えー! いいねめっちゃ稼げると思ったのにぃ」

「極道がそんなもん稼いでどうする……」


 見物人を気取って巻き添えなど御免だ。馬鹿話もそこそこに二人、その場を連れ立って離れる。

 最後に背後を一瞥する。鷹の目は、男がさらに一匹の蜂を下から殴り上げている様を見た。巨体が宙を舞っていく。建造物ほどもあろう大きさの蟲が。

 事も無げに、それを為し得る一人の、一個の人間を。次元違いの超越者を。

 行き掛けの駄賃に命を救われたことを加味しても、この感想は変わらなかった。


「……あんたも大概」


 ────化物だよ












 大通りに面した商業ビルの屋上に、ひとり。

 碧い姿がある。

 豊かに長く流れる碧い髪。青みすら帯びた白い肌。

 豊満な肉体、矮小な人型に閉じ込めたそれをダークスーツで包み、和物の白い大袖羽織りを肩に掛けている。

 碧い瞳が眼下の幹線道路を睥睨した。虹彩が細まり、その女が人ならぬ異種であると主張する。

 口端が引き上がり、美しい唇の下から乱喰の牙が覗いた。


「ようやくのお出ましか、國防くにもりはがね……ギンジ」


 袖口から覗く嫋やかな手。襟首の艶やかな項。

 白く、美しい稜線に────次々と。生える。生え揃い。覆う。帯びていく。

 鱗。びっしりと均一に並びゆくそれは、碧い龍鱗。宝石アクアマリンの如き美しき龍の生体装甲。

 人がましい、形の良い耳が変じ、三又に骨が伸びそこへ鰭が張る。


「仕事をし易くしてやったんだ。ふふ、少しくらい感謝しなさいね」


 艶然とまた、笑み。

 楽しげなその笑みが、消える。

 龍神の女、リヴァイアスは己の背後を見やった。

 黒く蠢くその暗闇を。


「『女王蜂が逃げたぞ』」

「魔界からわざわざそんなことを慌ててせっつきに来たのか。魔王を冠する大悪魔が、存外に胆が小さいな。あれに逃げ場などない。尾行はつけたが、我々が手を下すまでもなく……」


 眼下の男がその存在を許すまい。

 わかりきった事実を口にする気はなかった。背後の悍ましい存在にしてから、そんなことは十二分に承知であろう。誰あろう、その身を以て。


「『天使が動く』」

「……」

「『強欲な女王蜂は単眼神キュクロプスの末裔の娘を諦めまい。蜂の子を生み、練り上げさせた怪力の薬で強力な軍団を築き、再びこの地に巣を作るだろう。お前達は一掃される』」

「よく動く舌だ。そちらに赴き、私が直に引き抜いてやろうか」

「『だがお前達の末路は変わらぬ』」

「ああ、まったくだ。その雑用は大事を済ませてからとしよう」


 電子機器を用いず、空間を隔てた相手と通信する技術は実際のところ、この御時世幾らでも存在する。

 その中でもとりわけ手早く面倒のないのがこの念話だ。生体波長チャンネルさえ合わせられるなら街中であろうが山奥であろうが距離や遮蔽物の有無関わりなく思念や声を伝達できる。

 直属の部下へ指示を飛ばす。詳細な手法を練り、それが末端の実動員へと配されるまでに五分と掛からない。

 立案された作戦が動き出した頃には既に、背後の気配は消え失せていた。

 今もなお大通りで繰り広げられる闘争が、どうしてかひどく……懐かしい。


「元気そうね。あの頃とちっとも変わらない」


 怪物と相対し、その拳で脚でそれを屠る男の様は、遠い思い出の中のそれと何一つ変わらない。

 胸躍る、ただ直向きな力の発露。


「いえ……貴方はもう変われないのよね」


 戦場で逢瀬を繰り返したあの日々から、何一つ。

 死を奪われた男は、この先の幾年、幾百年、あるいは幾千幾万、きっと。

 戦い続けるのだろう。人の定命を超え、超え果ててなお。それでも生きて、生きて、戦い戦い戦い戦い戦い戦い、また戦う。

 憐れな人。

 それが、その事実が少し────


「ふ、ふふ……」


 海神は柔らかに喜悦した。

 憐れな男に、男の有り様に、穏やかな微笑みを浮かべた。










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怪滅神甲ダイダラ 足洗 @ninpinin

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