第32話
夜気を払い除け、アスファルトの地面に降り立つ。マギケイヴへの通学時にも歩く駅前通り。馴れ親しんだ家路の半ばは先の繁華街の真ん中とは異なり、まだしも深夜なりの静けさがある。
路地の両脇をそわそわと行ったり来たりする娘子がこちらに気付いた。
傍らには、先刻捕え縛っておいた蜂人の女が未だに気を失っている。
赤崎が警察手帳を手に走り寄ってくる。
「一ノ目、メイさんですね? 私は外特刑事の赤崎といいます」
「は、はい」
刑事の二字に、一ノ目が怯むのがわかった。
その隣に並び立って如何にも大仰な所作で肩を竦めてみせる。
「おいおいこんな若い娘さんをそう脅し付けるもんじゃねぇぜ」
「脅してねぇわ」
「いやいやその顔がな」
「恐いってか!? えっ、こ、恐い? 私の顔って……」
「ちょっとギンジ、意地悪言っちゃダメでしょ。こういう子は男の人の言うことすぐ真に受けちゃうよ」
「この通りの
「おぼこ言うな!」
がうがう吠え立てる赤崎を宥めあやす。一ノ目は大きな単眼を丸めた。戸惑いでも気が紛れるなら儲けものだ。
「ではな。あとは頼むぜ、赤崎の嬢ちゃん」
「嬢ちゃん言うな! いや待て。お前はどうするんだ」
「無論、仕事をしに行くんだよ」
「……戦うのか」
皆まで言うまい。
片足の装甲で、歩みはひどく不揃いな金属音を立てた。
そんな我が背に慌てて声を上げたのは一ノ目であった。
「待って! 無茶だよ! た、戦うってあいつらと!? 蜂人の魔物と!?」
「善からぬモノを如何わしきことに使い、彼奴はやってはならぬことした」
怪しき力、災禍の石で、國民を惑わせ陥れた。
「手前らが手を付けたそれが一体なんなのかも知らずに。残念ながら、警察の出る幕はとうに過ぎちまったのさ」
「……」
赤崎の無言は実に雄弁だった。義憤という、真っ直ぐな自己嫌悪。
しかし一ノ目は食い下がる。なんとなれば追い縋り、己の服を引き掴む念の入れ様。
それほどの必死。死に物狂いの制止。
「無理っ、無理なの! あいつらにはあの薬が、私がっ、私が作った薬がある! あれを使われたら誰にもどうにもできない! 全部、全部全部壊される!! あんたも殺されちゃうよ!」
「そうはならぬ。そうはさせぬ」
「なんでっ……!」
何の根拠があって、あるいは何故。そんなことが言える。言い切れるのかと、娘は悲鳴のように問うた。
自身の作り出したものがどれほどに恐ろしいものか、悍ましいものなのかを熟知しているのだ。それが使われ、その果てに見も知らぬ誰かが害され、傷付くことに
この細い両肩に、鉛のような責めを負うているのだ。
罪などない。この娘に、その姉御とて、そのような覚悟は要らぬ。強いられるものではなかった。
負うべからざる者がその罪の呵責に泣いている。
「案ずるな。それがこの拳の使い途だ」
「…………」
娘は絶句した。目の前の男の言があまりに愚昧であったからかもしれない。
調剤された薬十二錠。最初の二人の香気とオードの具合から鑑み半錠を服用したとして一錠、その後に蜂人二匹が変化の為にさらに一錠ずつ。残り九つ。
「一つ残らず消し去ってやる」
そして、その禍根たる石を滅する。
鉄靴を響かせ、その場を離れる。娘の手を離れ、再び夜天へ。
戦場へ翔ける。
「あーあ、ホントに行っちゃった。店の周り、結構ヤバい感じだったよ……戦争みたいな」
「……まあ、あいつならやっちまえそうではある」
「貴女は止めなくてよかったの? 一応ケーサツの人なんでしょ。っていうかギンジもそうなんじゃないの?」
「一応じゃなく私は歴とした警察だよ! そんであいつは違う! ぜんっぜん違う! あんなのが警察であってたまるか!」
「あっははは、だよねー」
吼えかかる赤崎、軽妙に笑うミグモ。
そしてメイは一人、奥歯を噛み締める。
「……」
脅されて仕方なく、姉が囚われ自分自身もまた囚われ。借金と言う負い目。真っ当に、この人界で生きる。そんなちっぽけなプライドもあった。
薬を作ったのは自分だ。あの危険なモノが、災いの権化と知りながら、結局は自分可愛さで。自分と姉が生きる為に。警察に報せることもせず、唯々諾々悪事に気触れ続けたのは、今の生活を守る為。
人界で、ただ普通に。
ただ、普通の。
────ひ、一ノ目……俺とFP組んでくれ!
恋をしたかった。
そんな夢を見た。
夢を。
「一ノ目!」
「え……三叉……?」
街灯も朧な駅前のアーケードの向こうから響く足音。
息せき切らせ、一人の少年が少女に駆け寄った。
風を貫きながらスマートフォンを耳に当てる。暴風の嘶きを御し、驚くほど澄んだ音色で呼び出しの電子音を聞く。
通話した瞬間、心底不機嫌な美声が耳を突いた。
『よりによってこんな時に電話を寄越しやがって。なんだ』
「口が悪いぜレオン坊。アリアちゃんが真似しちまったらどうする」
インキュバスのかの美貌がすっと無表情になるのが電話越しにも見えた。怒るほどに冷める。この男の美点であり、難点でもある。
『無駄話なら切るぞ』
「ラヴィン・ハイヴ周辺の状況はどこまで掴んでる」
『お前はその渦中の真ん中に居るものと思っていたが、どうやら違うらしいな』
「ああすっかり出遅れっちまったんで、こうして情けなくお前さんにお伺いを立ててるのさ」
会話の最中、レオンは随時指示命令と思しい文言を何処かに飛ばす。電話の背後では捜査員がてんやわんやと動き回っているに違いない。
『北区の幹線道路で複数の異界人同士が
「戦闘か」
『ああ、暴行でも傷害でもなく、戦闘だ。我々外特および退魔班はこれより現場へ急行し、その鎮圧に当たる』
「お前さんにしては随分と動きが鈍いな」
皮肉ではなく、純然たる疑問だった。この男がそのような事態の報告を受けて、まだ現場に居ないなど。
まずもって考え難い遅慢。
レオンはどうやら苦虫を噛んでいた。苦々しいその唸りが耳孔に響く。
『SNSの反応の方がまだしも早い。警察への通報は明らかに遅かった。
「なんだと?」
『幾つかの道路、小路が違法に封鎖され、当該区域では魔術的電波ジャミングの兆候が確認されている。まったく、呆れるほどの手際の良さだ』
それは怒りの息遣いにも、あるいは感嘆の吐息にも聞こえた。
『……これは、うちの組対部の友人が漏らした独り言だ。以前からコロニーには敵が多かった。群体特有の統率力によって新興勢力としては破格の拡大を果たしたが、他の勢力との軋轢もまた大きかった。この街の古参。特に古くからの暴力団とは犬猿の仲と言える』
「今起きてるなぁ、ただの縄張り争いだってのか」
『いや、そんな可愛いものじゃない。この、
「こちらの尻馬に乗られた……いやなるほど、己はまんまと出汁に使われたってぇ訳だ」
レオンは何も言わず、沈黙にて肯定した。
己があの店、あの蜂共と一騒動起こすと予見し、その混乱を見計らって大攻勢を仕掛ける。哀れ新興組織コロニーは碌々抵抗も出来ぬまま人界に旗を掲げる夢も潰え儚く塵と消えゆ、と。
────机上の空論というか絵に描いた餅というか、一体どれほど豊かで斬新で白痴の如き想像力があればこんな計画を思い付き、また実行しようなどと考えるのやら。
確実性もへったくれもない。唯一、己という、謂わば逸脱した要素を感知していなければ出来ぬ芸当。
己を、この
「何者だ」
我知らず呟きは低く、険を帯びた。
『……今夜動き出したのはその内の一組。規制緩和以前から異界人との交流をいち早く積極的に受け入れ、おそらくは日本で初めて人魔混成の指定暴力団として公安にマークされた……「龍神会」だ』
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