8
脳になだれ込んでくるドロシーの記憶の奔流が過ぎ去った後、グラヴィデの身体からは叛逆の意思が消えていた。
知ってしまった。あの魔女たちが母の話を美化していた一方、現実では蔑んでいたことを。何よりも、母は自分を神同様に恨んでしかいなかったことを。母の無念の為に生きてきたグラヴィデにとっては、それこそが何よりも耐え難い事実だった。
「同族を殺して、自分たちの命を犠牲にしてまで作った魔女の矛も、ここに折れたか。哀れなものだ。せめてもの慈悲だ。苦しまぬよう葬ってやろう」
抜け落ちた神の羽の一部が鋭利な刃のように鋭く尖り、グラヴィデに向けられるも、絶望したグラヴィデには見えていなかった。神の眼光が一瞬きらめくと同時に、無数の刃はグラヴィデを突き刺そうと向かっていく。
しかし、その羽がグラヴィデの身体を貫く瞬間は訪れなかった。セイベルがグラヴィデを覆い隠すように、その刃から彼を守ったのだった。顔面にかかるセイベルの血に、ようやくグラヴィデは顔を上げ、セイベルに庇われたことを知覚する。
「あなたが言ったことでしょう。私たちは、二人で神狩りを成し遂げるの。一人だけ楽になろうだなんて、許さない」
「セイ、ベル」
怒気の籠った声とは裏腹に、セイベルの体は動こうとしない。神に刺された攻撃は、セイベルにとっても決して浅いものではなかった。
「ほう、見上げた挺身だが、その傷でまだ戦おうと? もう片方も既に心が折れたようだが」
神の言葉通り、状況は決して有利ではなかった。セイベルは深い傷を負い活動限界が近く、グラヴィデからは戦意は喪失している。
「けれど、まだ負けていない」
その言葉を最後に、セイベルの体は地面に倒れ伏す。動きも止まり、負け惜しみの言葉かと神が想ったその時だった。まるで肥大化した肉を脱ぎ捨てるように、その背中が大きく割れる。まるで蛹から蝶が羽化するかのように、その背から現れたのは、人であったころの姿のセイベルだった。
「……なるほど、名実ともに人を捨てたか」
多くの神を喰らい、身体の大部分が神と化していたセイベルは、既に魂を失っても神として生きていけるほどの力を蓄えていた。それを利用し、セイベルは自分の人間としての部分、すなわち魂を喰らい、腐りかけていた肉を切り離し、神として身体を再編。強い決意の籠った彼女自身の魂は、他ならぬ彼女の力として身体を巡り、その魂に刻まれた姿に変化した。
「立ちなさい、グラヴィデ」
再び在りし日の姿に戻った彼女の堂々ぶりは、一種の神々しさすら発していた。それは、母という絶対的な光を失ったばかりのグラヴィデには、他が見えなくなる程眩しいものだった。
「この戦いに、決着を」
力を増した祝福を神にぶつけるセイベル。神速の風は肉体を切り裂く刃となって神を襲う。しかし、同じものを源流とする力のせいか、大したダメージは与えられない。だが、その明確な敵意は、決戦の皮切りには十分だった。
神とセイベル、互いに想像のつく全てを次々と祝福としていき強烈な破壊の波動は、祭壇下の空間を崩落させるだけに飽き足らず、神殿を、街をも巻き込んでいく。大地が割け、風は吹き荒れ、業火が周囲を焼き、大波が荒れ狂う。セイベルの攻撃を目くらましにし、合間にグラヴィデの血の剣が神の身体を切り裂いていく。他の神に比べれば程度は少ないものの、それでも魔女の血による攻撃は有効打ではあった。魔女の血を身体に蓄積させながらも今まで喰らい続けてきた桁違いの魂に物を言わせる神か、魔女の血と自らの魂を薪に闘い続ける二人か。
永遠に続くようにも思われたこの戦いは、ほんの僅かな差で二人が勝利を収めた。セイベルの消耗が見え始め、慢心しかけた神を襲った渾身の一撃。グラヴィデの剣にセイベルの祝福を込めた最後の一撃は、セイベルが苦し紛れにはなった目くらましの砂嵐と共に放たれ、それは神の心臓を正確に貫いた。
「終わった……?」
自分たちの勝利を実感できないまま神の亡骸を見つめるグラヴィデ。せっかく目標を果たしたというのに、心に残るのは歓喜ではなく虚無感であった。
「いいえ、終わりなんかじゃないわ」
遠くを見つめながら、セイベルは答える。その通りだ、まだ何も終わっていない。ソルフェジオに残る民はまだ神の偽りを信じ、外界にはまだ数多くの神が残っている。
「さあ、行きましょう。この世界から、神が絶滅する時まで」
そう、新たな神は言った。
信逆の御霊 天泣馨(あまなき かおる) @K_Amanaki
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