119話 彼女のマッサージ
ミステルのマッサージを受けることになった俺は、自分の部屋に移動した。
いつでも寝落ちしてもいいように、とのミステルの配慮だ。
部屋の灯りは落とし気味にしているので、室内はやや薄暗い。
ミステルの談によると、リラックスするためには、このくらいの明るさがちょうどいいとのこと。
「じゃあ、始めますね」
「うん、よろしく……」
「その前に、上着は脱いでもらってもいいですか?」
「了解」
俺は言われた通り上着を脱ぎ、上半身はシャツ一枚になってからベッドのうえに腰掛ける。
ミステルはそんな俺の背後に回り込み、そっと肩に手を置いた。
「ひゃ――」
柔らかい
「ごめんなさい、手、冷たかったですか?」
「う、ううん。大丈夫」
ミステルの手は冷たいどころかじんわりと温かい。
声が出てしまったのは、単純に俺が女性に身体を触られ慣れていないからだ。
冷静になって考えてみると。
自分の部屋のベッドのうえで、恋人にマッサージしてもらうなんて、なかなかに
そう意識したら緊張して心臓がドキドキしてきた。
「では肩揉みから始めますよー、身体の力を抜いてリラックスしてくださいね」
そんな俺の心をつゆ知らず、ミステルはそう言ってからゆっくりと肩もみを始めた。
ぐっ、ぐっ、ぐっ……
もみ、もみ、もみ……
ミステルの柔らかい掌が、俺の肩周りの筋肉を優しく押しほぐしていく。
とん、とん、とん……
もみ、もみ、もみ……
強すぎず弱すぎない力加減が何とも絶妙で、非常に心地よい。
こ、これは……気持ちいい……
段々と肩周りの血行が促進されていき、じんわりと温かくなっていくのを感じた。
ほうっと思わずため息が漏れてしまった。
「どうですか? 痛くありませんか?」
「全然……気持ちいい……」
「くすくす、それはよかったです」
「誇張じゃなく、溶けそう……」
「ニコの肩、石みたいにカチコチです。ふふ、これは定期的にマッサージしてあげないといけないみたいですね」
ミステルは肩もみを続けながらくすりと笑った。
「そうだなぁ……こんなに気持ちいいなら、これから毎日でも頼みたいな……」
などと、冗談半分で言ってみると。
「はい、任せてください。毎晩、わたしがマッサージしてあげますね」
ミステルは嬉しそうな声でそう言った。
「――いやいや、冗談だよ。毎晩は流石に悪いって」
俺は慌てて否定するも、ミステルは「遠慮しなくていいのに……」と少し残念そうな様子で呟いた。
うーん、この子は天使か何かなのだろうか。
「じゃあ、次はうつ伏せになってください。両手は顔の下で組んで、枕にするような感じで――」
「こう――?」
「はい、そんな感じです」
俺はミステルの言われるがままに、ベッドの上にうつ伏せになった。
「失礼しますね」
ミステルはそう言うと、俺の腰の下辺りに、馬乗りになるような姿勢で跨ってきた。
むぎゅっ――と、ミステルの柔らかい太ももとお尻の感触が伝わってくる。
「ちょ、ちょっと、ミステル!?」
「はい、なんですか?」
慌てる俺とは対照的に、ミステルは落ち着いた様子で返事をした。
「こ、この体勢は流石に――」
「あ、もしかして重かったですか?」
「あ、いや……全然そんなことはないんだけど――」
当然この格好はマッサージのため。彼女にはそれ以外の他意はなく、ましてやましい気持ちなんてこれっぽっちものだろうけれど。
ドキドキドキドキドキドキ――
女の子一人分の柔らかくて心地よい重みを身体に感じる俺の心拍数はかつてないくらいに跳ね上がり、頭の中はやましい気持ちで一杯になってしまっているのだ。
「大丈夫、全部わたしに任せて、力を抜いてリラックスしてください。いきますよ」
そんな俺の内心を知ってか知らずか、ミステルは再び優しい声音でそう言うと、ゆっくりと背中のあたりを指圧し始めた。
もみゅ、もみゅ、もみゅ……
肩甲骨の周りを優しく揉まれて、首筋から肩にかけてを指圧される。
ちょうどこのあたりは今日一日
そんなところをピンポイントに指圧されると、もう本当に気持ちよくて気持ちよくて仕方がない。
さっきまで感じていた、いかがわしい邪念はあっという間に消え去って、今はただひたすらに癒されている。
「うひゃ……めっちゃ気持ちいい……」
「ふふ、よかったです。それじゃあもう少し強くしていきますね」
ミステルはそう言うと、今度はさっきよりもやや強い力で、背中周りの筋肉をほぐしていった。
ぐっ、ぐっ、ぐっ……
もみ、もみ、もみ……
「あひィ……そこ……ヤバい……」
思わず変な声が出てしまう。
「ここが凝っているのは結構重症ですよ? ニコの頑張り屋な性格は素敵なところだと思いますけど、無理をし過ぎちゃダメですからね」
「は……はヒィ……」
ミステルは俺を気遣うように言いながら、流れるような手つきで指圧のポイントを切り替えていく。
肩、背中、腰、臀部、太腿、ふくらはぎ、足裏――
彼女の手はまるで魔法の手だ。
俺の身体中の疲れた箇所がどんどんほぐされていって、身体の奥底で凝り固まっていた疲れが溶け出していくようだ。
誇張じゃなく俺の身体はふにゃふにゃになっていく。
「ミステル――気持ちいい――」
「なんだかニコ、可愛いですね」
俺はもう彼女にされるがままだ。
そのうちに瞼がどんどん重くなってきて――
「お休みなさい……ニコ……」
ミステルのその言葉を最後に、俺は心地よい眠りの世界へと落ちていった。
***
翌朝。窓の外から聞こえるチュンチュンという小鳥のさえずりで、俺は目を覚ました。
部屋の中には俺一人だった。
どうやら、マッサージを受けている途中で俺が寝落ちした後、ミステルは部屋を出て行ったらしい。
照明はきちんと落とされて、俺の身体の上にはブランケットがかけられていた。
ベッドの上から身体を起こして、うーんとひとつ伸びをする。
「うわ……身体、かるっ」
疲労と筋肉痛であれだけ重かった自分の身体が、今朝は嘘のように軽やかだった。試しにくるくると軽く肩を回してみるが、まったく重さを感じない。
「ミステルのマッサージのおかげだ――」
俺は思わず呟いた。
彼女は相当にテクニシャンだった。
主にマッサージ的な意味で。
******
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