番外編:御土居と利休――ある日の秀吉

 天正十九年正月、祝い事が一区切りついた所で、石田三成は秀吉に呼び出された。


「御呼びで御座いますか」


 秀吉からの答は無かった。

 せっかちな秀吉の事、常であれば前置きも抜きに用を命じられる事が多かった。


 顔を上げながら、屠蘇を祝いすぎて酔いが回っているのかと、三成は様子を窺った。


「!」


 秀吉は土の様な顔色をしていた。

 目は虚空を見つめ、掻き毟ったのだろうか、鬢もほつれていた。


「上様?」


 声を掛けると、秀吉は漸く我に返った。


「三成、参ったか。早速に奉行申しつける作事がある」

「はっ」


 三成は懐から帳面を取り出し、書き付けの用意をした。


 どのような作事でしょうかなどと、間抜けな問い掛けはしない。

 勘の悪さを秀吉が一番嫌うと言う事を、三成は知り尽くしていた。


「都を守る堤を築け」


 掠れた声で、秀吉が工事の内容を語り始めた。


 それは南北二里、東西一里程にも及ぶ長大な土塁であった。


 驚きを顔には毛ほども表さず、三成は帳面から目を上げた。


「して、高さはどれ程に?」

「三間は土盛りせよ」


 そこで、ぐっと唾を飲み込むと、秀吉は次の言葉を口にした。


「大筒を撃ち込まれても崩れぬ様、厚く造れ」


 それから四半時ばかり、秀吉は図面を示しながら細かく工事の内容を指図した。

 水脈に近き所は氾濫に備え、より高く築き上げる事。その様な場所には堤の内部に、石仏を埋め込む事。


石仏いしぼとけ、で御座いますか?」


 流石に三成も聞き返さずにいられなかった。

 秀吉が惚けてしまった疑いもある。


「狂うてはおらぬ。さわり除けに仏を埋めるのだ」


 三成は帳面を置き、居住いを正した。


「伺っても良う御座いますか」

「申せ」

「これは誰に対しての備えでありましょう」


 秀吉はこの問いを予期していた様であった。


 一度目を閉じてから、長い息を吐き出した。


「都を龍から守る為じゃ」


 ◆◆◆


「まず利休の事を、御前に聞かさねばならぬ」

茶頭さどうの、で御座いますか?」


 さしもの三成にも、話の行方が見えなかった。


「利休は唯の茶人ではない」

「嘗ては上様を色々お助けしていたと、わきまえております」


 じろりと、秀吉の目が三成の全身を舐めた。


「堺商人の差配、まつりごとの公案、金の工面、その様な事を申しているのではないぞ。利休には裏の顔がある」


 自分に勝る奉行はいないと自負する三成は、利休何するものぞと思いながらも秀吉の言葉を待った。


「利休めは天神のすえじゃ」

「てんじん?」


 思わず、三成は間の抜けた相槌を打ってしまった。


「菅原道真公の血を引く者だと申しておる」


 鼻を鳴らす様に秀吉は告げた。


「それだけではない。利休には、否、利休の一族には使い魔がついているのだ」

「--」


「信じられぬか? 神だ仏だと言うておるのは、物のたとえじゃ」


 開き直った様な、秀吉の物言いであった。


「利休の手下は恐るべき術を使う。白日自在に雷を走らせ、或は水脈を操って大水を出す」


 三成の目には、まだ疑いが宿っていた。


「儂はこの目で見た。奴らは安土城の天主を粉々に吹き飛ばした」


 いわゆる本能寺の変は信長と光秀が示し合わせた茶番であったが、これに乗じた秀吉は光秀を山崎の戦で攻め滅ぼすとともに、信長を安土城に追い詰めて詰め腹を切らせた。


 これをもって、信長の天下が終わり、秀吉の時代に変わったのだ。


 その時、安土城を後にした秀吉の背後で安土城天主が轟音とともに吹き飛んだ。「天神」の仕業であった。


 思えばあれは、秀吉に対する脅しであったか。


「利休が動けば、大坂城とて一日で落ちる!」

「一体どの様な技を使えば、その様な事が…?」


「火薬よ……」


 物に憑かれた目をして、秀吉は答えた。


「儂も良くは知らぬ。だが、奴らは火薬を仕込んだ火矢の如き物を飛ばして、数十間先の城郭を吹き飛ばす事が出来る」

「その様な威力のある火薬など、聞いた事がありませぬ」


 三成は驚きを隠さなかった。


「奴らの秘伝よ」


 威力の秘密は「無煙火薬」であった。硝石、硫黄、木炭から作る「黒色火薬」よりもはるかに高い威力を誇る無煙火薬は、木綿を混酸に浸すことによって作られる。


「天神とは何者でございますか? 伊賀でも甲賀でもないと?」


 秀吉は腕を組んだ。


「奴らは土師氏の出自よ」


「おお、確かに道真公も」

「先祖は土師氏と伝えられていよう」


「ならば薬師もおり、土木にも通じておりますか」

「その事よ」


 秀吉は、もう一度顔色を暗くした。


「奴らは地脈水脈を読み、火薬を使って地崩れや大水を自在に起こせると言う。去年、山上宗二を責め問いに掛け、吐かせた事だ。途方もない話だが、信じざるを得ぬ」


 秀吉は、大きく目を見開いた。


「彼奴らは二頭の龍を使うと言いおった。一の龍は天龍。その力を神雷かみなりと言う。二の龍は地龍。その力を神流かんながれと言う」


 物につかれたように秀吉は暗唱した。


菅丞相かんしょうじょうはその昔天龍を自在に操り、天神と呼ばれたのだ」


 三成は絶句した。


 利休が徳川方につけば、豊臣家は滅びる。

 その事実が三成の肺腑を抉った。


「一日も早く土塁を築き上げまする」


「差配は総て御前に任せる」

「はっ、では早々に手配を」


 下がろうとする三成を、秀吉が呼び止めた。


「今一つ。賢くも御所をお守りする堤である。『御土居おどい』と名付けよ」



 三成が下がった後、秀吉は独り内心に怒りを燃え上がらせた。


「今に見よ利休。双龍の秘伝、必ず吐かせてくれるわ」


 ◆◆◆


 驚くべき早さで御土居の構築を進めながら、三成は秀吉の意を体して利休を責めた。


 利休をおとしめる噂を巷に流し、あらぬ罪を着せた。


 そうして密かに屋敷を訪れて、双龍の秘密を聞き出そうとした。

 利休本人や、家族の命を奪う事をほのめかしながら。


 しかし、利休は口を開かなかった。

 業を煮やした三成は、更に攻撃をエスカレートさせた。


 二年前大徳寺三門修理に寄進を行った際、これに感謝した大徳寺側が利休の木像を三門上に置いていた。


 三成は、門を潜る秀吉の頭上に立つなど不敬を働くものだとして、利休に堺への蟄居を命じた。


 これは嫌がらせの終焉と直接攻撃の開始宣言であった。


 ついには、二月二十五日大徳寺三門の利休木像を引き出し、一条戻橋にて磔にして見せた。


「お前も同じ目に遭わせるぞ」と言う脅しに他ならない。


 奇しくもこの日は道真の祥月命日であった。

 天神一族を根絶やしにする覚悟を示したものに間違いない。


 この所業に遭って、利休は却って態度を頑なにした。

 死を覚悟した反抗と思えた。


 この上は拷問に掛けるしかない、光成はそう腹を決めた。


「天神の血は何色か。しかと見届けてやろうぞ」


 三成は非常の決意を固め、利休を京に呼び戻した。


 ◆◆◆


 聚楽第利休屋敷内の茶室である。


 利休は茶を点てていた。

 既に心の迷いはない。


 秀吉と三成の非道なふるまいを前に一度は神雷の行使を欲したものの、今にして見ると愚かな願いであったと分かる。


「所詮はこの身一つの事」


 囲炉裏に向かえば、即座に透徹した心を得られる利休であった。


 何よりも、堺から戻る際に目にした京の景色が、利休の心を冷めさせていた。


 都は見苦しい御土居の陰に埋もれていた。

 異様な光景は、秀吉の最期を物語る様に思えた。


 籐吉郎、老醜を晒すが良い。

 百年後、人は枯れ木に怯える老人として御前の姿を思い起こす事になる。


 しゅんしゅんと湯の沸く音だけが聞こえる。


 今はすべての恨みは念頭に無い。

 利休は茶の湯に没入していた。


 茶を点てる。

 その事に己の総てが働いていた。


 茶を供し終えると、利休は茶道具一つ一つを丁寧に清め、収めた。

 その所作には何の気負いもなく、かつ一つの無駄もなかった。


 茶を振る舞う、ただそれだけの行為を芸術に高めた、その余韻が茶室に漂っていた。


「良き点前で御座った」


 客である有楽が言った。


 織田有楽、信長の弟でありながら天下人の地位を争わず、俗世を捨てた数寄人すきびとである。

 その実態は影武者である有楽の犠牲によって生き延びた、織田信長と名乗った男であった。


 万葉仮名で「有楽」と書けば「うら」と読ませる。「裏」に生きることを宣言した号であった。


「こんなものでしょうか」


 微かな笑みを口の端に浮かべ、利休は言った。


「御主の茶は千年の命を得た」

「数寄の道を通せただけで本望でございます」


 有楽は目を閉じて、少しばかり小首を傾けた形で座していた。


 茶室の空気が柔らかく膚を包んでいた。


「猿は猿だ。あれも馬鹿ではないのだが、昔から気が小さいところが見苦しい」

「御威勢比類無き関白殿下に御座います」


「ふん」


 有楽は遠慮無しにあぐらを掻き、顎の辺りの髭を抜き始めた。


「夜も眠れぬ事であろうよ。何時家康に寝首を掻かれるかとな」


「正面切っての戦では共倒れとなりましょう」

「ならば、敵は本能寺と参るが良かろうのう」


 利休は端正な正座姿を崩さなかったが、その場の空気は悪戯を企む童子の様なものになった。


「余程に夜討ちが怖いと見えて」

「御土居の陰でかくれんぼ」


「ほほ」

「ふはは」


「怖がりの餓鬼大将は始末に負えぬ」

「仕置きの仕方に工夫が要りますな」


 利休は落ち着いて答えた。


「龍は使わん。許せ。ちと時が掛かるが、きちんと仕舞いをつけたい」

「茶の湯の様に、で御座いますな」


 有楽はこくりと頷いた。今は天神の武力をこの男が預かっていた。

 天神に仕える異能集団を「梅」という。彼らこそが土師氏の技を受け継ぐ者たちであった。


「家康は家康で、勘の鈍い男だからな。ゆっくり仕掛けてやらねば、自滅するかもしれん」


 有楽は秀吉の後、家康に天下を取らせるという意図を語った。仕掛けとは豊臣家の力を徐々に削いでいく方策のことであった。


 その方策のことを、後世の人間は「秀吉の朝鮮出兵」と呼んだ。


「正しく武を布くには随分と手間が掛かる」


 利休は畳に手を突いて答えた。


「急いてはならじと言う事、茶の道も同じ。後の事は有楽殿にお任せ致します」

「承知した」


 二月の夜は深々と更けていた。



 二人は庭に出ていた。


 空に月はなく、茶室から漏れる僅かな灯りが頼りであった。


「それではお願い致します」


 利休はそこが茶室であるかの様に、静かに土の上に正座した。


 有楽は無言で背後に回ると、刀を抜き払った。


「一つお頼みして良う御座いますか」


 遊びをねだる様な利休の声であった。


「この首、一条戻橋にさらされた我が木像に踏ませて下され」

「何? ……そうか。猿め、目を白黒させてうろたえるであろうよ。雷が鳴る度に布団を被ってな」


 利休は梅の花がほころぶ様に、微笑んだ。


「右府様、茶の支度が出来ております」


 一閃――利休の首が庭に落ちた。


「ゆるゆると馳走になろう」



 植え込みの陰に平伏した1人の梅の姿があった。


 ◆◆◆


 千利休の首が一条戻橋に晒された日、朝からの雨に雷鳴が切れ目なく轟いていた。



 不思議な事に、稲光を見た人は一人もいなかったと言う。


(完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鉄と草の血脈 超時空伝説研究所 @hyper_space_lab

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ