第三十三章:唐渡天神

「清涼殿落雷事件の後、醍醐帝は其の衝撃から立ち直れず世を去った事に成っている。実際は、其れより以前から寝込んでいたんだろう」


 須佐は深い時間に珍しく、正気を保っている様だ。


「醍醐帝の牽制が弱まっていたから、清貫や平稀世が好き勝手をしていたのだろうな」


 私は凄惨な事件が与えた衝撃を想像して、思わず震えた。


「清貫亡き後、藤原氏は長の忠平を中心に纏まった。そうしなければ滅亡の危険さえあったろう」

「基経が叔父の良世に長を譲った様に、時平の跡を継いだ弟の忠平が一族を支えたのは皮肉な事だな」


 才気走ったワンマンが下手なリーダーシップを執ろうとすると、組織は簡単に傾くものだと私は内心納得した。


「少々鈍い位の方が、大組織のリーダーに相応しいか……」

「はん。どっかで聞いたような話だぜ」


 須佐にはどうも響かなかった様だ。現場監督がぼんくらでやってられないとか。


 菅原家は学究の家柄として公家社会に存続し続ける事が出来た。他の土師氏諸家と共に野に下り遠方に散った子孫もいたであろう。土師氏の異能は定住先社会に繁栄をもたらし、一族の伝統が地域文化の一部を成して行った。


 国家安寧を願う土師氏の心は子孫に受け継がれ、国が乱れる度に平和を希求する志士が一族から生まれた。戦国の世然り、幕末の動乱然り。


 明治の日本産業革命も土師氏なしには存在しなかった。土師とは鉄と草を富に変える一族である。日本の財閥も鉱工業と繊維業が其の礎と成っている事に微塵の疑いもない。先進国家と伍して恥じない産業技術を有すればこそ、日本は欧米列強の植民地とは成らず、国際的に独立を保てたのだった。


「先生、俺はよ。世の為に成る様な事は何も出来ないが、歴史の中で何度も此の国を支えて来た先祖の事を忘れたくないのよ。ああ、此処でも頑張ってたんだなって其の足跡を見付けてやりたいのよ」


 珍しく須佐は神妙な声音で言った。


「良いんじゃないか? お前一人位、後ろ向きに歩く歴史馬鹿が世の中にいても」

「うるせえ。自分だって歴史馬鹿だろうが」


 私が慰めてやると、須佐の元気が戻ったようだ。やれやれ、世話が焼ける。


「今度は戦国に行こうかねえ。其れとも飛鳥に飛ぼうか?」

「どっちに行っても話は繋がっちまうんじゃないか? 歴史ってのは綾織みたいなもんだからな。どの糸がどの模様に繋がっているか、表から見ているだけじゃ分からないぜ?」

「そいつは面倒臭くて、素敵に楽しそうだ」

「違えねえや」


 はははと笑い合って、私は須佐と別れた。


――――――――――


 藤原清貫、平稀世を打倒した後、鳶丸は元の道賢に名を戻し、博多から大陸に渡った。嘗て鴻臚館で知遇を得た李家を頼っての渡航であった。


 鳶丸の様に海を渡った天神使徒は数多く、道真の威徳を大陸に広く伝えた。


 是により中国僧侶の間でさえ、「唐渡天神」の伝説は語り継がれ、唐風の天神絵姿が世に広まる事と成った。


 道真の精霊は今も地上にあり、東風吹く春を待っている。


(完)


※この物語はフィクションであり、実在する資料に依拠しつつも空想と脚色を加えている。実在する人物、団体とは一切関係がない。

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