第5話

 痛くて辛くて体は悲鳴を上げていた。それでも歩き続けた。レグルスは自身の行動に驚いていた。名前も知らない彼女のために痛みに耐えている。歩いている。地球も人類もどうでもよかった。でもあの女はこの世界に生きるべきだと感じていた。こんな汚くてどうでもいい世界がお前にはお似合いだと吐き捨ててやりたかった。

 硝子の脚を引っ掛けて転んだ。レグルスは起き上がれない。助け起こしてくれる人はいない。そんな当たり前の現実が辛く感じられて唇を噛んだ。いつから独りぼっちで、いつまで独りぼっちなのだろう。やまないノイズに責め立てられているような気がした。

『何泣いてんのよ。てか、脚ださっ』

 レグルスは慌てて顔をぬぐうと体を起こして辺りを見回した。言葉は嫌味たらしいが爽やかな口調は変わらなかった。

『家に帰ったんじゃなかったの?』

「アンタが嫌がらせするから……!」

『えっ? 何? 何かした?』

「うるさいんだって。さっきからわけ分かんないノイズが」

『ノイズ? 何もしてないけど?』

「どこにいるわけ。そっち行く」

 渋々答えてくれた場所まで飛ぶ。着いてみるとよく知らない場所だった。人の住む土地が限定されている現代ではどこも似たような景色なのだが、そこは高い建物が少なく、周囲には雑草ばかりが生い茂っていた。

「何ここ。道が土じゃん」

「勝手に来ておいて文句言うのはどうかと思うよ」

「土なんて久々に見た」

「都会育ちなのね。ちょっと歩けばこんな田舎そこら中にあるのに」

 皮肉にも取れる言葉だったがレグルスはあえて聞き流した。口喧嘩をするために来たのでもない。月明かりしかない中、彼女の金色は幻想的に見えた。振り向いたので目をそらす。

「で、ノイズは何なの?」

「今はどうしてる?」

「遮断した。うるさいし、もう場所分かったし」

「あ、探してくれてたの! 優しいじゃん」

「うっ、うるさいな」

 隠し通すつもりだった。いざ気付かれてしまうととても恥ずかしい。レグルスは睨むように目を細めていた。眼前の少女は険しい顔で辺りを見渡す。

「……まだこの辺にいるかもしれないから探してたの」

「スライムの奴?」

「そう」

「こんなところまで来るのか?」

 数時間前レグルス達が仕事をしていた場所より数キロ離れている。彼らに高い移動性能があるとも思えない。心配性すぎるとレグルスは考えたが、彼女は真剣な眼差しで遠くの方を見詰めていた。

「分からない。普通は無いと思う。でも、心配だから。絶対なんて無いし」

「どうしてそこまでする? そこまでして何を守るんだよ。地球とか、人とか、守ってどうするんだ。もうどうしようもないってのに」

「あっ、そうか。私この辺の索敵してたから、アンタは敏感にそれを拾ったんだ。生体反応探ってただけだからただのノイズだろうし……にしてもすごい性能。私のことそんなに気にしてた?」

「私の話……」レグルスはむかむかして言った。事実を突きつけられるのがむず痒く、話をそらしたくて仕方なかった。

 少女は金色をなびかせながら、困ったように眉を下げて何度か瞬きをした。草むらを見たり、レグルスを見たり、空を見上げたり視線は落ち着かない。

「聞いてた。何だろね。でも諦めたらこの先もずっと変わらないし。私、友達が死んだから、その分頑張らなきゃならないと思ってるのかもしれないし。自分でもよく分からない」

「偉そうにしといて自分でもよく分かってないんじゃん」

「まあね。だってさ、考える時間なんて無かったでしょ。やるしかなかった。でもその方が良かったかも。だって、ほら、私が動けば誰かが死なずにすむかもしれない」

「お前がやらなくても誰かが代わりにやったかも」

 咄嗟とっさに口から零れた。レグルスはずっと自分の代わりを求めてきたからこそつい言ってしまった。レグルスの率直な言葉にも、彼女は嫌な顔一つしなかった。それも或いは考えていたことだったからかもしれない。

「でも、今は私がやってる。今私が頑張れば、私の代わりだった子はその分楽に生きてるかもしれない。それでいいよ」

「マゾなの?」

「ねえ。アンタさ。先輩が死んで突然やらされたって言ってたよね。じゃあその先輩が今も頑張ってたらアンタはここにいない。そうでしょ」

 レグルスの呆れた茶化しにも乗らず、彼女は諭すように優しく言った。

 もし顔も知らない姉が生きていたら。確かにレグルスはここにいないだろう。姉は、妹が存在することは知っていたはずだ。もしも姉が。

「わ、私さ、姉が死んだの」

「うん。まあよくあるよね。姉妹の跡継ぎって」

「私の姉も、お前と同じ考えだったのかな」

「……それは私には何とも言えない。でも私みたいな考え方の子は少なくないと思うよ。誰だって、漠然と人類のためとかに命懸けたくないから」

 彼女は悪戯っぽく笑った。人類とかよく分からないし。そう言った。

 レグルスは何か腑に落ちた感覚がした。正体は上手く掴めないが今までよりは気が楽になった。漠然としたものや、大きなものばかりに囚われていたから苛々したのだ。もっと小さくて、単純な理由だけでいい。

「なあ、えっと」

「何?」

 そよ風に流される金色の髪が少しきらめいて見えた。あまり汚いとは感じなくなっていた。レグルスは脚の調子を探る振りをして腰を折った。

「お前数年後には引退だろ? その時にお前の名前、言ってけよ」

「ん? 私の名前を教えろってこと? しかも辞める時に?」

「今聞いてもすぐ忘れるから、最後の時でいい」

「何それ。アンタの頭の容量どうなってんの? あっ、もしかして、石入れた時の後遺症的なやつ?」

「いや普通に覚えていたくないってだけ」

「はぁ!? やっぱ生意気……」

 彼女はレグルスを睨んで溜息を零した。レグルスはふんぞり返る。文句があるなら受けて立つつもりだったが、彼女が突っ掛かってこないことも理解していた。案の定、彼女は渋々頷いて可笑おかしそうに微笑んだ。

「いいよ。そうしよ。私も名前聞かない。引退の時の楽しみに取っておく。きっと大層立派な名前なんだろうね。期待しとくわ」

「お前よりはいい名前だと思う。それだけは言える」

「はいはい。……じゃ私もそろそろ引き上げるよ。いいよね」

 彼女はうるさそうに金髪を掻き上げた。本当に鬱陶うっとうしかったら切るだろうから、きっと癖なのだとレグルスは勝手に思った。相手に有無を言わせない時の仕草だ。レグルスは素直に頷いて同意の意思を示した。

「じゃあね、生意気な後輩」

「精々長生きしなよババア先輩」

「アンタ早死にするよ」

 名も無き先輩の姿がなくなってからレグルスは一人で笑いを堪えた。くだらないやりとりが馬鹿みたいで、思い出し笑いが溢れた。

 とりあえずレグルスは、彼女の引退を見送るまでは魔法少女としての使命を全うしようと決めた。その後のことは、それから考える。人類も地球もどうでもいい。

 レグルスの、姉に対する印象がほんの少しだけ良くなっていた。姉の考えを知る術はなく、今も死んだこと自体は恨んでいるが。

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小さな星の瞬き 波伐 @wanwanowan

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