超純水

 レールの振動を伝えてくる電車の揺れに身を任せ、窓の外を流れる工場の建物群を眺めていた。錆びた鉄塔や建物に沿うように取り付けられた複雑に入り組んだパイプを見ていると、奇妙な高揚感が私を包む。


「100%の水は化学式でしか存在しないんだってね」


 慣れとは恐ろしいものだ。もはや両隣に男女二人が座っていることに違和感を覚えなくなってしまっている自分がいるが、示し合わせて電車に乗っている訳ではない。

 所用で外出した際、たまたま同じ駅から乗ってきただけだが、誰が信じようか。別に誰に言い訳するでもないが。

 偶然も重なれば運命かもしれない。同じマンションに住んでいるのに外で遭遇する率が高すぎる。

 開き直りの境地で能天気な話を展開する私を、二人は警戒するように見ている。


「普通の水には」「不純物が多いからね」

「工業用で精密機械を洗浄する超純水は限りなく化学式に近いみたいだけど、飲んだらカルシウムが溶けるらしいし、人体には悪影響かもしれないね」

「人体」「溶けるんだ」

「誰か殺したら死体溶かすのに使えないかな」

「好奇心だけで」「そういうこと言うのやめなさい」

「特殊な機械でも使わない限りそんな水作るの無理だしね」

「そういう」「ことじゃない」


 可能ならばやってみるのだろうかと自問する。誰かに対する明確な殺意など抱きようもないし、多分追い詰められたら逃げるだろうと思われる。

 時折連結部分の軋む音を聞きながら、続く工業地帯の風景に高揚する気分を抑えられないまま私は喋り続ける。


「でもカルシウム溶けるほど純粋な水って飲んでみたくない?」

「好奇心は」「猫をも殺す……」

「君たちなら分かってくれる気がしたんだけどなあ」

「どういう」「意味?」

「溶かされたい願望があるのかと思ったけど」

「………」「………」

「どうせ復縁迫るなら私に取り込まれてしまいなさい。溶けるほど甘やかしてあげるから」


 私の中にある純度の高い好奇心が、相手の全てを溶かし尽くして自分の物にしてしまいたいと願う。それを受け入れがたい人たちは「君といると自分がダメになる」と言って去っていくか、私が去るかどちらかだ。

 この二人が私に固執する理由はそれぞれだろうが、去って行くのも去るのもダメなら取り込むまでだ。

 話しながらふと気づいてしまったが、私は執着がないのではなく執着を持ってしまう自分が恐ろしいのだ。恐ろしいから全てをリセットしたくなる。バランスを取るのは難しい。


「こうあるべきなんてどうでもいいと思わない?こっちを全部受け入れる覚悟もなくて自分だけ常識的であろうとするのもどうかなって思うんだよね」

「誰のことも選ばないのに」「そういうこと言う?」

「理想が高いんだよ。永遠なんてどこにもないのにね」


 彼らが沈黙している間に、電車はホームに滑り込み、アナウンスと共に扉が開いた。私はついてもいない埃を払う仕草で腿を軽く叩いて立ち上がり、そのまま電車を降りた。


 純度の高い水が化学式の中にしか存在しないように、純度の高い愛情も理想の中にしか存在しないのかもしれない。清すぎる水に生き物は棲めない。だからと言って日々濁っていく感情を見つめ続けるのも嫌だ。


 結局一番重いのは自分なのだろうなと思った。私は発車のベルが鳴り響く中、車内に取り残された二人に笑って手を振った。


―――――――


読了ありがとうございました。

このお話はひとまず終了です。

行きつく先はどうなるのか、気になるけど気にしない。

後はご想像にお任せします…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サインコサインタンジェント 鳥尾巻 @toriokan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説