カレーはスパイスから作りますか?

 隣人たちは忙しいようで最近顔を見ない。夜遅くに玄関の扉が開く音がして朝早い時間に出ていくのが聞こえる。元々在宅の私とは生活時間が合わないのだ。

 あれから特に何事もなく平穏な日々が続いている。「どちらか選べ」とは言ったものの、強引に押しかけたりはしないらしい。私もさすがに引っ越したばかりで逃げ出したくはない。


 あまり人と会わずに済むとはいえ、身なりには気を遣っておきたいので、今日は近所の散策で見つけた雰囲気の良さそうな美容院に行ってみる。


「美容師って『付き合ってはいけない3B』の一つって言われるけど、あれ、ひどくないですか~?」


 シャンプー後に美容師のお兄さんと話していると、彼はそんなことを言いだした。


「ああ…美容師、バンドマン、バーテンダーでしたっけ?」

「そうそう。異性と接する機会の多い仕事だからって不誠実って言われるの納得できないんですよねえ。そりゃ個人的に仲良くなる人もいますけど、大体は仕事以上の付き合いはありませんよ」

「それはそう」


 私は目をつぶって頭皮のマッサージを受けながら、うんうんと頷いた。確かに知り合いの数人はそんな職業の人もいたと思うが、個人の性格の問題であって、仕事は関係ないはずだ。


「ですよね~。はい、ではこちらへどうぞ~」


 カットの為に場所を移動すると、そこそこ混み合った店内で、他の美容師が忙しく立ち働いている。私は二人の客の間の椅子に案内され、ぼんやり鏡を見ていた。

 ふと、鏡に映った両隣に目を遣ると、そこには例の二人がベージュのクロスを着けて髪を切ってもらっているのが見えた。偶然もここまで来ると何かの呪いではないかと勘繰ってしまう。


「どうも」

「こんにちは」「偶然だね」

「あれ~?お客さんたちお知り合いですか?」

「ええ、まあ」


 私は鏡から目をそらして俯きがちに答えた。気まずいと余計なことを言ってしまって墓穴を掘るのは目に見えていたので、今回は何も言わずにサッサと用を済ませるべきだと思う。


「ああ、それでさっきの話の続きですけど」

「3B?」

「『付き合ってはいけない3C』ってのもあるらしくて」

「へえ」

「それがカメラマン、クリエイター、カレーをスパイスから作る人なんですって。最後ナニ?って感じですよねえ」

「それ」「どういう意味?」


 なぜか隣の二人が食いついている。確かに気になるが隣の会話に首を突っ込んでくる程だろうか。私は肩を竦め、余計なことは言うまいと敢えて深く突っ込まないことにする。


「インド人ですか?ネタじゃないんですか?」

こだわりの強いめんどくさい人が多いってことらしいですよ」

「はあ…もうどんな相手と付き合えばいいのか分からなくなりますね」

「どんな職業でも」「付き合ったらヤバい人はいますよね」


 鏡越しの両隣から注がれる視線にますます身の置き所がない。ヤバくはない。ヤバくはないはずだ。何股もかけたことはないし、付き合っている時は相手に誠実に尽くす。言い訳させてもらえるなら、私の懐は広くて深いのだと言いたい。


「メンヘラ製造機みたいな人」「いますよね~」

「あら、お客さんたちそんな人と付き合ったことあるんですか?」

「ええまあ」「カレーをスパイスから作る人とね」


 そんな人身近にいるんだ~、と感心したように言う美容師の言葉を聞き流し、私は寝たふりを決め込むことにした。


 ついでに言えばナンも粉から作る。

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