報告連絡相談

「ヒマラヤスギは杉じゃなくて松なんだよね、ウケる」


 本当はウケてなどいないがその場の空気を和ませる為にどうでもいいことを言ってみる。食いついてくれればその先の更にどうでもいい話ができる。しかし二人はヒマラヤスギの神秘性には興味がないようだ。


 今日は仕事で外出し、取引相手と近所の喫茶店で軽く打ち合わせした後、残って一人でのんびり珈琲を飲んでいた。三叉路の鋭角部分に建てられた昔ながらのその喫茶店は、三面に窓があり通りがよく見え、待ち合わせにうってつけの場所だ。出入り口が二つあるので、どちら側の道から入ってきても相手を見つけやすい。


 口髭を生やした老齢の店主が丁寧に淹れてくれた自家焙煎珈琲をゆっくり味わう。白いシャツと胸当てのない膝までの黒いギャルソンエプロンを身に着け、優雅な仕草で茶器を扱う彼の動きを観察していると、両側の扉から各々おのおの入ってくる客が目に入った。

 向かって右の扉からは濃緑のロングスカートに白いブラウスの女、左の扉からはグレーのスーツ姿の男。外から私を見つけたらしい二人は、こちらに迷いなく近づいてきた。


「あ」

「先日は」「どうも」


 もはや同調シンクロするのは当然とばかりに口を揃える彼らは、勝手に私の両隣の席に陣取る。注文を取りに来た店主にそれぞれ珈琲を頼むと、そのまま黙って私の顔を見ている。

 それでさっきの発言に至った訳だが、そもそも何故別れたはずの二人にこんなに気を遣わなくてはならないのだろうか。


『蕎麦屋行く行く詐欺』の件で罪の意識を感じないでもないが、詐欺とは言っても実際に犯罪を犯したわけでもあるまい。彼らの望みは何一つ聞かされていないし無言の圧に屈するのはしゃくな気がする。

 私は殊更ことさらゆっくり珈琲を飲んだ。


「きみはそのうち」「刺されそうな気がする」

「そうかなあ。きみたちは私に何をしてほしいの?言ってくれないと分からないな」

「そういう」「とこだよ」

「ごめんね。この間のことなら謝る。二人なら気が合うと思ったんだよ」

「そりゃ」「同じものが好きだからね」


 ぎゅうぎゅうと両側から圧をかけられて非常にストレスを感じる。そしていくらゆとりのあるボックス席でも大人三人で座るには狭い。ついでに言えば周囲の視線も痛い。

 私は持っていたカップを置くと、テーブルの下に置かれた二人の手を取った。


「人間関係における相互不理解は伝達不足にあると思う。『察してくれ』では何も伝わらないと思わない?報連相、大事」

「それは」「そうだけど……」


 微妙に顔を赤らめて言葉に詰まる彼らに私はにっこりと笑ってみせた。もっともらしいことを言っているようだが、これはわば先制攻撃。


「これからは引っ越す時ちゃんと言うよ」

「だから」「そういうことじゃない」

「ヒマラヤスギの松ぼっくりはシダーローズって言うんだよ。乾燥すると薔薇の花が開いたみたいな形になるからだって」

「その情報」「どうでもいい」

「だよねえ」

「今恋人がいないなら」「どちらか選んで」


 そうきたか……。私にしてみれば嫌いで別れたというより興味の対象が移っただけなんだが。これはどちらを選んでも角が立つやつ。


「二人とも嫌いじゃないし折衷せっちゅう案で三人でってのはどう?」

「出た」「最低発言」


 周りの温度が数度下がった気がしたけど、私は空気は読まずに吸って吐く人間なので気にせず喋り続けた。


「ホンソメワケベラは雄にも雌にもなる魚なんだけどさ」

「???」「???」

「一夫多妻で小さい雄は最大雄との縄張り争いに負けて子孫を残せないから、身体が小さいうちは雌のままで卵を産むんだって。身体が大きくなったら雄化するらしいよ」

「それとこれと」「なんの関係が?」

「別に三人でいても悪いようにはならないと思うなあ。自然界では一対の生き物は案外少ないんだよね。仲良し夫婦の代名詞のオシドリだって毎年 つがいが変わるんだよ」


 興が乗ってベラベラと動物や虫の生態について話し続ける私に、彼らは脱力して呆れたような眼差しを向けた。


「我々は人類なので」「恋人は一人でいいです」


 どうやらけむに巻く作戦は失敗したようだった。人類は面倒くさいなとつくづく思う。

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