オアシス

@nanafushi10101

序章

第1話 番兵と少女(1/3)

 

 

 見えるのは砂、砂、砂、砂。

 砂漠だけが橋の向こうに広がっている。


 遠くに見える地平線が熱帯の陽炎に揺れている。目を凝らしてみれば、その中で黒ずんだサボテンが顔を出している。

 乾いた荒野が広がるこの大地は、うんざりするほどに殺風景だ。

 こんなものを毎日のように見ていると気が狂いそうになる。


 巨大な吊り橋が、円を描く渓谷の内側に建てられたこの街との唯一の繋がり。

 この橋以外に、街に入ることはできない。

 

 俺は番兵である。

 名前は妻が死んだその時に捨てた。


 そう。俺はただの番兵。奈落の渓谷に守られた街へのたった一つの通り道であるこの橋を見張ることが俺の仕事だ。


 襲撃者は滅多に来ない。来たところで大して強くもないので少し脅かせば逃げていく。

 俺の仕事と言えば、数日に一回訪れる行商人に通行許可の確認をすることくらいだ。

 だから俺はただ毎日のように、橋の向こうに見える砂の大地を眺めている。


 楽な仕事だ。

 やり甲斐もない。


 だが俺はそれで構わない。

 ずっと死ぬまでこの橋を守り続け、誰にも関わることなく一生を終えるのも構わない。

 妻が死んだその時に、すでに名前も未来も捨てている。


 しかし、そんな俺にも最近仕事が増えた。


 街に不審者が入らないように守り続ける番兵である俺の新しい仕事。


 それはーーー。



「そりゃああああっっっっっ」



 街の正門から一人の少女が馬鹿正直に飛び出してきた。大きな荷物を背負った少女は、一心不乱に俺を横切って橋を渡ろうとする。


 俺は「またか」と溜息を吐いて、駆け出した少女の服を掴む。


 少女は俺を振り切ろうと身体を捩るが、ガキの女に負けるほど俺もヤワじゃない。少し力を込めて引っ張れば、ひょいと軽々しく後ろへ引ける。


「じゃ、邪魔しないでよ番兵!」


「これも仕事だ」


「私はただ街を出たいだけ! なんで邪魔するのよ」


「俺の仕事は橋を不審者が通らないようにすることだ」


「誰が不審者よ!」


 ぎゃあぎゃあ喚くこのガキを引き止めるのも、何十回目になるだろうか。こいつが十三歳になった頃からだから、かれこれ二年近くこのやり取りをしていることになる。


「何度も言ってるだろ。許可なく子供が街を出るな」


「もう子供じゃないわよ! 十五歳になったもん」


「十五歳はまだガキだ」


「ふんっ。そこらの女よりも身体は育ってるわよ」


「だが脳みそはガキのままだな」


 少女の後ろ襟を掴んだまま、俺は後ろへ放り投げる。甲高い悲鳴を短くあげて、正門の方に転がされる。少女は尻餅をついたまま、猫のような目で俺を睨み上げた。


「お前、そんな薄着で砂漠を渡る気か?」


 少女は装飾の施された踊り子の服を着て、歳のわりには大胆に育った褐色の肢体を晒している。ガキがするような格好じゃないと思うが、大方仕事を抜け出して来たのだろう。


「だって暑いじゃん」


「夜は寒いだろ」


「その時は着るわよ」


「薄着は汗で水を消費する。そんなことも知らん奴が砂漠を渡れるはずもない」


「いっつもいっつも偉そうに」


 怒りに顔を見て膨らませて少女は立ち上がる。胸と腰回りだけを隠した衣服についた砂を払うと、俺から視線を逸らして溜息を吐く。


「あんたがいるから、私はこの街から出られないじゃない」


「そうか」


 少女の名前はサーリャと言う。

 聞くところによると、幼い頃に両親を亡くし、親戚の家で育ったらしい。

 その時の養育費を返すために、踊り子の仕事をしているようだ。男好きのする身体つきに、人目を惹きつける美貌は、確かに踊りの仕事に向いているだろうが、彼女がその仕事を始めた時には十三歳だったし、今もまだ十五歳だ。

 一歩間違えれば娼婦になるような仕事をさせるには、あまりに幼すぎる。


「仕事でなんかあったのか」


「別に、今日だけの話じゃないわ。お前は踊りが下手だから、ウリをやれってすぐ言われる」


「だからと言って街を抜けるのは無謀だ。外は恐ろしい」


「このままこの街でくたばるよりはマシ」


「…頭が冷えるまでここにいればいい。橋の近くには誰も来ない」


「………そうさせてもらうわ」


 大荷物が入った皮袋を地面に置いて、その上にサーリャは腰掛ける。俺は変わらず立ちん坊で、つまらない荒野を見つめ続けた。


「あんた、毎日ここに立って楽しいわけ?」


「楽しいように見えるか?」


「別に、何のために生きてんだろうって思ってさ」


「だったらお前は何のために生きてる?」


「え? そりゃあ幸せになるためよ」


「そうか」


「そうよ」


 何のために生きるか。それをすぐ答えられるだけでも上等だ。サーリャには未来を、明日を生きる意思がある。


「だったら、街を出ようとなんて考えるな。砂獣(サジュウ)の餌になるのが関の山だ」


「はいはい。もう耳が腐るほど聞いたわよ。ほんとにいるの? 砂獣なんて」


「いるぞ。お前なんてあっという間に食い殺される」


「ふーん」


 サーリャは興味がなさそうに口を尖らせた。砂獣の存在を御伽噺か何かかと思っているようだ。


「ねえ番兵」


「なんだ」


「あんた街に外から来たんでしょ?」


「…ああ」


「どんな感じなの、街の外って」


「広いな」


「それだけ?」


「ああ。広いだけで、何も変わらない。楽園が広がっているわけでもない。この街は戦争をしていないだけマシだ」


「この街は、いいところだと思う?」


「どんな場所も、そこを好きな奴と嫌いな奴がいるだろう」


「あんたの話はいつもふわっとしてるわねえ」


 サーリャは機嫌が直ったのか、鼻歌混じりに青空を見上げた。もし妻との間に娘ができていたら、このくらいの歳になったのだろうか。そんなことを思った。


「街は嫌いだけど、ここはうるさくなくて好きよ」


「何もないがな」


「それがいいじゃない。落ち着く」


「そうか」


 サーリャはしばらくすると、物憂げな表情を浮かべて俯いた。


「ねえ番兵」


「なんだ」


「もし私がウリをやったら、あんた買う?」


「…ガキに興味はない」


「そう」


 ウリ。つまりは売春だ。

 どうせサーリャの親戚のことだ。踊り子としての稼ぎじゃ飽き足らず、身体を売らせてその金を得ようとしているのだろう。

 サーリャも一人で暮らしているはずだが、街で暮らす以上「借りた金を返す」という大義名分は振りかざす親戚を無下にもできない。例えそれが幼かったサーリャを育てる金であろうとも。


 だが。


「自分で生きる金があるのなら。お前が決めることだ。育てられた恩など、あの親戚に感じる必要はない」


「そんなの、わかってるけど……でも、もっとお金を稼げば、学校に行くことだって」


「そのために身体を売るのか?」


「ずっと踊り子をやってても意味ないしさ」


「…………」


 この街は閉鎖的だ。

 円を描いた渓谷は奈落のように深く、外敵の全てを遮断する代わりに、この街そのものを強固に閉ざしている。

 戦争はないが、中での抑圧は激しい。

 学校に行き、学を身につけられなければ商売を起こすことだって難しいだろう。

 それに商売といっても、閉じたこの街では新たな産業も生まれない。やはり金を大きく稼ぐには学位が必要だ。


「とはいえ売春という選択肢が良いとも思えんがな」


「それは…そう」


「他にやりたい仕事はないのか?」


「……だったら、番兵になろうかな」


「それはいい。人手不足だ」


「そういえば…あんた以外がここにいるの見たことないけど、休みの日はどうしてんの?」


「休みはない」


「え…?」


「俺は毎日ここにいる」


「うっそぉ。夜は?」


「この上に宿舎がある。そこで寝ている。その時だけ代わりの見張りが来る」


「それで薄給なんでしょ? よくやってられるわね」


「三色寝床付きだ」


「はぁ……かわいそうだから手伝ってあげてもいいわよ」


「………いや、やはり無理だな」


「なんでよ」


「サーリャは弱い」


「あ、言ったわねえ。私けっこう鍛えてん…の、よ!」


 流石は踊り子。サーリャは健康的な脚を振り上げて俺の顔面目掛けて蹴りを放つ。


 俺は特に防ぐわけでもなく素早い蹴りを眺めていた。


「なによ。面白くないわね」


 寸止めした脚を降ろして、サーリャはつまらなそうに肩を落とした。


「…ふん。もう行くわ。これ以上サボったらクビにされる」


「そうか」


「じゃあね。次は上手く掻い潜ってやるから」


「そうか」


 サーリャは皮袋をまた背負って、正門の方へと踏み出した。時折彼女は街を出ようと飛び出して来て、こうして俺に止められる。


 二年前から続く、俺の新しい仕事だ。


「さっきも言った通り、昼なら俺は毎日ここにいる」


「…?」


「話し相手くらいにはなる。辛くなったら顔を出せばいい」


「…………っ」


 サーリャはよくわからん顰めっ面で振り返ってから顔を俯かせると、少し震えてから「うっさい」とだけ言い残して去って行った。


 彼女の背中を見送ってから、俺はまた橋の向こうに目を向ける。


 そこには、変わらない殺風景な荒野だけが広がっている。砂漠一面の景色。美しいとすら思わない。感情は無。


 そんなつまらない景色を眺めながら、今日も俺は橋を守る。


 俺はただの番兵。


 ここに立ち続け、ここで死ぬ。

 それが定めだ。



 

 

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