第25話 新しい世界へ(REQUIEM 1:了)

 神々は(というより、神々のトップに君臨するゴッド様は)下界の荒廃の原因は変人たちにあると考え、変人たちを白の世界という奇妙な空間に閉じ込めた。地面も壁も空さえも真っ白な世界だ。何もない。あるのは無数に置かれた椅子だけ。

 変人を隔離――それは、あまりにも短絡的で稚拙な施策だが、神々のトップであるゴッドは絶対の権力を有しており、他の神様は逆らえなかった。

 変人たちは、自分たちが変人であるということの強い共感から、ただひたすら平和的に会話を交わした。5つある白の世界のうち、4つでは今なお安定して平和的に活発な会話が交わされているという。

 しかし、理由は定かではないが、東区の白の世界だけが、その安定に綻びを見せ始めた。ときに個人の主張がことさら前面に押し出され、これまでの均衡を崩し、歪みを見せ始めた。真っ白だった空間は灰色に濁りはじめ、強い風が突然吹き、地面が揺れ、地割れがそこかしこに生じた。

 もはや、元の絶対安定状態はどこかへ消えていた。


 一方で、変人がいなくなることで平和と安定が訪れると思われた現実世界は、予想とは正反対の道をたどっていた。世界各地で争いが激化し、もはや収拾不能となっていた。身勝手なイデオロギーと浅薄な欲望が、多くの血を流せしめた。この状況を止める者は現れなかった。止めようとする者すら現れなかった。誰もが自らの正しさを信じ、争うことを疑わなかった。

 人間界はもはや救いようがないくらいに壊れていた。

 東区を除く、四つの白の世界以外は、である。



   ※



 変人は世界に必要――


 猫の姿をした神様が放ったその言葉に、まさにその変人に該当する人々ははっとさせられた。変わり者というだけで排斥され、そうでなくても居心地の悪い思いをした記憶しかない人々は、自分たちが世界に必要などと露ほども考えたことはなかった。

 しかし今、自分たち変人がいなくなった現実世界は破滅の一途をたどっているという。やっと自分達の存在意義が示された気がして、安堵さえ覚える者もいた。


「ふむ、なるほど」


 トムが神妙な顔つきで頷いた。


「我々変わり者が世界の秩序を保つために必要な存在であったと。真ん中の大きな道に沿って歩む人々だけで世の中を動かすと破綻する。細い脇道や、道なき道を歩む我々もちゃんと世の中の安定に寄与していると。……うむ、なかなか面白い事実だ」


「そうだね」と謝音しゃのん。いつの間にか気絶から立ち直っていたようだ。周囲の視線が謝音に集中する。「正しさだけが寄り集まったとき、その総体もまた正しいとは限らないということだね。いや、違うな。正しい、正しくないの定義がそもそも間違っているということなのかもしれない。或いは曖昧で定義のしようがない」


 そこで謝音はひとつ「ははは」とよくわからない笑いを挟んで続けた。


「まあ、そんな『正しさ』の定義を基礎に何かを間違っていると断じることはどう考えても矛盾しているよね」


 健人は話を聞きながら眉間に幾本もの皺を刻み、顔を歪め、口をぽかんと開けていた。「意味不明だよお前ら」と言いたげな様子である。


「面白いにゃん。やっぱりお前ら面白いにゃん。変わり者は世界に必要というのは、娯楽の面でも当てはまりそうにゃん。いや、もちろん良い意味でにゃん」


 にゃん太は楽しそうに目を細めて言った。


「でも、ここ東区の白の世界はそう長くはないにゃん。あと数時間もすれば跡形もなく消滅するにゃんね。かといって皆を荒れ荒れ状態の現実世界へ戻すわけにもいかないにゃんし。困った困ったにゃん」


 神様に困られてしまっては、人々は為すすべが無いのであった。


「げ、原因はこいつじゃ! ここが崩壊を始めたのは、こいつのせいじゃ!」


 突如、ゴン太が叫んだ。

 ゴン太の指差す方向には健人がいた。


「こいつだけ、この世界で普通の人間なのじゃ。きっと、ここ東区の白の世界だけ普通の人間が紛れ込んでしもうたから、こんなことになっておるのじゃ」


「それはワシも思っていた」と、今度は父親であるゴン蔵が言った。顎髭を思慮深げにいじりながら続ける。「変人ばかりが集まる中、この健人だけがやけにまともな人間だった。変人たちが噛み合わないながら、その噛み合わなさを認め合って会話を交わす中、この健人だけはその噛み合わない部分に少々突っ込んだ言及を挟んでいた。明らかに会話の仕方が違ったのだ」


「…………」


 また突然飛び出した突拍子もない論理に、健人は言葉を失っていた。周囲の人々も思考が追いつかず、ただぽかんと口を開け、話に聞き入っている。


「なるほどにゃあ」


 にゃん太が言った。


「それが本当だとしたら面白い事実にゃ。現実世界では変人がいなくなったことで崩壊が始まった。しかし、ここ白の世界では変人たちだけであれば恒久的な安定を保てるのに、ノイズとしてまともな人間が紛れ込むと崩壊する、と」


「にゃん太様!」ゴン蔵が声を上げた。「解決策は導かれました。この健人を現実世界に戻しましょう。そうすれば、ここ東区の崩壊は止まります」

「うむ」


 にゃん太は口髭をいじりながら思案する。


「今のところ、それが最善の策かもしれないにゃんねぇ……」


 言いながら、にゃん太の表情はどこか納得がいっていない様子だ。


「お、おい…………」


 健人の顔がみるみる青くなる。目の前の神様たちの話は、健人にとっては最悪のシナリオだ。何故なら、現実世界は今、いまだかつて無いほどに戦争が激化し、多くの血が流れているのだ。そんなただ中に放り込まれることは、即ち死を意味する。


「ちょ、ちょっと待て。ほ、他にもきっといい案があるはずだ。早まるな。な? 一緒に考えようぜ」


 しかし、ゴン蔵とゴン太、そしてにゃん太は健人を見、不敵な笑みを浮かべるのみだった。


「ま、さすがにそんなひどいことはしないにゃん」


 にゃん太がにやついた顔を健人によこす。


「おそらく現実世界はもう終わりにゃん。ゴッド様は今の状況をどう思っているか知らないにゃんが、どんな対策を打っても、もう手遅れにゃんね。現実世界の人々は滅ぶ。まともな人々はじきに絶滅するにゃん。あとに残るのは、白の世界の変わり者たちと、ゴン太、ゴン蔵の言うところの唯一まともな人間である健人だけにゃん。さすがに今回の件は天界でも大問題になるだろうにゃ。長らく天界のトップに君臨したゴッド様も、ついに失脚というわけにゃん」


 にゃん太が楽しそうに笑う。


「長らくとは、どのくらいだ?」


 トムが問う。

 にゃん太は両手をパーに開いて示す。


「ほう。十年か。日本の総理大臣に比べれば、かなり長い方であるな」

「違うにゃん。十垓年にゃん」


 場の空気が固まった。


「……がい?」

「そうにゃん。兆の1万倍がけい、京の1万倍が垓にゃん。下界の感覚で考えると驚くだろうにゃ。まあ、でもさすがに神々もうんざりしていたのにゃん。彼がトップに居座った十垓年は、神々にとっても長かったにゃん。彼は、下界がどんなに荒れていようと大した施策は講じないし、たまに講じるとすれば今回みたいなとんでもなく馬鹿げた施策にゃしね」


 健人が拳を握りしめる。


「しっかし、いい迷惑だぜ。これまで、俺たち人間は曲がりなりにもそれなりに生活してたんだぜ? それを、神様の勝手な思いつきでかき乱しやがって」


 にゃん太が眉をひそめる。


「それはちょっと違うにゃん。曲がりなりにもそれなりの生活ができていたのもまた我々神様のおかげにゃん。そして今の状況もまた神様の成すところ。結局、下界の運命は神様が握っているのにゃん。お前たち人間がどうあがいたところで、運命のマイナーチェンジはあるかもしれないにゃんが、大枠は変わらないにゃん。例えば、変わり者が疎まれ排斥される世の中を、お前たちの力でどうにかできたにゃんか?」

「…………」


 健人は言葉を失った。

 にゃん太は他の者にも返答を求めて視線を巡らせたが、誰ひとり答えることはできなかった。それはつまり、にゃん太の発言に皆が同意したことを意味していた。

 そんななか、次第に周辺の崩壊は進んでいた。地面の揺れはさらに激しくなり、辺りは煙っているように灰色にかすみ、空気が薄くなり、地面と壁のひびがより酷くなっていた。


「そろそろ危ないにゃん。もう30分ほどでここは跡形もなく崩壊するにゃん。これから皆を、僕がゴッド様に内緒で作っていた新しい世界に連れて行くにゃん。そこで、引き続き楽しくやろうにゃん」


 にゃん太の言葉のすぐ後、白の世界(東区)から神様3人と、無数の人々が一瞬にして姿を消した。それから間もなく、白の世界(東区)は激しい爆発を起こし、跡形もなく砕け散った。

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白の世界 〜変人たちの鎮魂歌《ウィアドーレクイエム》〜 桐沢もい @kutsu_kakato

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