0x11 そしてまた、春は来る

 コンピューターに、ドラマはない。

 莫大な電子の奔流をなんとかなだめすかして、思い通りに操るモノでしかないから。

 そこに、スポーツのような筋書きのないドラマが発生する余地なんてあるはずもない。

 でも、コンピューターを作っているのは人だ。

 人には、色々な物語が生まれる。

 例えば、反骨精神あふれるたった三人の技術者が作った小さな会社が三十年後には世界を席巻したり。

 あるいは、その会社の元同僚たちが作った会社が何度も逆境に呑まれながらも挫けずに半導体界の巨人に立ち向かったり。

 もしくは、ある技術者が三十歳の誕生日に設立した二人だけの会社が少しずつ業績を伸ばしていき、ある時それが一斉に開花して一大企業になったり。

 そして……たった二人だけの廃部寸前だった部活が、次の春には世界一に輝いたり。

 だから、正確にはコンピューター「自体には」ドラマがない、だろう。

 なぜならば、コンピューターに携わる人たちには様々なドラマがあるのだから。



 部のメールに一通のメールが届いたのは、僕たちが日本に帰った二日後、三月の三十一日だった。

「お兄ちゃん、お父さんからメールが来てるよ。帰る日程が決まった、って」

「マジか、確認する」

 部のメールを偶然チェックしていた道香が見つけたメール。そこには、四月二日に日本に着く飛行機で帰る、と書かれていた。

 僕はそのまま、部のメールで短い返信をする。

「到着ロビーで待ってるよ」

 それから慌てて家の準備をして、電車の切符を買う。蒼は、父さんが帰ってくると聞いた瞬間に

「私も行くわ」

と言って聞かなかった。

 そして今日、四月の二日。

 僕は蒼と二人で成田空港の到着ロビーへやってきていた。

「本当に、帰ってくるんだね」

「ああ、そろそろ出てきてもおかしくない時間だと思うんだけど……」

「弘治くん、ちょっと緊張してる?」

「……ちょっと、な」

「ふふ。私も、ちょっとしてる」

 二人きりだからか、若松を出てから蒼はずっと素のままだ。ほぼゼロ距離で隣に並ぶ、心地いい距離。

 頭上の電光掲示板には、ポートランドからの便が既に到着済みと表示されていた。到着した時間からは二十分以上が経っている。

 久々の日本だし、迷っていたりしないだろうか。そんな不安を抱きつつ、首を長くして待つことさらに十分。

「父さん」

「お待たせ、弘治」

「長旅お疲れさまでした、鷲流さん」

「二人とも、出迎えありがとう。ああ、本当に久しぶりだ……」

 そこに現れたのは、スーツケースを引いた父さんだった。

 スカイライナーに乗って上野へ向かう途中。向かい合わせにした反対側の椅子に座る父さんに、聞きたかったことを聞いてみる。

「よく、こんなに早く帰ってこれたね」

 最後に僕たちがサンノゼのオフィスで別れの言葉を交わしてから一週間も経っていない。あまりのスピード決断だ。

「ああ、有休が溜まりすぎていると上司に怒られてしまってな。その消化も兼ねてだよ、丁度今は俺の仕事も落ち着いている時期だったし」

 父さんはきまり悪そうに笑った。なるほど、フォスターさんの応援もあったのならこんな平日に飛んでこれるのも納得だ。

 話がひと段落すると、話の矛先は蒼に向いた。

「早瀬蒼ちゃん、だったね? 遅くなったけど、いつも息子がお世話になっています」

「いっ、いえいえ。こちらこそ、弘治くんには沢山お世話になりました」

「息子を支えてくれて本当にありがとう。今こうやって元気にやれているのも、君のお陰だよ」

「……なんだか恥ずかしくなってくるね、これ。僕が居ないところで話してくれてもいいんだよ?」

 蒼はどこか緊張しているようで、めずらしくどもっている。確かにちゃんと話したことは無かっただろうし、緊張するのも仕方ないか。何しろ、素の蒼はかなりの人見知りだ。

「……いきなり不躾な質問で申し訳ないけど、もしかして……彼女さん、だったりするのか?」

「なっ!?」

「~~っ!」

 でも、父さんが突然地雷を踏みぬいた。ちゃんと話して数秒でその質問は親としてどうなんだ!?

「なっ、ななな、どうしてそう思ったのさ」

「いや、二人の距離がずっと近いように見えたから……違ったなら申し訳ない」

「~~~~っ!!」

 あ、だめだ。どこで見られたのかはわからないけど、完全にバレている。というか、そんなにバレバレな程だったんだろうか。

「は、はい。その、あの、弘治くんとは……お付き合いを、させてもらっています」

 結局、蒼はそのことを話した。その顔は恥ずかしさで真っ赤に染まっている。

 でも……父さんの顔は、とても優しい笑顔だった。

「そうか、弘治も大切な人を作れたんだな」

「ああ、今年に入るまでずっと塞ぎこんでひねくれてた僕をずっと支えてくれてたんだ。それに、これからも一緒に居たいと思ってる」

「ちょっ、弘治くんもうそれ以上は無理! 恥ずかしくて死んじゃうって!」

 ここまで来れば、もう何を話しても同じだ。思っていることをそのまま口にしたら、流れ弾になって直撃した蒼が限界を迎えていた。

「そうか……蒼ちゃん、いや、蒼さん」

「は、はいっ」

 父さんは、その優しい笑顔を崩さずに蒼に話しかけた。

「これからも、弘治と仲良くしてくれると嬉しい。今まで弘治のことを支えてくれるとありがとう、そしてよければ、これからも宜しく頼む」

「はい、もちろんです」

 その言葉を聞いた蒼は、とても安心した表情を見せる。あれ、父さんに対して人見知りしているようにも見えないし、もしかして蒼が緊張してたのってこうなることを予想してたから?

 上野で新幹線に乗り換えた、その車内。父さんがお手洗いに席を立ったタイミングで確認してみる。

「蒼、もしかして今日ずっと緊張してたのって……父さんと初めて話すからだけじゃなくて、彼女として彼氏の父親に話す、ってこともあったりした?」

「っ、そ、そんなことないわよっ」

 強がりを言うために普段の蒼に戻ってしまった。でもそれは、直接言葉にするよりも雄弁に蒼の心情を物語っている。本当にかわいいな。

 そう思って蒼の顔を眺めていると、顔をさらに真っ赤にして俯いてしまった。

「……ほんとは、そう。ずっと、何を話したらいいか考えてたの。だって……弘治くんのお父さんの印象、悪くしたくなかったし……」

「そっ、か」

 改めて本音を口にされると、こっちも恥ずかしくなる。お互いに照れてしまうのは、この関係になって四半期が経過しても相変わらずだ。

 父さんが戻ってきてからは蒼も緊張しながら会話を続け、若松に到着する頃にはかなりその緊張も和らいでいたようだった。

「ここからは、お父さんが車を出してくれているはずなので……あっ、いました」

 若松の駅から家までは、昌平さんが車を出してくれている。運転席から出てきた昌平さんに、父さんはまず頭を下げた。

「お久しぶりです、早瀬さん。長い間……いろいろと大変ご迷惑をおかけしました、申し訳ありません」

「いえいえ、気にしないでください。さあさあ、積もる話はまた今度にしましょう。蒼と弘治くんも乗っちゃって」

「はい、ありがとうございます」

 車は静かに走り出すと、五分と少しで僕の家の前に着いてしまった。

「わざわざすみません、こんな夜遅くに、うちの前まで乗せていただいて」

「いいんですよ、明日の夜にまたお会いしましょう」

「ありがとうございます。はい、また明日の夜宜しくお願いします」

「おやすみ、弘治くん。また明日」

「ああ、また明日ね、蒼」

 二人で車を降りると、昌平さんは車を切り返して隣の早瀬の家へと戻っていった。玄関のドアの前で、二人で立ちどまる。

「ここで、天は暮らしてたんだな。本当に懐かしいな……」

「そうだよ。ここが、僕と母さんの家」

 元々は咲場家の家で、母さんが高校生の時に建て直したのだというこの家。父さんが来たのは数えるほどだったというから、あまりなじみのない家なのは間違いない。

 だから、鍵を手早く開けると先に家へと入る。そして、八年ぶりになる挨拶を交わした。

「おかえりなさい、父さん」

「ああ、ただいま。弘治」



 その翌日、身支度を整えた僕たちはタクシーに乗った。昨日のうちに買ってあった花と一緒に。

 辿り着いたのは、母さんの眠る公営墓地。

「父さん、ここだよ」

 咲場、と掘られた墓石の前で、僕は足を止める。約束通り父さんと二人でこの場所に来たよ、母さん。

「ここ、が……」

 父さんは、辛そうな顔でお墓を見つめる。その目が墓碑の方を向いたところで、その目から一筋の涙がこぼれたのを僕は見てしまった。

「……僕は水を汲んでくるよ。父さんは待ってて」

 だから、一人にしてあげたくてその場を離れる。きっと、子供に見られたくない姿もあるはずだ。

 背を向けて数歩、僕の後ろからは声が聞こえてきた。

「天……本当に、本当にすまなかった……っ! どうして……っ」

 積年の後悔と悲しみ、そして誰も責められないことへの苦しみ。

 最愛の人を亡くした実感が、ようやく襲ってきたんだろう。

 できるだけその声を聞かないようにしながら、僕は水場へと向かう。

 たっぷり十分ほど使っただろう水汲みを終えてバケツと柄杓を持って帰ると、父さんはかなり落ち着いたようだった。

「ありがとう、弘治」

 その目は、真っ赤に泣き腫らしている。でもこれで、ようやく父さんも母さんの死を受け入れることができるんだろう。

 二人で協力しながら墓石に水を掛けて綺麗にすると、花を活ける。春の彼岸を過ぎたモノクロの墓地の中で、母さんのお墓だけが色を持った。

「はい、父さん」

 それから線香に火を点けると、半分を父さんに渡す。一緒に香炉に置くと、静かに母さんに手を合わせた。

 こうして父さんと一緒に来れたのも、母さんのおかげだよ。

 本当に、本当に……ありがとう。

 これからも、ずっと遠いところから見守っていてくれると嬉しい。

 去年ここに来た時から、さらに色々なことがあった。報告しようと思っていたことは沢山あったけど、心の中でも言葉にできたのはこれだけ。

 でも、それで十分だ。また報告したいことが出来たら、その時に訪れればいいんだから。

 父さんもしばらく手を合わせていたけど、やがてその顔を上げた。

「……お待たせ、弘治」

「うん。行こっか」

 こうして、父さんをお墓参りに連れて行くという、大事な出来事の一つは終わった。

 そして、もう一つの大事な出来事も。

 その日の夜は、早瀬の家に父さんと一緒にお呼ばれしていた。

 今回もゲストが居るということで腕によりをかけまくった料理の数々が並ぶ中、父さんは小さくなりながら話をしていた。それはそうだ、お金を出しているとはいえ自分の子供をずっと預けっぱなしにしていたのだから。

「それで、鷲流さんはこれからどうされるおつもりなんですか?」

「……はい。色々考えたんですが、早瀬さんさえ許していただけるのであればまたアメリカに戻るつもりです。私には、成し遂げたいことがあるので」

 だけど、これからの話になった瞬間その目が変わった。

「そうですか。弘治くんとも話されたんですか?」

「はい、僕も話しました。父さんの夢は、母さんの夢でもありました。それなら僕は、応援しない理由はありません」

「そうか……」

 それから数秒悩むような表情で固まる昌平さん。その表情にはやっぱりどこか迫力があって、僕さえも背筋に冷たい汗が流れるほど。

 でも、そうして悩んでくれているのは僕たちの将来のことを案じてだろう。それが、もう一人の親のようで嬉しかった。

「それであれば、私がそれを止めることはできません」

 悩んだ結論は、優しい言葉だった。

「ですが、弘治くんを、アメリカに連れていくことはできないんですか? 私たちは全然構わないのですが……弘治くんのことを考えると、肉親の元で過ごした方がいいんじゃないかとも思いまして」

 続いたのは、僕たちの間でも話し合ったこと。その声色は心配げで、本当に僕のことを案じてくれているのがわかる。肉親とちゃんと話が出来るようになった今、このままの暮らしを続けるのが本当にいいのか考えてくれたようだ。

「ええ、出来ます。サンノゼには日本人学校もありますし、日常生活さえなんとかなれば向こうでも――」

 父さんが、僕に話したのと同じようなことを言う。これも僕たちの中で結論が出ていることだったから、そのまま話を聞いていると。

「嫌っ」

 蒼が、父さんの言葉を遮って立ち上がった。

「ちょ、蒼?」

「私は嫌っ、もしそうするなら、私もサンノゼに行く」

 珍しい蒼のわがままに、静まり返るダイニング。

「ふっ、あははっ」

「な、なんで笑ってるのっ、離れ離れになっちゃうかもしれないんだよ!?」

 そう言ってくれるのが嬉しくて、でもちょっと恥ずかしくて。

「昌平さん」

「どうした? 弘治くん」

「そのことも、実はアメリカで父さんとも相談しました。でも、僕は今の学校が好きなんです。気の置けない友達がいる今の部活が好きなんです。そして、蒼と一緒に暮らせるこの暮らしが……とても大切なんです」

 僕も、思いの丈をできるだけ言葉にして伝える。お願いするのだから、誠心誠意尽くさないと。

「なので、昌平さんがよければなのですが。僕はこのまま、お世話になる形を続けさせていただけないでしょうか」

 頭を下げた。正直、自分勝手なことを言っているつもりはある。でも、これだけは……譲りたくない。

「ということらしいよ? 蒼」

「……」

「えっ……?」

 ぽかん、として顔を上げると、あらあら、と言いたげににやにやしている早瀬夫妻と苦笑いの父さんと翠ちゃん、そしてフリーズしている蒼が居た。

 もしかして、またやってしまった?

「弘治くん、別に君をアメリカに送り返したいって話じゃないんだ。君が望むなら、うちで暮らしてもらうのは全然構わないんだよ」

「これなら、弘治君のお部屋も準備した方がよさそうね?」

「ちょっ、お母さん!?」

「兄さんが本当の兄さんになる日も、そう遠くは無さそうですね」

「翠ちゃん!?」

「……という本人たちの希望もあるようですし、もし早瀬さんさえよければなのですが……息子はこのまま、こちらでの暮らしを続けさせてもらえないでしょうか?」

「ええ、さっきも言った通り全然構いませんよ。鷲流さんと話をされていたのであれば、それ以上私たちが言うことはありませんから」

 ……とまあ、とんとん拍子に話はまとまってしまった。正直、拍子抜けだ。

「よかったね、姉さん」

 翠ちゃんの言葉がとどめとなって、わなわなと震えだす蒼。あ、これは恥ずかしさが限界を迎えたやつだ。

「……っ!」

「あっ、蒼!」

 結局、蒼はリビングから逃げ出してしまった。

 照れ隠しに悪態の一つくらいついても文句は言わないのに、それが出来ないあたりに蒼の人の良さが出てるなあ。本当に、昌平さんたちの教育の賜物だ。

 そんなことをしみじみと考えていると、昌平さんに声を掛けられる。

「弘治君」

「はい」

「本当のお父さんが居る前でこんなことを言うのも失礼かもしれないけどね、私たちは弘治君も家族だと思っているよ。だから、さっきみたいにやりたいこと、思ったことがあったら素直に言ってくれていいんだ」

 その言葉は、小市さんからも聞いた言葉。

「もちろん、出来ないことだってあるかもしれない。でも、無理に大人にならなくていいんだ。迷惑上等、それくらいじゃないと」

 みんな笑顔で、僕のことを迎えてくれている。確かに、僕からわがままを言ったのは……初めてかもしれない。

「ありがとうございます。これからは、一杯頼らせてもらいます」

「ああ、それでいい」

 そう答えてくれた昌平さんの笑顔は、何度も見た、優しさに満ちた笑顔だった。

「蒼ー? さっきは悪かったって」

 それからすぐに、大人の話ということで父さんと昌平さんだけをダイニングに残して解散となった。

 翠ちゃんと金江さんはリビングに行ったようだけど、僕は逃げ出した蒼の部屋に向かう。

「……開いてるよ」

 ドア越しに聞こえてきたのは、本当に珍しい拗ねたような声。その言葉の通り、ドアに鍵は掛かっていなかった。

「ちゃんとそこまでお父さんと話をしてたなら、言ってくれてもよかったのに」

 その先には、椅子に座って枕を抱きかかえた蒼が居た。布団には転がったような跡がある。……きっと耐えられなくなって、ここでじたばたしてたんだろうなあ。

「ごめん、ここまで踏み込んだ話を皆の前でするって思ってなかったんだ」

 上目遣いのじとっとした目で見つめられると、そんな蒼も可愛くて思わず笑みがこぼれた。

「ああっ、今笑ったぁ!」

「いや、蒼は本当に可愛いなあって」

「なっ……」

 びっくりしたまま再びフリーズしてしまう蒼。誤解されるのも嫌だし、思ったことは言葉にして伝えてしまえ。

「僕は本当に嬉しかったんだ、蒼がああ言ってくれたこと。それで舞い上がって僕も蒼と一緒に自爆しちゃったくらいに」

「う~~っ」

 それを聞いた蒼は、枕に顔を突っ込んでうなってしまった。

「私も、嬉しかった……ありがと」

 でもすぐに、目だけ見えるくらい顔を出してくれる。その仕草に再び胸をやられた僕は言葉選びをしてる余裕もなく、思いついた言葉をそのまま言った。

「というわけだから……これからも、よろしく」

「うん、私からもよろしくね。弘治くん」

 ようやくにっこりと笑ってくれる蒼。思わず目を背けてしまうくらいに、その破壊力は抜群。こんな蒼と過ごせる毎日が続くんだ、ちょっと恥ずかしい思いをしたくらいなんだ。



 そんな若松での父さんとの日々は、あっという間だった。

「じゃあ、そろそろ行ってくる」

 四月の五日、月曜日の朝。

 僕はアメリカへと戻る父さんを見送りに、会津若松の駅にやってきた。

「次はいつ帰ってくるの?」

「そうだなあ……次は、十二月かな」

 その時期と言えば、母さんの命日がある。次はそのあたりで帰ってくるのかな。

 また近づいたら調整することにしよう。

 そこまで考えて、僕はあることを思い出した。

「父さん、メールアドレスを教えてよ」

「メール?」

「うん、WINEとかでもいいけど」

 そう、僕は父さんの今の連絡先をちゃんと知らなかった。父さんは職場のメール、僕は部のメールだとあんまりプライベートに使うのは憚られる。

「僕も、父さんにメールするよ。学校であったこと、今どんなことをしてるのか、将来のことで、考えたことも。時々、電話してもいい」

 それに、僕は考えていたことがある。

 やっぱりこの四日間でも、父さんとふたりで何を話したらいいかわからなくなる瞬間があった。でもそれは、お互いの間に大きな空白があるからだ。

「そうすれば、ちょっとずつ……前みたいに、戻れると思うから」

 だから、少なくともこれからは、その空白が生まれないようにしたい。

「それに、そうすれば……父さんのことも応援できるし」

 それと、母さんみたいに、でも無理をしない程度に。父さんの後押しができればいいな、と思った。

「はは、そうだな。親子なのに連絡先も知らないなんて……」

 父さんはそう言ってスマホを取り出す。メールとWINEを交換して、いよいよやり残したことは無くなった。

「元気でね、父さん」

「おう、弘治も。あんまり早瀬さんとこに迷惑をかけすぎるなよ」

「うん、程々にするよ」

 僕の返事に、苦笑いの父さん。それに割り込むように、駅の放送が響いた。

「まもなく、一番線から快速列車の郡山行きが発車します。ご利用の方は――」

「っと、本当に行かないとだな」

「じゃあ、挨拶」

 そう言って手を伸ばすと、父さんはその手を取った。父さんから教えてもらった、小さい頃は大人っぽいと思っていた挨拶である握手を交わして、手を離す。

「またな、弘治」

「うん、またね」

 そうして、父さんは改札へと消えていった。

 僕はその背中が見えなくなるまで見送ると、家へと戻る道を歩き始める。

 昔のような寂しさも、不安もない。

 僕たちはいつでも、電子の海を通して繋がることができるから。



 ピピピッ、ピピピッ。

 ピピピッ、ピピピッ。

 無機質な電子音が静寂を破る。閉じられた瞼の向こうには光を感じた。

 だけど、その程度の不当な圧力に僕は屈しない。もう少し粘れば、いいことがあるのを僕は知っているからだ。

 音をかき鳴らす騒音源を手探りで止めると、そのまま布団で籠城戦を始めた。

「……、そろそろ起きて。弘治くん」

 優しい声が耳に入ってくる。開いた窓から流れ込んでくる冷気さえ吹き飛ばしてしまいそうだ。

 シャーッ、という軽快な音とともに、差し込む光が増えた。そろそろ潮時だろうか。

 次の瞬間、頬に柔らかくて温かな感覚。

「っ!?」

「あ、やっぱり起きてた」

 刺激的な起こされ方に思わず飛び起きると、そこには穏やかな笑顔の蒼が居た。

「おはよ、蒼。最高の目覚めだよ」

「何言ってるのっ、もう……。そろそろ支度して出ないと。皆に怒られちゃうよ」

「だな。ふあーぁ」

「じゃあ私は下で待ってるね。朝は作っておくから」

「おお、悪い。明日は僕がやるよ」

「楽しみにしてるね」

 時計を見ると、朝の六時十五分。いつもの部活の列車に余裕で間に合う時間だ。

 そう、今日は四月の七日、始業式。

 蒼謹製の朝ご飯を頂いてから、僕たちは揃って家を出た。

「おーっす」

「よお、今日はちゃんと寝たのか?」

「いや? 当たり前じゃん」

「何が当たり前なのよ……」

「言っとくけど、宏もだからな。あいつ寝てんじゃね?」

「最悪だな」

 家を出たところで、相変わらず目の下のクマが酷い悠と合流。一緒に駅に向かい、列車に乗り込む。

「あ、おはようございますっ」

「おはよう、道香」

「おーっす桜桃」

 部活に向かう生徒がたくさん乗っている列車の中で、道香を偶然見つけた。

「っし、セーフっ!」

「お、奇跡が起きたぞ」

「まさか起きてるとは思わなかったわ」

「お前、寝てたはずじゃ……!?」

「今日は午前中が全部睡眠時間みたいなもんだからな」

「最悪ですね……」

 さらには、隣の駅からは宏も飛びこんできた。これで五人だ。列車を降りると、どうでもいいようなことを話しながら学校へと向かう。

 道路に植わっている桜は、薄桃色の花を開き始めている。来週にはきっと満開になるだろう。みんなでお花見とかしたら楽しいかもな。

「おはよーみんな、うわっ酷いのが二人いるね」

「……結凪が言うの? それ」

「先輩方、おはようございますっ!」

「おはよう、みんな」

「狼谷先輩、おはようございます」

「うわっ、道香酷い! ボクのことスルーするなんて」

「いや、背後霊はちょっと……」

 部室には残りの皆が揃っていた。砂橋さん、狼谷さん、そして新しく加わった雪稜さん。

 道香が言った通り、背後霊みたいに砂橋さんに取り憑いているのも……きっと見慣れた光景になっていくんだろうなあ。

「じゃあ、ミーティングするわよ。A会議室でいいわよね?」

「いいよーん」

 というわけで、皆でA会議室に集まった。始業式の日なのに、こんなに早く集まったのにはもちろん理由がある。

「じゃ、第一回新人勧誘の作戦会議をするわよ」

「はーいっ」

「宜しくお願いしますっ」

 それは、明日に向けての布石を打つためだ。

「春休みの間にやればよかったね」

「まま、休みも大事だからさ。それまで働きづめだったわけだし、砂橋ちゃんもそうだろ?」

「確かに、いいリフレッシュにはなったけど」

「おかげで久々に宏と二十四時間耐久が出来たよ」

「お前ら……」

 星野先輩は卒業してしまったけど、あの人のことだからどうせふらっと放課後に現れたりするだろう。

 ちょっと寂しくなって、同じだけにぎやかになったコン部の今年度の活動が今、始まった。

 その翌日、入学式の日。

 蒼と道香のコンビが体育館に消えたのを見送ると、僕たちも準備を整えた。

「んじゃ、ビラ配り部隊も行きますか」

「頑張る」

「期待してるよ、狼谷さん」

 僕たちの手には沢山のビラ。部員募集の紙だ。

 去年は全然人が集まらなかったけど今年はどうだろう。こればかりは蒼と道香の話術に期待するしかないな。

「ビラ配りに野郎、要るか?」

「いーや、要らないね。そう思うだろ?弘治」

「何しろアイツらが役に立ちそうにもないからな」

「任せて」

 メンバーは狼谷さんと僕、それに置物が二人だ。僕も野郎が必要だとはあまり思っていないけど、数で押してくる電工研に勝つにはどうしても総動員が必要だ。

「そろそろ出なきゃなんだけど……」

「二人、居ない」

 砂橋さんと雪稜さんはちょっと待ってて、と言ったきり姿を見ていない。蒼に密告してまたメイド服の刑かな? とか考えていたところで、エレベーターのドアが開いた。

「お待たせしました、ちょっと着替えさせるのに手間取っちゃって」

「わ、なんだそのプラカード」

「昨日倉庫で発見したんです!」

「んで、なんで砂橋さんはメイド服……?」

 降りてきたのは、メイド服姿の砂橋さんを抱えた雪稜さんだった。片手には大きく電子計算機技術部、と書かれたプラカードを持っている。なかなか頭痛がしてきそうな情報量だ。

「目立ちますから! ちょっと今はアレなので、ボクがサポートします!」

「ワタシハメイドデス……ヨロシクオネガイシマス……」

「結凪、壊れてる」

「何したんだよ……」

 その肝心の砂橋さんは完全にロボットになっていた。砂橋さんがこうなると、二人の組み合わせは大丈夫かな。結構人見知りする雪稜さんのフォローを砂橋さんがするプランだったんだけどなあ。

 でも、砂橋さんを一人にして雪稜さんに狼谷さんを付けるのはもっとまずそうだ。僕が付いても人を置く場所が減っちゃうし、野郎は論外。

「まあいいや」

 とにかく、これでビラ部隊は全員揃った。一人既に正気を失ってる人がいるけど。

 ま、なんとかなるか。

「じゃ、昨日のミーティングで決めた場所で皆よろしく。何かあったらWINEで」

「敵前逃亡は?」

「略式軍事裁判を省略してメイド服の刑」

「野郎でもか?」

「野郎は極刑だ。解散!」

 にぎやかなメンバーを校内に解き放つ。去年は僕一人と逃亡した砂橋さんだけだったと考えると、やっぱり感慨深いな。

 僕は去年と同じ、体育館前の通路だ。一番の激戦区だから、説明をやってる蒼と道香が合流してくる予定になっている。

 しばらく待っていると、ガラガラという重い音とともに新入生が吐き出されてくる。それと同時に、通路は周りからのさまざまな声に包まれた。

「電子計算機技術部でーす! よろしくお願いしまーす!」

 去年を思い出すビラ配り戦争だ。なんとか一枚でも多く貰ってもらおうとしていると。

「兄さーんっ」

「おっ、翠ちゃん」

 見慣れた姿がとてて、と近寄ってきた。ウチの制服に袖を通した翠ちゃんだ。制服が届いて嬉しかったのか、何度も家で着ていたのは内緒。

「入学おめでとう」

「ありがとうございます。早速一枚頂いてもいいですか?」

「もちろん。コンピュータ系の部活に入るならウチに是非」

「はい、前向きに考えておきますね」

 いたずらっぽく笑う翠ちゃん。コン部に入るって家で言っていたから、本当にジョークだろう。だよね?

「お待たせシュウ……って、何サボってるのよ」

「蒼、ようやく来たか」

「解放されるのに思ったより時間が掛かったわ」

「お待たせお兄ちゃんっ」

「道香も、お疲れ様」

 ハートフルな翠ちゃんとの会話を楽しんでいると、説明会組の蒼と道香がようやく応援に来てくれた。僕の前にいる子が翠ちゃんだと気付くと、道香は楽しそうにその手を取る。

「あーっ、翠! 入学おめでとうっ」

「ありがとうございます、道香ちゃん」

「うっ、なんだか釈然としない呼び方! お兄ちゃん、翠がいじめるのっ」

「そんなこと言っても、兄さんは多分私の味方ですよ」

「えっ、どうして?」

「だって兄さんは、将来私の本当の兄さんになる人ですから」

「あーっ、それ反則反則! はい禁止カードでーす!」

「ちょっ、何言ってるの翠!?」

 翠ちゃんが頭部直撃のデッドボールを投げ始めて、道香が拗ねてしまった。ほんと、いつの間に仲良くなったんだろう、一緒に話す機会はあんまり多くなかったんだけどなあ。妹つながりで何か通じるところがあったのかな。

 その跳弾を受けた蒼も顔を赤くしている。……もしかして、翠ちゃんはそういうキャラで行くんだろうか。

 突然火薬庫と化した翠ちゃんは、僕たちに改めて向き直ると真面目な表情に戻って頭を下げた。

「姉さん、兄さん、道香先輩。これから宜しくお願いします」

 どんな危険球が飛び出すのかとちょっとはらはらしてたけど、安心した。やっぱりさっきはテンションが上がっていただけかな。

 一方、さっき危険球を喰らった道香も満面の笑みを見せた。

「うんっ、こちらこそよろしくね! 翠ちゃん」

 それから、翠ちゃんもビラ配りを手伝ってくれる。ちょっと人混みが落ち着いてきたところで、蒼が話しかけてきた。

「今年は何しようかしら」

「そうだなあ、世界大会二連覇目指すか」

「まずは大きな大目標ね。状況によっては冬季部門技術大会に出てもいいかも」

 世界大会を目指すのは当然だ。僕たちだって二連覇を飾りたい。

 他にも、PE資格ごとに別れて各分野の技術を競う冬季部門技術大会だってある。もし万が一負けてしまったり、チームを分けるようなことになったら片方はそっちを狙ってもいいかもな。

「CPUだけじゃなくって、GPUとかもやってみたいですね。構造難しいですけど」

「あれって、ドライバが大変ですよね。ちゃんと準備出来る人がいないと」

「よく知ってるね翠ちゃん、そうなんだよねえ。うーん……」

 それに、道香の言う通り半導体はCPUだけじゃない。

 コンピューターに限っても、3Dの描写や行列計算を高速に行うGPUや書き換えのできるICであるFPGA、それにメモリ技術だってある。マイコンみたいな、小さくて消費電力が少ないチップを作るのだって楽しいかもしれない。

「ふふっ、出来ることは一杯あるわね」

 コンピューターを取り巻く世界は、日進月歩を超えて、秒進分歩とも言うべきスピードで変わっていく。その中に居ればやること探しなんて終わらないくらい、僕たちには出来ることが一杯あるんだ。

「生徒の呼び出しを致しまーす。3年A組、早瀬蒼さん。3年3組鷲流弘治くん。至急教員室へ来てください」

「ちょっ、呼び出し!?」

「あー、捕まったのかな」

「思い当たる節があるの?」

「砂橋さんがメイド服着てたんだよね」

「ちょっ、止めなさいよ!」

「面白いから、捕まるまではいいかなって」

「はあ……ごめん道香、翠。ちょっと行ってくるわ」

「程々で切り上げて部室に戻っちゃっていいからね」

「はーいっ、ごゆっくりー」

 ……でも、まずはこの後始末をするのが先決だな。

 僕と蒼は、桃色に染まりかけの木々の下を、二人で教員室へと走っていく。

 今年もまた、長い冬は終わり、春が来る――


―――――――――[Over the ClockSpeed! END]―――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Over the ClockSpeed! Ⅲ 大野 夕葉 @Ono_Yuha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ