1-on-1 #3
三度目ともなれば、もう迷いもしない。会議室の中に父さんの姿を認めると、僕はそのまま扉を開けた。
「また時間を作ってくれてありがとう、父さん」
そう言って、向かいの席に座る。一昨日と同じだ。
「凄いな、お前たちは」
でも今日は、父さんがすぐに口を開いてくれた。
「そうだね。蒼も、砂橋さんも、道香も。狼谷さんや星野先輩、悠に宏だって……みんな、すごいよ」
心からそう思う。本当に、みんなのお陰だ。
そんな僕を見て、父さんは……もう何年ぶりになるのだろう。優しい笑顔を見せた。
「……おめでとう弘治。よく、頑張ったな」
「……あっ」
その表情とその言葉が、小さな時に一杯褒めてくれた父さんと重なる。僕の緩くなった涙腺から涙を引っ張り出すには、それだけで十分だった。
「ありがとう、父さん……」
勝手にこぼれる涙を拭いて、改めて父さんに向き直る。昨日の会場で見た時よりも、幾分か顔色が良くなっているように見えた。
それから、父さんは優しい笑顔のままで聞いてくる。
「お前も、あのチップにSkylake、って名付けてたんだな」
「うん。母さんが、私の名前が入ったチップなんだよって話してたのを思い出したんだ」
「そう、か……」
「父さんは、どうしてあの名前にしたの?」
もう、なんとなく予想はついている。父さんの口から語られた理由は、やっぱり思った通りの理由だった。
「天の名前が入ったチップを、何らかの形で残したかったんだ」
「父さんも、そうだったんだね」
「だから、発表で聞いた時は驚いたよ」
「壇上から見てたよ。父さんのびっくりした顔」
「そうか……」
少し照れくさそうに笑う父さん。その姿はやっぱり、まだ日本に居た時に何度か見たことがあるのと同じだ。そのことに、なんだかとても安心した。
それから、しばらくの沈黙。でも四日前とは違う、どこか穏やかな静けさ。
重そうな口を開いて、ためらうように父さんは聞いてきた。
「……弘治は、許してくれるか? こんな父親失格の男のことを」
「うん、許すよ」
だから、その言葉はあっさりと出た。
「父さんだって、悪くないのはわかった。そりゃ、あの後もうちょっと日本に居てくれたなとは思ったけど……」
「そう、だよな」
「でも、ちゃんと理由があるって知れた。それだけで、僕は十分だよ」
確かに、無責任だと思う。親としてするべきことをしていたとは言えない。
だけど……それも含めて、僕は許そうと思った。いや、許したいと思えた。
父さんは大きくため息をついて、天井を見上げる。
再びしばしの沈黙。それから、ぽつりと言葉を漏らした。
「結局、俺はまだ受け止めきれてないんだと思う。天が居なくなってしまった、ってことを」
それは、きっと僕に向けての言葉じゃない。父さんが、自分自身に向けた言葉だ。
「いい加減、向き合わないといけない時が来たんだな……」
そう零す父さんの目じりには、涙が光っている。大切な人を失って、しかもその最期の時にすら居合わせることができなかった。
その悲しみは……蒼に置き換えて考えると、とてつもないものだったんだろう。
「墓前に捧げるとかなんとか言って、結局俺は天の墓の前に立つのが怖かっただけなんだ」
だから、その言葉は僕の胸にすっと染み込んだ。僕が一昨年までお墓の前に立つのにあれだけ酷いことになっていたのも、きっと父さんと同じ。受け入れられなくて、その事実を見たくなくて……記憶に、長い間蓋さえしてしまう程に。
気持ちの整理をつけるためだと思う。無言の後、真面目な表情に父さんは戻った。
「お前が、そしてお前を支えてくれている皆さんが許してくれれば、俺は、アメリカにまだ残りたいと思っている」
「そっか。お仕事だもんね」
「ああ……場所を超えて皆を繋ぐ、少しでもその手助けをしたい。大事な仕事だから」
「母さんが言ってたことと、同じだね」
母さんの受け売りの言葉。でも、それが父さんの口から出てきたのが嬉しかった。
母さんが最期に残した言葉、父さんの仕事は、世界を繋ぐ道具を作ること。それを大切にすることは、きっと過去に囚われるのとも違うことだと思う。
「それでも……いいだろうか」
「僕は、父さんと日本で一緒に暮らしたい、なんて言うつもりはないよ」
だから僕は、そんな誇らしい仕事をしている父さんを応援したいと思う。
「弘治がアメリカに来る、というのはどうだろう? ちょっと言葉の壁が大変かもしれないが」
父さんの提案は、僕も少し考えていたことだった。僕が日本を離れて、父さんと一緒にアメリカで暮らす。道香と同じ格好だ。
「それも考えたけど、許されるなら……僕は日本で、あの町で暮らし続けたいと思ってる。僕は、今の部活の皆が好きだから」
だけど、もし早瀬の家が、支えてくれる皆が許してくれるのであれば、僕は今の暮らしを続けたい。部の皆と、そして蒼と離れ離れになるのは……単純に、僕が嫌だ。
蒼や早瀬の家、それからみんなに迷惑を掛けてしまうこともあるかもしれない。けど、今だけは、それが許される間は、優しさに甘えたいと思った。
「そう、か」
父さんも、その返事は予想していたのかもしれない。少し寂しそうに、でも諦めるように笑った。
「でも」
だけど、一つだけ伝えたいことがある。とても大切なことだ。
多分、僕以上に父さんにとって。
「年に一回くらいは、母さんの前に顔を出してやってほしいな。その方が、母さんも喜ぶと思うから」
「そう、か」
父さんが再び遠くを見つめる。まるで、天国にいる母さんと話をするように。
ほんの少し足りない勇気を、分けてもらおうとするかのように。
「それに、そう決めたならちゃんと早瀬と柳洞の家にも伝えないとね。これからも、僕はお世話になるだろうから」
そしてもう一つ、大切なことがある。今までは、成り行きでお世話になっていた蒼と悠の家。こっちにも、きちんと筋を通して話す必要があるだろう。
「そうだな。それも……親の仕事だな」
そう言った父さんは、もう遠くを見ていなかった。今ならわかる。あの日の前の、成田空港でお別れを言う前に何度も見た、父親としての目だ。
なんだ、やっぱり父さんは父さんじゃないか。
「わかった。一度、日本に帰るよ」
頷いたのを見て、僕は自分の表情が自然と笑顔になるのを感じた。
「うん、待ってる。詳しい日程が決まったら教えて」
「ああ。そう遅くはならないはずだ」
父さんが手を差し出す。僕はその手を、八年ぶりの手を取った。記憶にある感触よりも細く、荒れたその手。一年、いや六年以上掛けて、握手を交わすことが出来た。
早瀬の家や柳洞の家、部活のみんな、そして桜桃夫妻。色々な人の助けを得て、僕たち親子はここまで辿り着けたんだ。そのことを、僕は一生忘れないだろう。
「さあ、そろそろパーティーが始まってしまう。優勝校のプロマネが居ないなんてことにならないように、早く行きなさい」
「うん、そうするよ。きっと皆も待ってるし」
僕は席を立つ。
「またね、父さん」
「ああ。近いうちに、また」
それからドアに手を掛け、先に部屋を出た。
再会を誓う別れの言葉を交わして。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます