第十七話 疫嬢の戦いの果てにⅤ

 ——少しの睡眠は取れたと思う。


 自分の寝息を感じながら目が覚める。

 そこにそれは突然に現れた。


 木々の間から現れたは、私の何倍もある大きさで、全身を鋼のような黒い毛でおおわれていて、毛並みはあの黒い粒で出来ている。


 獣の周囲が歪みを生じて見える。

 狼というよりは猪に近い。

 絶対に煮ても焼いても美味しくなさそうなは、一目で魔獣だと分かった。


 果実の様に鮮やかな黄色い瞳が、私を獲物だと認識しているのが分かる。


 後方に飛んで低姿勢で、を構える。

 魔獣はグルルルと低く唸ると、大きな木々を器用に避けて突進してきた。

 軽く避けてこん棒を叩き込もうと空中で力んだ私に、魔獣は素早く振り返るとその勢いで、私の腕よりも太い尻尾を、貧弱な脇腹に叩きつけてきた。


 敵のレベルが急に上がり過ぎだよ。

 難易度は徐々に上がるでしょ? 普通は。

 

 吹き飛んだ衝撃で木にぶつかり、木の幹が私の形に砕けても、それくらいの事を考える余裕はまだある。


 何とかなる——と、油断していた数秒前の私を心底恨む。


 魔獣も今の一撃で仕留めたつもりだったのか、仕留めきれなかった私を見て牙を剥き出しに本気の形相だ。


 そんな顔すると怖いんだけど。

 確かに、スライムには顔が無かったし、最近はスライムを倒す事が流れ作業になっていたから、改めて魔獣というモノと対面するとどうやって戦ったら良いのか分からない。


 それでも、魔獣は待ってはくれない。

 当然だよね。

 魔獣も私を食べようと思ってるんだもんね。

 食べようと思ってるのかな? なんて、雑念が湧き出る私を、数段階スピードを上げて襲いかかってくる。


 魔獣さん?

 そんなにまだ余力があるのですか?


 体当たりは木々を揺らし、前足の一撃は軽々と木々を抉る。そして、とにかく早い。


 スライムを遅く感じていた今日この頃。

 これは私の完全なる怠慢だ。

 既に3回はまともに攻撃を受けている。


 金槌で間違って思いっきり手を叩いてしまったくらいの痛みが、幅広く全身に三回も突き抜けている。


 それでも立ち上がる私は偉い。


 そんな事を、魔獣さんはお構い無しに大きく口を開けて鋭い牙で襲って来る。

 やっぱり食べる気だな——と、その牙を避けて変わりに一発、アル様特性のこん棒の一撃を顔面に叩きつける。

 スライムだったらこれで終わりだけど、魔獣さんは、少し後退して顔を振って、怒りの沸点を上げている。ダメージはほぼない。

 これで無傷だったら逃げようと思っていた。逃げて塔に帰ってアルに謝ろうって。それくらいの、レベルの違いを見せつけられた。


 でも、実際には私が逃げる隙なんて与えてくれない。


 そんな魔獣さんが、一瞬振り返り何かを警戒した。その瞬間に一気に逃げる。

 これは絶好の好機と、敗走しているにも関わらず口元に笑みさえ溢れる。


 でも——


 獣さんの演技だったんだと思う。

 逃げる様に促されたんだと悟る。


 全速力で逃げる私を、後方から巨大な火の塊が包み込む。

 その炎は私の半身を焼き、私の身体を吹き飛ばし、轟音を立てて霧散した。


「ああぁああぁつい、いたぁああいいぃ!」


 胴から左半身にかけて痛みとも熱ともわからない鈍痛が支配する。


 その場で悶える事しか出来ない。

 確実に殺される。

 嫌だ、死にたく無い。


 勇者は死な無いって、言ってたけど。

 そんなの無理、死にたく無いよ。


 残った右腕で胴体を引きずり、とにかく魔獣から遠ざかる。


 右手を動かす度に、身体を引きずる度に鈍痛が響く。


 近付く様子が地面の振動で分かる。

 恐怖で後ろを振り返る事も出来ない。

 視界がボヤけてくる。

 痛みで上下がわからなくなる。

 思考も鈍くなってきたのがわかる。


 死にたく無い。

 死にたく無い。

 死にたく無い。

 死にたく無い。


 魔獣が目の前に立ち塞がる。

 私は卑しくも怯えた目で、魔獣に命乞いして、最後まで足掻く。


 ——死にたく無い。


 命乞いが無駄だという事は、理解している。

 

 スライム達でさえもその事を理解していたから、最後の最後まで私に足掻いて見せた。


 胸の奥から熱いものが込み上げて来る。

 命乞いをしてみせた自分が恥ずかしい。

 何が勇者だよ。

 私弱いままじゃん。


 アルに反抗して森に入っ、て結局死にましたってカッコ悪すぎる。せめて、最後まで足掻いて見せなきゃ。


 瞳を閉じて息を吐き出す。全身の感覚を右手に集中して、こん棒を握りしめる。

 魔獣が魔力を迸らせて、口を開けるのが目を閉じたままでも分かる。


 とにかく、最後に一撃を。


 醜くても足掻いてやる——でも、動かない。

 身体が少しも動かない。

 死ぬのは怖いけど、それよりも弱いままの自分は嫌なのに。


 次に会ったら絶対に倒す。

 その顔を覚えておこうと、目を開き、睨み付ける。


「わぉ! なんだよ、そんなに睨むなよ」


 遠くで轟音と魔獣の声が響く。

 私の目の前には、黒い毛で覆われた魔獣の顔がある筈だった。

 変わりにそこにあったのは、やや伸びた黒髪に幼い顔立ちの少年の顔。

 目鼻顔立ちは整っていて、中央には金色の瞳が輝いている。

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