さよならを君に言わせない

柊 つゆ

第1話 さよならを君に言わせない

「起立」


「気を付け。礼」


「「ありがとうございました」」


 数えればきりのない、いつもと変わらない帰りの会が終わった。


 俺たち2―2組の32名は、それぞれに荷物をまとめて教室から出て行った。俺は弓道部に所属しているが今日は卒業式の前日なので部活動や居残り練習は禁止されている。そのため、友達とでもまっすぐに家へと変えるのが普通だろう。


 ただ、俺は廊下で弓道部の同級生との雑談をして少し時間を空けてから校門へと移動をした。


 校門にいるのはほとんどは卒業を控えた3年生で、まわりにはお世話になったであろう恩師の先生に挨拶をしたり、思い思いに写真を撮ったりしている人で溢れかえっていた。


 俺が待っているのはこの学校の卒業生の1人であり幼稚園の時からの仲の幼馴染の平野輝夜だ。


髪は肩に当たるくらいまで伸ばしていて、毎日の手入れがしっかりとされていることが俺でも分かるくらいに整えられている。


身長は女子の平均といったところだ。

バレーボール部に所属している割に外から見ると体は意外と華奢に見えるから、そこのギャップに驚く人も多いそうだ。


 加えて、エースでもある。


この学校のバレーボール部はとても強くて、輝夜の代は全国でベスト8まで進んだ。


おかげで、高校ではバレーボールをするために愛知にある全国でも決勝へと毎年行くような私立の常連校に一般で合格しているそうだ。


 そのため、輝夜は学校の中でも男女問わず人気があり、今もバレーボール部の同級生らしき人や何人かの先生と仲良く談笑している。


 俺は、その姿をただ後ろから突っ立って眺めていた。


 もちろん、待たせているということを気が付かれないようにした。


 輝夜は俺が着くとすぐに俺のことを見つけたようで左手を使って小さくごめんと仕草をしてもう少し時間がかかることを示してきた。


 俺は少しやれやれという表情を見せた後でしばらく読みかけの本を読むことにした。


 そして、20分くらいたった後でようやく終わったようでこっちに小走りでやってくるのが見えた。


「ごめん、待たせちゃったね」


「別に。気にしていないから」


「ならよかった」


 輝夜は申しわけなさそうな表情を緩めて、いつもの表情へと戻った。


「帰ろうか」


「うん」


 俺は、帰り道で話したいことはこれといってなかったため、さっき見ていて思ったことでも話すことにした。


「輝夜は友達とはもっと話さなくてよかった?」


「うん。本当に話をしたかった友達とは話せたし。まだ、明日もあるしね」


「でも、卒業式の次の日にはこの町から出ていくんだろ?もっと遊びに行くなりしたほうが良かったんじゃない?」


 輝夜の進学する高校はここから離れた県外の高校だ。


 つまり、寮で一人暮らしをするということになる。


「そうだね……」


 しかし、そういう輝夜の目はどこか曇っていることはすぐに分かる。


 ただ、これは昨日や一昨日に始まったということではなく中学最後の全国大会が終わったくらいからずっとだ。


 回りが気づいているのかは分からないが、この学校の誰よりも長く輝夜と接している俺だから分かる。


 今までの淡い青色の透き通った瞳はどこへ行ったのか。


  何が原因なのかすぐにでも聞きたいという気持ちもある。


 ただ、輝夜は誰かに悩みを打ち明けるようなことは絶対にしない。


 だから、俺ができることはない。


 ただ、今回に関しては俺と話をしている時に目が迷っているように見えるのは気のせいだろうか。


「ねえ、明日って時間ある?」


「明日は在校生として卒業式で学校に行くくらいかな」


 俺がそう言うと、輝夜が何かを言いかけて止めたことはすぐに分かった。


 まるで行き場を無くした猫のように表情が寂しく見える。


 あと一歩で手が届きそうなのにその一歩を動くことにひどく怯えているようにも見える。


「何か言いたいことがあるんじゃないのか?」


 さすがにここまできたら何も聞かないわけにはいかない。


 すると、輝夜は覚悟を決めたような顔をして少し寂しげな表情を浮かべて俺の目を見た。


「明日の卒業式の後、一緒に海の心水族館に行かない?私、14時30分に校門の前で待ってるから」


 海の心水族館は決して大きな水族館ではない。


 ただ、最後に行ったのが何年も前なので屋上に展望台があることくらいしかよく覚えていないが。


 俺はなぜ卒業式の後に水族館なのか少し不思議に思う部分もあったが輝夜の顔を見て「分かった」とだけ言った。


 きっとわけを聞いてもお教えてくれないだろうから。



 ふと回りを見ると場所はもう俺の家の前だ。

 夕焼けに染まった何度目か分からない俺の家の前からの景色も明日を過ぎると輝夜と一緒には見ることができない。

 ふと隣を見れば当たり前にいる人が当たり前ではない。

 俺はこれから先、この夕日を一人で眺めることになるのだろう。


 この小さな違和感だけが俺の心をくすぶっていた。







 卒業式の当日の朝は特に緊張することはなかった。


 もちろん、自分が主役ではないということが一番の理由だ。


 ただ、俺は来年どうなっているのだろうという少しばかりの不安が無いと言えば嘘になる。


 俺はテーブルにあったパンを食べるとバックに筆記用具と財布を入れて家から出た。


 通学路はいつもと変わらない時間なはずなのに日曜日ということもあってか歩いている人や車はいつもと違ってなんだか違う道を歩いているようでそわそわとした感じがする。


 そうこうしながら学校に着くと、教室へと入って弓道部の仲間とどうでもいい会話をしながら先生が教室へと入ってくるのを待った。


 すると、教室の扉から意外な人物が俺を呼んでいることに気が付いた。


 俺は手招きされた方へと向かうと、少しうつむいた表情で何か困った表情とそわそわした感じで俺に話かけてきた。


「一つお願いがあるんだけどいい?」


 俺は別に構わないよと返した。


「集合場所を校門から私の家に変えてもいい?」


 なんだ。そんなことならもちろん大丈夫だ。


 俺は良いよと一言答えた。


 そして、輝夜はそれを聞くと、少し急ぎ足で自分の教室がある3階へと戻って行った。

 





 卒業式はあっけなく終わった。


 あまり知り合いの先輩がいなかったというところもあったからだろう。


 ただ、いつもチームを引っ張って頼もしかった弓道部の部長である山下先輩が卒業証明書を手に泣いているところを見ると、少しばかり寂しさがこみあげてくることもあった。


 しかし、先輩たちのほとんどは近くの高校に進学するためいつでも会えるという気持ちがどこかに残っていたことも確かだが。


 俺は卒業式が終わった後はとくに寄り道をすることなく一人で来た道を戻って俺の家の近くまで戻って荷物を置いてから輝夜の家へと向かった。


 約束の時間ちょうどには着くことができたが、輝夜の家の回りを見てもだれも見当たらなかっため、しばらく待つことにした。


 時間はだいたい30分くらいたったころだろうか。


 さすがに遅いと思って携帯に電話をしようとポケットからスマホを取り出すと、小走りでこちらに向かってくる人影が見えた。


「ごめん。遅くなっちゃった。荷物置いてくるね」


「うん、ゆっくりで大丈夫だよ」


 輝夜は玄関の扉を開けると家の中へと入って行った。


 そして、待つこと5分。


 輝夜は再び玄関から出てきた。


「それじゃあ、行こう」


 俺もうなずきたいところだったが、時刻はすでに3時になっていた。


「でも、今から行ってもあんまり長くはいられないよ」


 水族館までバスを使ってここから30分かかることや閉館時間が午後7時であることから今から行ってもあまり館内を見ることはできないだろう。


「大丈夫。行くことに意味があるから」


 水族館に行くことに意味があるとはどういうことだろうか。相変わらず輝夜の本心は分からないことが多い。


「早くバス停に行こう」


 輝夜はそう言うと俺の手首を引っ張って子供の時と変わらない無邪気な表情で連れ出した。








 時刻が15時30分になったころに俺たちはようやく水族館の入り口まで来ることができた。


 そして、券売機でもう二度と支払うことはないであろう中学生料金を支払うと、俺たちは水族館の中へと入った。


 小さなときに見た水族館の魚はこの地球上に存在する生物なのか疑わしいほど大きいと感じていたが、改めて中学生となってみてみるといつかの図鑑と変わらないように感じられる。


 加えて、水槽にいる魚たちはなつかしさ半分、新鮮さ半分の不思議な気分で思い出に浸るというよりは自分の成長を感じさせられるようだった。


 対して輝夜のほうは、いつもの出かけた時に見せるテンションの高さが感じられなかった。


 その証拠にさっきから俺に話しかけることをしてこない。

 

 まるで水族館を楽しんでいるというよりは水槽の中にいる魚の目をじっと見ているようだ。


 それからしばらく俺と輝夜の2人でしばらく歩いていると、閉館時間30分前のアナウンスが始まったのとほぼ同じタイミングで出口と書かれた看板を見つけた。


 「一周したしそろそろ帰ろうか」


 俺は終始水族館に上の空だった輝夜に話かけた。


「ねえ。最後に屋上に行かない?」


 そういえば2人でよく行っていた屋上にはまだ行っていなかった。


 俺たちは輝夜が少し前を歩いて出口の真横にある屋上へと続く階段をゆっくりとのぼった。


 屋上につくと、そこには記憶として覚えている限りそのままの景色があり、広々としていた。


 加えて、回りには閉館が近いためか誰もいなかったので俺たちが住んでいる町を一望することができた。


「ねえ、何で今日私が遅れて来たのか知りたい?」


 唐突に輝夜は屋上の柵に背を向けて目をまっすぐ向けて質問をしてきた。


「いや、それは単に卒業式の後のクラスでの話が長引いたとかじゃないのか?」


「うんん。違うよ」


 輝夜の目はいつにも増して真剣さを帯びていた。


「告白されたんだ。同級生の男子から」


 予想だにしていないことだった。


 確かに輝夜はバレー部でも人気だったから告白の1つや2つあっても不思議はなかっただろう。


 しかし、俺はそんなことはないと勝手に思っていた。


 ただ、俺にとっては関係の無い話だ。


 むしろ、この町を出る前に好きな人と思いを共有できたならよかっただろう。


 でも、この心の落ち着かなさは何だろう。


 なんで小さな時からずっと好きだったおもちゃ屋さんが潰れてしまったような気持ちになるのだろう。


 ただ、取り乱すことだけは絶対にしないようにした。


「良かったね。最後に好きな人と思いを共有できて。でも、そういう事情があったなら俺の約束なんてすっぽかせばよかったのに」


 せっかく冷静に答えたはずだったのに余計な一言を言ってしまった自覚はすぐに持った。


 でも、彼氏のいる輝夜と会いたくなかったという気持ちも俺の中には本心としてあるように感じてしまった。


「この話を聞いて嬉しかった?」


 何かを訴えるように聞いてきた。


 まるで、言って欲しいことは一つだと言わんばかりの表情で。


 でも、その一言は言えない。


 その一言は俺の本心であり、それを口にすることは輝夜の決断を邪魔することになるから。


 俺は知っている。


 輝夜が私学の受験表を出すまで何日も何日も部活の顧問、担任の先生そして、両親と話合いをしていたことを。

 時には泣きながら必死に自分の考えを訴えていたことも。

 でも、絶対に幼馴染である俺には何も悟らせないのように普通の態度を貫き通し続けたことも。


 だから、俺の本心の答えを言うことはできない。


 ここは笑顔でもちろんだよと言うのが正解だろう。




 でも、これが本当に正しいのだろうか。


 俺がこういう時に本心を言わないから輝夜の目はずっと輝きを失っているのではないだろうか。


 ふと前を見ると、長い沈黙のなかで輝夜と目が合う。


 泣いている。


 少しだが、目からしずくが落ちていることが分かる。


 こういう時でも優しく私を傷つけないためにうそをつくの?


 それが本当に私のして欲しいことだと思う?


 輝夜は目でそう問いかけていた。


 そのことに気が付くと、俺の中で何かが吹っ切れたように感じた。


 そして、12年間のありったけの思いを言葉にぶつけた。


「そんなわけないだろ。輝夜が誰かのものになるなんて嫌に決まってる。輝夜は俺の初恋の相手だ。誰かに渡したいなんて思えない。どんなにイケメンだろうが性格がよかろうがお金持ちだろうが全部断って俺の隣にいて欲しい。休日には水族館だけじゃなくて公園に行ったり、オシャレなカフェにだって遊びに行きたいし、輝夜のバレーの応援にだって行きたいし俺の弓道の応援にも来て欲しい。ましてや、この町から出て別の土地に行くなんて本当はしてほしくない」


 今までにないくらいの荒れた口調で輝夜に本心を言いていることは分かっている。


 今の俺に顔を上げる資格はない。


 きっと幻滅しているだろう。


 俺は最後に本当に言いたかった言葉をゆっくりと、できるだけ優しく、輝夜の心に向けて一言ずつ言葉を探して伝えた。


「さよならを言わないでほしい。どこまでもいつまでも一緒にいたい」


 ついに、言ってしまった。


 だめだと分かっていたのに。


 もう、ここまで言ってしまったからには覚悟はできている。


 そして、輝夜がゆっくりと口をあけたのが分かった。


「ありがとう。私も勇気のこと好きだよ。これでやっと自分の進路に答えを出すことができた。私、この町に残るよ」


 一瞬何を言っているのか分からなかった。


 この町に残る?


 でも、もう進路は決まっているのに?


 それよりも、今輝夜はなんて言った?


 俺のことが好き?


 そんなまさか


「勇気は全然私の気持ちに気づいてくれなかったからてっきり私のことは異性として見ていないんだろうなって思っていたんだけど良かった。進路を決める前にその言葉を聞けて」


 もう、俺の頭の処理スピードが追い付かない。


「私、地元の公立高校も一応受験していたんだ。バレーもそれなりに強いし良いかなって思って。もちろん、私立が第一志望だったけどね。だから、今日、勇気の返事でどうするか決めようと思ったんだ」


 もう、心の中は安堵の気持ちで溢れかえっていて、それ以外のことは何が何だか分からないということしか分からない。


 おまけに顔は前を向いているはずなのにぼやけて輝夜の表情を見ることができない。


「ねえ、せっかく来たんだから最後に思い出が欲しい」


 ちょっ何を・・・


 そう言って輝夜は両手で俺自分のところへと寄せてきた。


 そして、ゆっくりと顔の方へと手をまわして滑らかな動きで俺の唇へと自分の唇を寄せ合わせた。


 それは人生のほとんどのようにすら感じられる時間だった。



 かろうじて見える景色はこんがりと暖かなオレンジ色に染まっていた。

 この暖かさは太陽からだけではなくぽつぽつと漏れている暖かな家族から流れてくもののようにも感じられた。

 きっと、明日から続く未来のいつ見ても今日と同じオレンジ色の空を見ることはできないだろう。



 俺は、曇り一つない透き通った淡い青色の瞳を見て強く思った。

 



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