青嵐フィナーレ

 折角のしんみりした気分を遠慮なくグサグサと突き刺してくる痛みに、いてぇいてぇいてぇいてぇ!! と心の中で喚きつつ控え場所に戻り、トップエイトに残れなかった人たちと一緒にピットを去り、急いでスタンドに上がって上位8人の追加試技3本を見る。

 ホップ、ステップ、ジャンプ。小気味よい放物線を描いて、宙を渡っていく。

 ――いいなぁ、私もあんな風に跳びたかったな。

 とにかく3本の試技を終えることだけに執着していたおかげで忘れていたはずの感情が、散った夢の色が蘇った。


 そっと観客席を抜け、適当にアイシングだけして、大ダメージを受けた足を引きずりながらベンチに戻る。本当はきちんとダウンをしてケアしなければいけないんだろうけど、そんな気力はなかった。これで引退なのだ。備えるべき舞台はもうないのだから、少しばかり怪我が悪化したって構わない。

 補助員として駆け回っているらしい同級生が、すれ違いざまに私の頭をぽんと叩いていく。

「お疲れ。足痛かった?」

「痛かった」

「痛かったね。お疲れ!」

 そのときが私の限界だった。寂しさと、悔しさとが突き上げてきて、決壊した涙腺を宥めつつ、顔を伏せながら歩いた。


 その後も涙は突発的に溢れてきて、どうしようもなくなった私はしかし隠れる場所もなく、トイレに逃げ込んだ。

 分厚いコンクリートの壁を通り抜けて、白熱する実況と拍手の嵐が聞こえる。今は何の競技をやっているんだろう――ああ、男子のマイル(4×400mリレー)の決勝か。最終日の最終種目、まさに花形競技だ。皆、スタンドで見ているようで、ここには人の来る気配がない。都合がいい。

 表では華々しい競技の最中で、そんな中私は一人でトイレに籠もって泣いているなんて、我ながらひどすぎる絵面だと思った。だって、仕方がないじゃないか。涙が止まらなくて、観戦どころじゃないんだから。

 これだけの涙が零れる分の思い入れが、いつだったか「辞めてやる」と誓った陸上の中にあったのかと驚いた。と同時に、「やっぱりな」と思っている自分もいた。

 走るのは嫌いだし、辛い練習も嫌いだ。嫌で砂場に逃げてきた、確かにそうかもしれない。

 だけど私は、そこで幅跳びと三段跳に出会って、跳ぶことを好きになったんだ。だからこれまで、ずるずると陸上を続けてきたんだ。今日棄権しなかったのだって、きっとそういうことだ。

 記録も順位もこの際どうでもよくて。ただ跳びたくて、でも跳べなくて。

 それがこの上なく辛くて、悲しくて、悔しくて涙が零れるんだって、私はそのときになってやっと分かった。陸上は嫌いだけど好きなんだって気付いた。


 ◇


 全競技日程が終了し、県総体は閉幕。私や同級生たちの競技人生もまた、幕を閉じる。

 今は、5月。上位大会に進めなかった私たちは、夏を待たずに引退する。

 ――スポーツはどうしても勝ち負けばかり注目される。たとえばオリンピックだって、男子100メートルの決勝を観る人は多くても、予選から決勝まで観る人はそう多くないでしょう。そういうことだよ。

 トップ層に目が集まるのは当然。でも、彼ら以外にも何千、何万もの選手がいる。それぞれがそれぞれの思いを抱えて競技に臨んでる。選手の数だけ物語が、ドラマがある。

 私だってそうだ。曲がりなりにも一人のジャンパーとして、こんな物語を紡いだんだ。頂点の座をかけて熾烈な争いを繰り広げるような選手たちの戦いは、烈しくて眩しい。でも、私たちの戦いにだって、華やかさには欠けるかもしれないけれど、確かな輝きがあったはずなんだ。数字では表せないモノが、確かに。

 これでいい。悔しいけれど、最後まで自分の陸上を描ききったから。きちんとピリオドを打てたから。

 

 帰り道、まだ若々しさの残る木々の葉の上を吹き渡る風が、破れた夢の欠片を吹き散らす。

 見上げた空に、夏の、抜けるような青さはない。それでも、十分に青い春だったなって、思わず笑ってしまった。

 大学でも陸上、続けようかな。また跳びたいな。性懲りもなくそう思ってしまう自分がいた。

 汗と砂、そして涙にまみれながらも、1ミリでも遠くを目指す。泥臭くて愚直な競技だけど、私はやっぱり、それが大好きだから、さ。

 もう引退だ。受験だ。しばらく陸上とはさようなら。

 でも、もしかしたらそのうちに、砂場が恋しくなって戻ってくる、かもしれない。来年の春くらいに。青嵐の吹く頃に。

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The Last Jump 戦ノ白夜 @Ikusano-Byakuya

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