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『那須君、あんまり変わってないね』


 メッセンジャーアプリの画面の中の高橋さんが、ふんわりと笑う。正直、高校時代の面影はかなり薄くなっていた。だけど……笑顔を見ると、やっぱり彼女だ、と思わせられる。


 こちらは昼の12時だが、向こうじゃ夜の11時。でも、彼女はあまり眠そうには見えなかった。


「高橋さんは、ずいぶん変わったね。すごくきれいになった」


 そう。高校時代よりも彼女は随分美人になったようだ。化粧のせいだろう。それほど濃くはないけど、元の顔が整っているので薄化粧でも十分美しく見えた。


 とたんに彼女が訝し気な顔になる。


『前言撤回。那須君、チャラくなった。やっぱ芸能人なんだね。ザギンでシース―食べたりすんでしょ』


 思わず俺は苦笑する。


「いつの時代だよ。今そんなこと言ってる業界人いないから」


『ま、そんなことはいいや。でも、ほんと、久しぶりだね』


 そんな風に高橋さんが屈託なく話してくれることが、嬉しかった。正直、俺は彼女とそれほど話をした記憶がない。クラスは同じでも接点が全然なかったのだ。


「ああ。高橋さんは、今アメリカにいるの?」


 俺の記憶では、確か彼女は東京の音大に進んだはず。思えば彼女はいつも放課後に音楽室でピアノを弾いていた。音楽科がない普通高校から音大に進学するのは、かなり大変だったらしい。


 あ……


 彼女の「旅立ちの日に」を聴いたときに感じた懐かしさの正体に、俺は思い当たる。高校の卒業式で「旅立ちの日に」のピアノ伴奏をしたのが、まさに彼女だったのだ。


『うん。音大で私、クラシックよりジャズの方に興味が向いてね。それで、卒業後にニューヨークに音楽留学したの。で、ようやく卒業して、ジャズピアニストとして活動を始めたばかり。まだ全然食べていけないからアルバイトとかもしてるけど、最近ブルーノートからデビューが決まったの』


「ええっ! マジで! すげぇじゃん!」


 ブルーノートと言えば、俺でも知ってるジャズの老舗レーベル。そこからデビューだなんて……


『すごくないよ。那須君なんか、とっくの昔にデビューして大ヒット飛ばしてるじゃない。那須君、文化祭のライブでオリジナル曲の弾き語りやってたでしょ? 私、たまたまそれ聴いて、あ、この人ひょっとしたら将来すごいアーティストになるかも、なんて思ったんだよね。ほんと、その通りだった……って、あれ? どうしたの?』


 俺が沈んだ顔をしているのに気づいたのか、高橋さんが怪訝そうに俺を見ていた。


「俺はダメだよ。『卒業』以来全然売れなくてさ。契約も打ち切り。今はしがないインディーズさ。それに比べたら、高橋さんのがすげぇと思う」


『そうだったんだ……』高橋さんは一瞬うつむくが、すぐに俺に向き直る。『確かに、那須君の曲ってJPOP向けじゃないかもしれない。どっちかって言うと……ジャズ向けなんじゃないかな。私、君の曲をジャジーにアレンジしてってみて、つくづくそう思うもん』


「……え?」


 俺の曲がジャズ向け……? 考えたこともなかった。


『そうだよ、那須君。思い切ってジャズに転向しない?』


「え……いや、だけど俺、ジャズってあんま詳しくないし……なんか、難しそうなイメージがあるんだけど……」


『何言ってんの! あれだけ小難しい曲書いてるくせに。「アフォーダンス」のサビなんか、FからFaug/オーギュメントオンB ,A#M7シャープメジャーセブンスでしょ? あんなのJPOPのコード進行じゃないよ』


「……」


 さすが。彼女はよく分かってる。確かにそこは俺が一番気合い入れて作曲したフレーズだ。


『だから、那須君もジャズミュージシャンになってさ、それで……私に楽曲提供して欲しい。君とセッションもしたいしさ。今はオンラインでコラボできる環境も整ってるし』


「……!」


 なんてことだ。彼女の口からそんな言葉を聞けるとは……


 目の前がぼやけてきた。


『あ、あれ……? 那須君、どうしたの……? 泣いてるの……?』


 涙をぬぐってみると、いつの間にか高橋さんが心配そうな顔になっていた。


「ごめん……嬉しくてさ……俺、高校時代、君と……一度だけでも一緒に演奏したいって思ってたんだ……その夢が、十年越しにかなうなんて……」


『え……そうなの?』困惑した顔で、高橋さん。


「ああ。『卒業』の歌詞でさ、”校舎裏で歌う君の肩に 桜ひとひら”ってあるだろ? あれ、最初は”音楽室でピアノ奏でる君”だったんだ。だけど……それだと高橋さんのことだって分かる人には分かっちゃうな、って思ったから……変えたんだよ」


『……』高橋さんは口をポカンと開けたまま、絶句していた。


 しまった。


 俺は口を滑らせたことに気付く。これじゃ告白したようなものじゃないか。


 だけど……もう十年も前のことだ。笑い話だよな。


「ご、ごめん。昔の話だからさ。気にしないでくれ。なんかちょっと、嬉しかっただけだから……」


『……ねえ、那須君』画面の中で、顔を真っ赤にした高橋さんがうつむいていた。『私が、なんで君の曲をカバーしまくったか、わかる?』


「……え?」


『私も高校の頃は君のこと、ずっと気になってた。でも、話す機会なんかなかったし、音大受験でそれどころじゃなかったから……音大に入ったら入ったで、ものすごい競争が待っていて……落ちこぼれた私は、ジャズに活路を見出して……ニューヨークに渡ってからも、ただひたすら勉強、練習の毎日で……でも、ようやくデビューが見えてきて、ふっと気が抜けたとき、君のことを思い出したの。だから君の曲をカバーした。ひょっとしたら、いつか君が気づいてくれるかな、なんて……でも、思ってたより随分早く見つけてくれたね』


 そう言って、高橋さんが再び、ふんわりと笑った。


「……」俺は言葉を失う。


『けど、那須君だって、好きな人くらいいるよね。もしかして……結婚してたりする?』


「いや。昔は付き合ってた女の子もいたけど、今はいない。結婚もしてない」


『そっか……』


 なんだろう。


 こんな甘酸っぱい雰囲気、久々に感じた。


 しかし……


 そうか。十年前、思い切って彼女に告白していたら、俺たちは付き合っていたかもしれなかったんだ……


 でも、今からでも遅くないよな、きっと。


「と、とりあえず、セッションの件、俺もぜひやりたいから」照れ隠しに、俺は明るい口調で言った。「けどもう遅いから、今日はこれくらいにしよう。また連絡する」


『うん。待ってるよ。それじゃ、おやすみなさい……って、そっちはお昼か』


「ああ、おやすみ。またね」


 通話を切る。


 ……。


 こんなことになるとは思わなかった。しかし……よく考えたら、「卒業」は高橋さんへの叶わぬ思いがベースにあってできた曲だ。その思いが叶ってしまうのなら……それは「卒業」からの卒業を意味するのではないだろうか。


 それにはまず、JPOP から卒業しなくては。さらに……ひょっとしたらこの先、独身からの卒業も……?


 どうやら「卒業」から卒業しても、俺の行く手には様々な「卒業」が待ち構えているらしい。


 その節目節目で、俺はこれからも「卒業」を歌っていくのだろう。

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「卒業」からの卒業 Phantom Cat @pxl12160

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