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メジャーレーベルをクビになった、と言っても、それで俺の収入が完全に閉ざされたわけではない。確かにアーティスト印税は無くなったが、著作権印税は今でも入ってくる。特にカラオケの印税は大きい。全国のカラオケ店における「卒業」の二~三月の歌唱回数は合計百万回ほどになる。今の俺の年収はこの時期にほぼ全て叩き出されている、と言ってもいい。青色申告しても贅沢しなければ十分食っていけるレベルだ。ただ……
それが将来にわたって続く保証はない。現に、最近はコロナ禍でカラオケ店の客の入りがかなり悪くなっていて、必然的に「卒業」のカラオケ印税もガクッと下がっている。
このままでは食っていけなくなる。やはり何か仕事しなくては。他の職に就くことも考えたが、不思議なもので、メジャー時代の、常に曲を出さなきゃならないというプレッシャーから解放されると、逆に曲が作りたくなってきた。やはり俺にはこの道しかないようだ。
しかし、販売力の低いインディーズレーベルでは収入はあまり期待できない。ここはやはり動画サイトを使うしかないんじゃないだろうか。
一応俺もメジャー時代には公式のYouTubeチャンネルがあって、PVを配信したりオンラインライブをやったりしていたのだが、契約が切れてからはチャンネルも閉鎖されてしまった。しかし個人のアカウントでチャンネルを新規に開くことはできる。メジャーレーベルから契約を打ち切られたが YouTuber として活躍しているアーティストも多い。
とは言え、今までスタッフ任せにしていたので、チャンネルの開設も運営もやり方がよくわからない。しばらく色々なチャンネルを見て、ノウハウを盗むことにしよう。
というわけで、俺は動画サイトでいろんなアーティストのチャンネルを見て回った。アーティストだけじゃなく、素人のチャンネルもたくさん見た。俺のアーティスト名「Nasty」に「卒業」を加えて検索すると、出るわ出るわ。何人もの老若男女が「歌ってみた」動画を投稿してくれている。
思わず涙が出た。素直に嬉しかった。こんなにも「卒業」が愛されているとは……
だけど、俺はそれを超える曲を生み出せていない。かつて全く同じタイトルの曲をリリースし、俺が生まれる前に世を去った大先輩ミュージシャンが「支配からの卒業」と歌っていたが、俺は未だに「『卒業のNasty』からの卒業」を果たせていないのだ。
それでも……
一つだけでも、ここまでみんなに愛される曲を創ることができたのは、やはり僥倖というより他はない。
……ん?
関連動画の中に、「Nasty: Sotsugyou(Graduation) Piano Cover」というタイトルを見つけた俺は、思わずクリックしてしまう。
後ろ姿の髪の長い女性が、グランドピアノに向かってアレンジされた俺の「卒業」を弾いていた。顔は当然見えない。しかし……このアレンジは……なんだろう、どことなくジャズっぽい。コード進行はそのままに、ひたすら
コメント欄を見ると、絶賛の嵐だった。
"
ユーザー名は"
そして……
何と彼女は、俺の曲をほぼ全てカバーしてくれているのだ。アルバムにしか収録されていないマイナーな曲まで。しかも、それらのPVも評価も異様に高い。百万PVを越えている動画すらある。俺はジャズはあまり聴かないのでわからないが、確かにオシャレでかっこいいアレンジになっているように感じる。
待てよ……
最近、俺の曲が海外から頻繁にダウンロードされているという。もしかして、この動画が原因なのか……?
というわけで、Rachel さんに興味を抱いた俺は、なんとか彼女と話ができないかと考えた。しかし、YouTube の俺の公式アカウントは既に存在しないので、コメントを残しても俺だという証明にならない。メールアドレスは非公開なので、彼女にメールを送ることもできない。だが……
彼女が twitter をやっていることが分かった。twitter は俺ももともと個人でアカウントを持っていて、しかも Nasty の公式アカウント、と認定されている。そこからダイレクトメッセージ(DM)を送れば、他の誰にも知られずに本物の Nasty として彼女と話ができるはず。
早速俺は、Web 翻訳を駆使して彼女に英語でDMを送ってみた。
"Rachelさん、はじめまして。Nasty です。僕の曲をたくさんカバーしてくれてありがとうございます。どれも素敵な演奏で、とても感激しています……"
返事の通知が来たのは真夜中だった。寝る寸前だったが、スマホでそれを読んだ瞬間、俺の眠気は一気に吹っ飛んだ。そこには日本語で、こう書かれていたのだ。
"はじめまして、Nasty さん……いえ、お久しぶり、
……!
もちろん覚えている。忘れられるはずがない。それはまさしく「卒業」のモチーフとなった、高校時代俺が好きだった女の子の名前なのだから……
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