パンダを産みたい

佐藤いふみ

パンダを産みたい

 異様に暑い7月のある日、理子は上野動物園のパンダ舎前にいた。


 気温は30度を超え、陽の下を歩くだけでひと苦労なのに、肺炎ウィルスの流行のせいでマスクをせざるを得ず、公園前口から動物園に入ってパンダ舎へ至るあいだに、来たことを後悔するくらいへとへとになっていた。


 ――否、まだまだ。


 40代後半というと、人によっては「もう歳だから」なんて言い出す年齢だが、理子はそういうことは簡単に言うべきではないと思っている。人生全体を見ればまだまだ若くて、年齢よりも生活習慣のほうが心身の若々しさに影響するはずだ。


 と自分に言い聞かせて、理子は、ひと休みしたいのをおしてパンダ舎に入った。舎内はヒンヤリしてコンクリートの匂いがする。反響する子供の声の底に、大人の声が静かに流れている。


 パンダ、正式にはジャイアントパンダの説明パネルのあと、パンダの個室が現れた。大きなガラス越しに中が丸見えでプライベートはまったくないが、3つある部屋は清潔で快適そうだ。


 うちひとつにパンダがいる。向こうの壁際にうずくまっていて、白と黒の丸い背中が上下している。もこもこして、ぬいぐるみのようだが、違う。あれは生きていて、中に脂肪と筋肉と内臓が詰まっている。傷つけば赤い血が出て毛皮を濡らす。


「やっぱり、かっこいい」と、理子はマスクの中で溜め息をついた。生きているパンダというだけで、じんとする。


 パンダを眺め続ける理子のまわりで、親子連れが、くるくる入れ替わる。子供が動かないパンダに不満を言い、親が寝ているのだと説明するのが録画再生のように繰り返される。


 ゆうに30分は経って、たくましい背中に別れを告げて、ガラス戸を押して中庭スペースに出た。ここがパンダ舎のメインで、天井までのガラスの向こうに大きな運動場が見渡せる。運動場は露天で、陽の光が燦々と降り注いでいる。


 ガラスのこちら側には銀色の手すりが2列並んで、人々は順列にそって進みながらパンダを見る。ルーブルからやってきたモナリザを見るのと一緒だ。いまは肺炎ウィルスの影響で入園に事前予約が必要な状況で人が少ないとはいえ、1列目の手すりには人がいっぱいだ。


 パンダは2頭。タイヤのブランコにじゃれて遊んでいるのが、きっと若い2歳の雄だろう。毛並みからして若々しく、うらやましい限り。もう1頭は笹の山のなかでもくもくと食事をしている。がっしりした顎は貫禄がある。


 この、絵に描いたようにパンダな様子のパンダに、子供たちは大喜びだ。列を急かされることもないから、じっくり見られて楽しそうで、実に微笑ましい。理子は2列目の手すりから、パンダとパンダに喜ぶ親子連れの様子を一望して、心ゆくまで時間を過ごした。


 パンダ舎を出ると日差しが一気に襲いかかってきた。梅雨時の湿気と動物たちの臭いがまざった空気が鼻腔に流れ込み、妙に郷愁がわく。切ない気持ちを楽しみながら、次の目的地へ向けて象の前を通って坂道を下り、イソップ橋へ向かう。


 モノレールに乗りたかったが、休止中だった。短くて可愛い日本初のモノレールは、老朽化が進んで取り壊しが検討されているとのこと。なんとか残して欲しいが、安全や維持費を考えれば仕方ないのだろう。時間が経てば、何もかもくたびれて実用に耐えなくなっていく。


 スロープをぐるりと回ると、以前は山羊やウサギとふれ合える広場があったところが工事中で、ここが新しいパンダ舎になるそうだ。つまり、日本で初めてパンダが公開されて日本中の子供たちが訪れたあのパンダ舎は、もうすぐなくなる。


 さらに直進すれば、キリンやサイなど、大人になってから改めて見るとその異様にびっくりする動物がいるが、ここは不忍池沿いを弁天門のほうへ進む。


 コウノトリやペリカンの住むこの不忍池には、蓮など水草の緑があふれて豊かな生命を感じる。その昔はどこにでもあった景色なのだろうけど、都会の中で見ると不思議な気分になる。理子は不忍池に江戸を感じるのだが、名前のせいだろうか。やがて、名前だけ江戸で、見た目は近代的な退園ゲートの弁天門に到着する。


 ゲートをぬけて動物園通りを南下すると、道路を渡った先に、「あんみつ みはし」がある。ここのクリームあんみつが、理子の東西を合わせたスイーツランキング No.1 である。


 暖簾をくぐると、少し暗い店内に客はひと組だけ。いつもなら、平日でも待ちが出る時間である。肺炎ウィルスは、飲食店に大変な損害をおよぼしている。理子は店内半ばの席に座って、お茶を運んできた店員にクリームあんみつを頼んだ。それから、おもむろにメニューを見て季節の限定商品をチェックする。


 ――あれ?


 いまごろは夏みかんあんみつかなと思っていたら、氷あんずになっている。ウィルスでわあわあ言っている間に、すっかり夏になっていたことを改めて思い出す。氷あんずは美味しそうだが、きっと食べることはないだろう。次回は食べようと思ったって、来ればまたクリームあんみつを食べるに決まっているのだ。


 壁の富士山の絵を眺めていると、いつもの3倍くらいのスピードでクリームあんみつが出てきた。さっそく、ど真ん中にスプーンをさして、クリームと餡と蜜を混ぜる。みはしは特に餡が美味しいのだが、理子はこの三者のハーモニーこそ至高だと考えている。


 寒天をひとつとハーモニーを口に運ぶ。冷たく、甘く、とろりとして、くにゅっとする。なんというドラマだろう。口を動かしながら、次はどう食べようか思案する。頭の中がクリームあんみつでいっぱいの幸せな時間を噛み締める。


 夢中でスプーンを動かしていると、唐突に、肺炎ウィルスについて読んだ記事が湧き上がってきた。


 インドのある地域で、20年間見えなかった遙かなヒマラヤが見えたという。いつもは濁っているヴェネツィアの運河が、澄んだエメラルドになって魚が見えるという。元気になった野鳥が街にやってきて、街中で鳥のさえずりが聞こえるという。肺炎ウィルス対策で人の活動が極端に減って起こったことだ。


 人が亡くなっていく。経済損失で自殺が増加する。病の苦しみ、家族の悲しみ。青春と未来を奪われる子供と若者。一方で、デトックスされてすっきりする地球。活き活きする動物たち。


 これまでに経験した全部、いま感じている全部が、体のなかをずーっと下りていって、わたしの卵子に受精して、パンダを産めたらいいのに。そうして、看護士さんが産湯をつかわせた、白黒はっきりしない湿った赤ちゃんに、お産でやつれ果てたわたしは満面の笑みでキスをするのだ。急に目頭が熱くなって、理子はとまどった。情緒不安定で困る。


 この間会社の飲み会で同僚の男の子に、「パンダ、かっこいい」と言ったら、「ケモナーだね」と言われたんだっけ。そのあと、「もう恋愛はいいの。でもパンダを産みたいの」と、たぶん言った。そうしたら男の子は、「なんだ人外かー」と言った。


 理子は、まだ半分残っているクリームあんみつを見つめて、こっそり笑った。男の子といっても、その人だって四十を越えている。


 オタクのみなさんの間では、ケモナーとは動物や擬人化した動物に性的な魅力を感じる人のこと。人外とは人以外の化け物に性的な魅力を感じる人のこと、だそうだ。パンダが好きといえばケモナー、恋愛はもういいといえば人外。


 ――まあ、ゆっくりいきましょう。


 このクリームあんみつと同じように、理子の人生もまだ半分残っている。スプーンのクリームに餡と蜜をからめて口に運ぶと、甘さと冷たさがしんしんと染み通って、パンダを産む自分とクリームあんみつがいい感じで混ざり合った。



 了

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