マティーニを、ステアせずシェイクで
カウンター席に腰を下ろすなり、七世さんは慣れた調子で、
「ウォッカ・マティーニを。ステアせず、シェイクで。……天は?」
「や、アタシは無難にジントニックでいいっすかね……」
「じゃあそれで。ああ、銘柄はなんでも。都合のいいモノで構わないよ」
承知しました、とバーテンダーがあちらに行く。すると七世さんが脇、つついてきて、
「ツッコんでくれないと困るじゃないか、007だって」
「あー、すんません。あのね、ちょっと緊張してんすよ。こういうとこ来るの初めてで」
なるほどね、と七世さんが曖昧に言って周りを見渡した。
床には赤い絨毯、抑えた音量で流れるジャズ。壁一面のガラス窓の向こうには環境建築群の、宝石みたいに煌びやかな夜景。その背中には、添えられるように遠く、群青の海が広がって。
アタシには場違いすぎる。スーツ着て来いって言ってたの、こういうことか。
「キミだってホテルぐらい来たことあるんじゃないのかい?」
「にしたってこんな高級なとこはないですって……」
七世さんは余裕ぶった微笑を浮かべ、
「慣れておかないと。ちょくちょく仕事で使うんだから」
「マジっすか。SIAって儲かるんすね」
「場末の居酒屋で情報交換というわけにもいくまいよ。使わないでもないけれど、信用できる場所でないと」
確かね。どこで誰が/何が聞いてるかわかんないからね。壁に耳あり、障子に……なんてことわざあったけど、今の時代じゃどこに盗聴器やカメラあるかわかったもんじゃない。
七世さんは胸ポケットから煙草/いつものピース・アロマを取り出し火を点けて、
「キミは戦闘に関してはデキるけれど、もう少し諜報活動についての動きは勉強しないとね。これもその一環だと思ってくれれば」
「とか何とか言ってSIAの金で飲みたいだけっすよね?」
ってのが図星だったらしく、七世さんは照れた笑いで頭を掻き、
「バレたか。まあ、たまにはいいじゃないか」
「でも岬のやつ誘わなくてよかったんすか? アイツハブにされたってむくれるでしょ」
「あの娘はアルコール苦手だからね。それに……」
「それに?」
隣の七世さんが急にアタシのほうへ向き直る。いつになく真剣な顔で。
え、なにどういうやつ? 想定してなくて軽くたじろぐ。少女漫画じみた長いまつ毛と、その下の澄んだ、黒真珠めいた瞳がアタシをぐらつかせた。
そのうえ、七世さんは真っ向から、
「私はキミと二人がよかったんだけど。嫌だったかな?」
心臓が跳ねる。不意に息が詰まって、全身が熱くなる。思わず顔を背て、それが反応かアタシの意思だったのかわかんなくなる。今ばっかりは目ぇ見られたくない。
これやばいな。今、顔赤くなってんのわかる。くっそぉ、不意打ちに弱すぎだよアタシ。
でもなんとかかんとか、声、絞り出して、
「うっ……いや、そんなわけ……ないっす、けど……」
だよね、と呟いた七世さんの声は今度、耳元で――背筋を震えさせるような熱さと寒気を纏って、
「じゃあ、二人がいいよね?」
すっと、カウンターに置かれたアタシの手に、七世さんの女らしい、細い指が絡んで。
「う……ぐ……」
電気が走ったみたいに硬直するアタシの身体。なんすかー、とか普段のノリで言えばいいのに。あぁもう、なんてへたくそ!!
……ってにっちもさっちもいかなくなりかけたアタシを救ったのは、コトン、と目の前に差し出されたグラスで。
「あ! き、来ましたよ。さ、七世さん、とりあえず」
ぱっと手を払う。ふむ、と七世さん、残念そうに小さく息をついて、
「うまく逃げたね」
「三十六計逃げるに如かずって言うんすよ。じゃ、いただきます」
ん、と七世さんは軽くうなずきで答えて、アタシらはグラスを掲げ、火照りを覚ますみたいにいっぺんに傾けて。
「んくっ……んくっ……うめえ! これ一杯いくらするんすかね」
「2000ぐらいじゃないかな」
思わず吹きかける。マジで!?
「ぶふっ……! アタシの知ってるバーじゃねぇ」
「キミが知ってるのはスイングドアでミルクを頼むと笑われる類のやつだろう?」
「なんでわかったんすか、読んだんすか?」
って言うと、七世さんは呆れ気味に、
「いや、それぐらいスキャンしなくてもわかるよ。最近また西部劇にハマってるだろう」
「先日早撃ちの必要性を実感したもんで」
「いや、今どきピースメーカーは使わないだろう」
「それはそうっすね。でもM29の44マグナムなら車のエンジン撃ち抜けるじゃないっすか」
七世さんはニヤッと笑い、煙草の灰を落としながら、
「キミねぇ、よりにもよってその嘘が私に通用すると思うかい?」
「やっぱダメでしたか。や、『ダーティハリー』のせいなんすよねアレ」
「確か映画の中でも運転手を撃ち抜いてるんだろう?」
「そうそう……たぶん。でもあの映画はね、やっぱ決め台詞っすよ。『would blow you head clean off』……訳すなら『テメエの頭を吹っ飛ばしてやる』っすかね? 前後の流れも踏まえてカッコイイっすよ、その後の『Make my day』っつーのいいんすけど」
すると七世さんは少し目を見開いて、
「キミホントに映画の話だと饒舌(じょうぜつ)になるね」
「や、はい……えへへ……好きなモノになるとね、やっぱ人はそうなるんすよ……」
わかるけどね、と七世さんは言って、マティーニで唇を潤してから、
「そうだな、セリフか……。私は『May be next time』――『夕陽のガンマン』のラストシーンを押すかな」
「あぁ、リー・ヴァン・クリーフのっすね。それならアタシはその前に、イーストウッドが『俺たち、相棒だろ?』って言うところがいいっすけどね」
「ほう、なるほど。あくまで馴れ合わない、たまたま共闘しただけの男どうしだった、というところに美学があると思わないかい?」
「それは確かに。っていうか七世さんもなんやかんや言って観るんじゃないすか、映画」
「キミが言ってたから多少は履修しようと思ってね。……あぁ、すまない。次はブランディーニをもらえるかな。彼女にはブルーフェアリーを」
あ、それちょっと嬉しい。アタシも七世さんの趣味に合わせようと思ってひとりで美術館行ったりクラシック聴いてみたけど秒で挫折した。
や、それはそうとして。
「まだちょい残ってるっすよ。だいたいペース早くないっすか?」
「いや、キミも飲んでるじゃないか。で、あれだ、映画。最近も一本新しいものを観たんだけどね、題名が思い出せなくて」
ほほう? 趣味の回路が動き出す。
「お、それならお任せあれ。なんかヒントあればいけますよ」
「かなり有名な作品でね、確か特殊部隊の主人公が娘を取り戻しに行く話なんだけど」
「アクション映画なんすね? したら無難に『コマンドー』じゃないすか?」
「あぁ、やっぱりそう思うかい? でもちょっとわからないんだよね」
なんだそれ。どういう雲行きだ。
「何がっすか、迷いどころないでしょ」
「あれって機関義肢みたいな敵出てこないだろう?」
「したら違いますねえ。機関義肢? ってことは機械っぽい腕とか?」
「そうそう。それを確か主人公がつけてたかなぁ」
「したら『コマンドー』じゃないっすね。メイトリックス大佐機械の腕とかいらないっすもんねえ。アレでなお機械つけたらもう世界滅ぼす兵器っすよ、明日が審判の日っすよ」
はあ、と七世さんは残りのマティーニを飲み干しながら――ちょうど次の酒が来る、
「機械とどっちが主役なんだろうね、それ」
「……えー、したらもうちょい詳しく教えてもらえます?」
七世さんは思い出すようにしばらくウンウン唸って、
「うんとね、車を素手でひっくり返してたね」
「やっぱ『コマンドー』っすよ、アメコミヒーローじゃあるまいし素手への信頼度よ!」
「いやぁ、まあねえ」
「確かにアタシかて能力使えば車飛ばせますけど、そりゃ例外じゃないすか。普通に素手ってゴリラか熊かボブサップぐらいっすよ! 暗黒肉弾魔神め、修正してやる!」
「その呼び名はそれほど流行らなかったじゃないかあ」
よく知ってますね、ソレ。意外と格闘技オタクなのか? ……ともかく、
「ともかく『コマンドー』っす、これで決着っすよ!」
「だとしたら一個解(げ)せないところがある」
「なーにが解(げ)せないっすか、賢そうな言葉使っちゃって」
「舞台は日本じゃなかったね」
コケそうになる。伝統芸を披露するところだったわ。
「そりゃそうでしょうね!? 『コマンドー』アメリカの話っすからね!?」
七世さんはシレっと、
「あれ? 何か混ざってるねこれ」
「なに納得できないみてーな顔してんすか!」
って突っ込んだら、七世さんは不満げな顔で二杯目、飲み干しちゃって、
「ああ、グリズリーテンプルをもらえるかな」
「ちょっとちょっと、酔っ払っておかしくなってんじゃないすか?」
「失礼な、私はまだシラフだよ」
「それはもうダメな人のセリフなんすよ」
「今の減点だよ、天。あまりにも安易だ」
……そんな理不尽なことある? あまりにも体育会系すぎるだろ、SIA。
って言ってるうちに来る3杯目、
「ああ、どうも。……と、お酒が来たので思い出した。『駅馬車』だ」
なるほど……え?
「全然違うじゃないっすか! 何ひとつ合ってないじゃないっすか! 白黒だし! いや名画ってところは合ってるっすけど!」
「むう、最初に西部劇の話をしたじゃないか」
「そこ引っ張ってました!? いや、にしても1939年に機械の腕はないんすよ」
「キミね、細かいところをつつく癖は直したほうがいいんじゃないか? 仮にも私は上司で年上だ、時には曲げてうまく言うのも……んくっ、ぷは、大事じゃないかな?」
「え、ちょっとそれ秒で飲むのは……」
七世さんは据わった目で、
「次、マウント・フジをお願いできるかな?」
「やばいやばい、飲みすぎですって!!」
ビシッとこっちを指差す七世さん、
「天、そこに座りなさい」
「ずっと座ってますけどね!?」
……アタシ知ってる、これダメなやつだ。
パパー、とクラクションの音。酔っぱらいの大声。出どころはあっちにも、ここにも。
「あのねえ! 天、私はねぇ!」
「はいはい、わかりましたよ。お水飲んで」
案の定七世さんはベロベロになってた。そりゃそうだよ、ペースおかしかったもん。
「……ったく、誰が綺麗に飲めっつったんすか」
「んくっ、んくっ、んくっ……ぷはぁ! はぁ、いいか、キミはね……」
「うわぁ……こんなに絡み酒だとは思わんかった……」
って小声で言ったはずなのに、キッ、と七世さんはふちの赤い目でこっち睨んで、
「なんだって!?」
「い、いえ何も……。ほら肩貸しますから。うわ、酒臭っ」
「だいたいキミのせいだからねぇ? こんなに酔わせてぇ……」
「勝手に飲んだんでしょうが……」
けど。耳元、七世さんの囁きは、
「ふふ、好きな人といると酒も進むものさ」
ん? なにそれ、いつものトーンじゃないの? 思わず七世さんを見やって、
「七世さん? もしかして酔ってな……」
「天~? 今日は帰りたくないなぁ~?」
バランスを崩した――フリかもしんない七世さんが、アタシを引っ張って。
「あっ、ちょ、七世さん! そっちは逆っすよ、ホテル街の……あー!!」
「ふふ、最初からこれが狙いだったりして、ね?」
……そんな夜が、あったりしたんだ。
GGIショートストーリー 山口 隼 @symg820
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