幸せな香り

秋色

essence of happiness

 子どもの頃、すごく不器用だった。そしてそんな自分には、同じくらい不器用な友達がいた。朋佳ともかちゃん。二人は図工の時間に、そろってとてつもなく変な作品を作り出し、次の授業参観日にクラスメートの親達に笑いを提供するといった具合の二人だった。私は、何か考えつくと後先あとさきを考えずにすぐ行動するタイプで、失敗もケガも多かった。一方、朋佳ちゃんは慎重過ぎて失敗してしまうタイプ。そしてお互い、空気を読むのが本当に下手だったと思う。

 小学校の六年生に上がる前まで位はすごく仲良しでいつも一緒に帰っていた。家に帰ってからもよく遊ぶ約束をしていた。遊ぶ場所はお互いの家ではなく、たいてい公園や町立の植物園。植物園には四季折々の花が咲いていて、よくそこで一緒に花を見て過ごした。

 植物園には花の管理をしている、「花の先生」と呼ばれるお兄さんがいる。その花の先生は植物の事なら何でも詳しく、私達にそこに植えてある植物について、ていねいに説明してくれた。小学校には危ないからという理由で植えられていないとげのある薔薇も、そこにはたくさんあった。花の先生は、「とげがあるのは誰かを傷つけようとしているのではなく、自分を守ろうとしているだけなんだよ」と教えてくれた。

 花の先生は、入園者にハーブを使ったアロマオイルやハーブを閉じ込めたボールペンの作り方等も教えてくれる。私と朋佳ちゃんも時々そんな講座に参加し、不器用ぶりを大いに発揮した。今でもそのボールペンは宝物として引き出しの中に大事にしまってある。





 十一才の誕生日に朋佳ちゃんを家に招いた。でも私の家は古く、ゴチャゴチャしていて、誕生日会の雰囲気じゃなかったと思う。よそ行きのワンピース姿の朋佳ちゃんが来た時、いつも通り長い座卓に用意された食事を家族で囲んでいた。お兄ちゃん、弟、おじいちゃん、そして看護学校の寮にいるお姉ちゃんも帰ってきていた。母さんはちらし寿司を作って、それが食卓の中央にあった。朋佳ちゃんはそれを見て何となくソワソワと居場所がないような雰囲気だった。帰り道、朋佳ちゃんの態度が素っ気なかった気がした。もう暗いからと母さんと一緒に途中まで送っていったので、人見知りの朋佳ちゃんは口数が少ないのかなと思っていた。

 でもそれから、私達は何となく離れていった。六年生でクラスは別々になり、そして中学からは別々の学校へ。朋佳ちゃんは地元の公立中学ではなく、私立の光が丘女学院の中等部に進学したからだ。

 




 中三の五月、連休を持て余していると、弟の和希が宿題の写生をするため植物園に行くと言い出した。私も付き添って久し振りに懐かしい場所を訪れる事に。

 あらためて見回すと自分が以前は気付かなかった事にも目がいく。以前その周りではしゃぎ回っていた噴水は意外に小さかったんだなとか、薔薇園はこんなに奥行きがあって広かったんだとか、薔薇にもオレンジや薄紫や紅茶のような様々な色があるんだな、とか。

 花の先生は相変わらず花壇の世話をしていた。やはりお兄さんにしか見えない透明感。


「やあ、杏ちゃん、久し振り」


「花の先生、こんにちは。弟が写生しに行くって言うから、私も来てみたんです。久し振りにアロマオイルを作ってみたくなって」


「そうか。今日は『幸せな香りの薔薇のアロマオイル』という講座をやってるんだ。久し振りに作ってみるといいよ。そう言えば、一緒に来てた友達とは今も仲がいいの?」


「朋佳ちゃん?」


「そう。朋佳ちゃん」


「朋佳ちゃんとはだんだん遊ばなくなって……。あの子は私立の中学に行ったので、ずっと会ってないんです。でも元気にしています」と言った。


すると、「ずっと会ってないのに、どうして元気って分かるの?」と聞かれた。


 私には、実は朋佳ちゃんの元気な姿を確認する方法があったのだ。

「実は、飼ってる犬のポン太の散歩コースに朋佳ちゃんの家があるんです」


「え? 散歩中に朋佳ちゃんの姿が見えるの?」


「はい。窓越しにですが。私が夏休みの間、七時半位にポン太を連れて朋佳ちゃんちの前を通る時、見上げると家族で朝ごはんを食べているんです。レースのカーテン越しに朋佳ちゃんが見えるんです」


「朋佳ちゃんと家族が見えるんだ」


「いえ、朋佳ちゃんだけです。なぜか窓の反対側はレースでない、厚めのカーテンがかかってるから」


「カーテンが二重になっている事はよくあるよね。レースと普通の生地と。でもそれじゃ、なぜ家族がいると分かるの?」


「だって食事しながら笑ってる様子が見えるんです。でも……」


「でも?」


「最近はずっと下向いてて。日本を発つのが寂しいのかな」


「日本を発つって?」


「同じ中学に行った子の情報では、朋佳ちゃんは七月の終わりから叔母さんの住むアメリカに行って、秋からそこの学校に通う予定らしいんてす。向こうでは九月が新学期なので、早目に行って準備するとか」


「へえ、朋佳ちゃん、留学するのか」


「元々お金持ちなんです。何度か朋佳ちゃんの家に行った事があるけど、新しい家具ばかりでピカピカでした。すごく立派なドールハウスなんかもあって。私なんか弟がちっちゃい時、弟から人形を振り回されて、ヒサンな状態にされた事あるんですよ。やっぱ朋佳ちゃんとは住む世界が違うのかなぁって」


 弟の和希は自分の事を言われ、ねたみたいだった。頬をふくらませている。


「住む世界は同じだと思うよ。杏ちゃん、昔はそんな事を気にしてなかったよね?」



 それで私は、温室の横にあるクラフトルームで他の入園者の人達と一緒にアロマオイルを作りながら、花の先生に、朋佳ちゃんを誕生日会によんだ時の話をした。みんながワイワイガヤガヤしている古い家に、朋佳ちゃんが戸惑っていた事。帰りが遅くなったので母さんと一緒に朋佳ちゃんを送っていく時、会話が途切れがちだった事。その日、あの子は、まるで結婚式によばれたようなワンピースを着ていた事。


「それからなんです、私達に距離ができたのは。住む世界が違い過ぎてイヤになったのかな。小さい頃は違いなんて気にならなくて平和だったのに。でも女は気にするものなんですよ。持っている文房具や着るものが自分よりだんぜん上だなあ、とか。私は大体いつもお姉ちゃんのお下がりばかりだったから」


「着るもの? 本当にそう思ってた? 朋佳ちゃんの服の事。 僕は何となく憶えてるんだけど、違ったよね」


 その言葉で私は、記憶を辿たどった。そうだ。確かに、朋佳ちゃんに服の事でうらやましいと感じた事ってなかったような。と言うより朋佳ちゃんの服は高そうだったけど、いつもビミョウだった。このブラウスとカーディガンは合わないのにな、と思う事もあったし、服の着方が下手なのかな、という感じがあった。服に最初からシワが入っている事もあった。子どもなので遊んでいるうち、しわくちゃになる事もあるけど、家を出てすぐそういうシワがある事はふつうないのに。


「ここに昔来てた時、心配してたんだ。あの子の服には季節感がないなって。君のはお下がりでもちゃんとあるのに」


「季節感って?」


「植物の世話をしているといつもその日の天気や季節の変化を気にしてるんだ。雨が降りそうだと水やりも控えたり、台風か来そうな時は補強したり場所を変えたり、色々。洋服も同じで、寒くなりそうな日は朝から着込んだり、暑くなりそうな日は薄着で、バーベキューに呼ばれた日は汚れてもいい、アクティブな服装とかね」


「あ、分かる。今は自分でちゃんと考えてる。でも小ちゃい頃は母さんが枕元に用意してくれた服を着てたなぁ。季節感かぁ」


「ああ、季節感とかTPOとか。あの子の服にはなかった。肌寒い日でも薄着してたり、初夏でもウールのスカートだったり、周りに気をつけてあげられる大人がいないんだろうなって思ってた。お金持ちでも親が忙しいとかで」


「そう……かもしれないです。朋佳ちゃんの家で朋佳ちゃん以外の人を見た事は、そう言えばなかったなって。今更いまさらだけど」


「その事が九月の留学に関係あるのかもしれないね。少し気付いてあげられる人のいる所へ行くのかも」


「留学が?」


「そういう理由からアメリカへ行くのかも」


 確かに小学生の頃の朋佳ちゃんを思い出すと、外国まで行って本格的に勉強したいような子ではなかった。お互い不器用だけど、こと勉強に関しては、朋佳ちゃんは自分でも「学校の勉強がいちばんキライ」と言っていた位、苦手意識の固まりだった。光が丘女学院に進学した時、口の悪いクラスメートは、「絶対裏口入学」なんて言っていた。

 

「そんなふうに考えていなかったな。花の先生は探偵でもあるんですね」


「植物の事を深く理解すると、自然と他の事もよく見えてくるようになるんだよ。探偵はついでに他の推理もしよう」


「他の推理?」


「窓越しに見た朋佳ちゃんの事」


「え? ポン太の散歩中に見える朋佳ちゃんの事で、何か推理する事がありましたっけ?」


「向かいにいるのは朋佳ちゃんの家族じゃない」


「え? どうして?」


「さっき散歩中に見上げるって言ってたよね? そんな位置にある窓の向こうから誰かに見られるのを嫌がって、厚いカーテンを半分だけ閉める人っているかな。不自然だよね。杏ちゃんがカーテン越しに朋佳ちゃんって分るのは友達だからなんだし。それにカーテンするならふつう全部だろう? ちなみに窓があるのは東西南北のどちらの方角か分かる?」


「えっと、東です。川沿いだから」


「やっぱり。じゃ朝の日光を遮るためだろう。朝とは言え夏はまぶしいから」


「え、そうですかね。それも半分だけさえぎるためなんて、テーブルの向こうの人はよっぽど日焼けしたくないんですね。レースのカーテンだってしてあるのに」


「もっと物理的に日光があるとダメな物があるんだよ。たぶんテレビだろう」


「え?」


「テレビに日光が当たると白けて見えにくいんだ。それに家電に日光が当たると劣化しやすいから、Tちゃんの家ではそこの窓には半分だけレースのカーテンだけてなく、厚いカーテンを閉めているんだ」


「じゃ笑ってるように見えたのは、テレビを見ての事だったんですね。先生の推理通りだと」


「ああ、きっとね。そして最近下を向いているのは、スマホを買ってもらったから、テレビの代わりにそれを見るようになったからなんじゃないかな」


「テレビと向かい合って食べるなんて意外です」


「それは杏ちゃんが大家族で育っているからだよ。それが最後の推理に繋がる」


「最後の推理?」


「うん。朋佳ちゃんが杏ちゃんの誕生日会で戸惑った様子をみせ、帰りに無口だったのは、杏ちゃんの家がイヤだったからじゃないんだよ。逆に杏ちゃんの家族が座卓を囲んでいる様子を見て、自分にないものを持ってるって感じて寂しくなったんじゃないかな。杏ちゃんが離れていく気がしたんだよ」


「え? 逆だと思ってた」


「それまで自分と同じくらいぶきっちょで、笑い合ってた友達同士だからこそ、そう感じる事ってない?」


 そう。私は、逆に朋佳ちゃんが私立の中学に行くと聞いた時、すごく寂しかった。同じような思いをしていたのか。そう言えば、子どもの頃、傷だらけで汚れていた私の人形達はそれでも笑顔の人形ばかりだったけど、朋佳ちゃんの家にあったドールハウスの人形は綺麗だけど無表情だった。


「朋佳ちゃんに会いに行ったら? 留学前に」


「もう三年位、会ってないけど」


「でもポン太の散歩中にも気になっていたんじゃない?」


「行ってみようかな」

 

 そう思うともう体が出口の方向を向いていた。五月の青空の下、私は走った。弟のブーイングが聞こえる。そして花の先生の声も。「ほら、幸せな香りの薔薇のアロマオイル、持って行かないと……」

 


*********


 子どもの頃からすごく不器用だった。そしてそんな自分には、同じくらい不器用な友達がいて、今は外国に住んでいるけどメールと手紙のやり取りは今もまだ続いている。



〈Fin〉



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幸せな香り 秋色 @autumn-hue

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