呪いすらも乗り越えて

「じゃあ、ほれ……」

 本日使用するエサについて、やっとこさご納得いただけたところで、あらためて竿さおを森川に差し出す。

 おずおずとそれを受け取るものの、森川の顔つきは冴えない。少なくとも、釣りを教わりたがっていたヤツが初めて竿さおを手にした時の顔じゃない。

「どうした、気分でも悪いのか? 食い過ぎかなんか?」

 その問いかけに、森川の目つきがちょっと険しくなる。だが竿さおで両手がふさがっているからか、はたまた冴えない気分のせいなのか、正拳をオレに喰らわそうとする気配は見せない。

「まあ食い過ぎとかじゃないなら、竿さおを持ってこっちきてみな」

 オレは川がカーブし、深いよどみになった箇所へ森川をいざなった。

 森川は相変わらず険しい目つきのままながらも、黙ってオレの招きに従う。

「さっきのネリエサを大豆くらいの大きさに丸めてはりにつけて、このよどみに投げ込んでみ?」

 それを聞いた森川の目が、険しさから怯えの色に変わった。

「さっきのエサを、はりにっすか?」

 当たり前だろ? エサもついてないはりに喰いつく魚なんているワケねえ。オマエじゃあるまいし。

「お願いっす。師匠、お願いっす。お願いだからエサをつけて下さいっす」

「なに? お前、さっきミミズじゃなくてネリエサにするって自分で言っただろ?」

「で、でも……。でもやっぱりコワイっす。きっと私、さなぎさん達に呪われちゃうっすぅ〜」

「だから代わりにオレにエサをつけろと?」

「は、はい。お願いしますぅ」

 なるほど。つまりオマエ、自分の代わりにオレに呪われろと言ってるワケだな?

「し、ししょうぅぅぅぅ〜〜〜」

 ダメだ、コイツ。また泣き出しやがった。

 正直、もうこれ以上グズグズして時間をムダにするのはゴメンだ。コイツと観客ゼロの漫才をやってるくらいなら、たとえカイコのさなぎに呪われたとしても早く家に帰りたい。

「オマエなあ、そんなんで部活に入ったって、ちゃんとやっていけんのかよ?」

 バケツの中のネリエサをひとつまみちぎり取りながら、オレは軽いため息をついた。

 あこがれの先輩とやらがどんだけカッコイイのか知らんが、こんな足手まといじゃ入部早々そうそうにウザがられてあっさり終わりなんじゃなかろうか? いや、出来の悪い後輩ほどカワイイってタイプのヤツで、逆に目をかけてもらえる可能性もワンチャンあるか? ……ないな。こんな鼻水たらしながら泣きじゃくるメンドくせえ後輩、オレなら絶対イヤだ。

 だが仕掛けの先のはりを手に取ろうと顔を上げると、いかなる魔法の効果か、いつの間にか森川の嗚咽おえつがやんでいた。

「そ、そうっすよね……」

「え?」

「エサも自分でつけられない人に入部されても、先輩がきっと迷惑するっすよね」

 そう言うと、森川は涙でグシャグシャの顔を腕で乱暴に拭う。そしてオレが手にしたネリエサに、震える手をそっと伸ばした。

 その未就学児みたいな姿は、変な話、オレをちょっとホッコリした気分にさせた。

 うん。いいんじゃないか。

 どうやらコイツには、障害を乗り越えてでもたどり着きたい場所があるらしい。本人に乗り越えようという意思があるのなら、それを手助けするのはやぶさかではない。

 だけど……。

「うん、まあ……、なんつうか、頑張れ。あと、鼻水拭け」

「ほえ!!!?」

 そう言われ、慌てて自分の鼻に手をやろうとする森川。

「手で拭くんじゃねえよ、手で!」

 こちらも森川に劣らぬほどの慌てぶりでポケットティッシュを取り出し、下手で放り投げた。

 お手玉みたいな手つきでティッシュをアワアワキャッチした森川は、ニ、三枚引き出すと音高く鼻をかみはじめた。

 ていうかさ、一応は女子なんだから、もう少し控えめに鼻かめよ。コイツ、絶対オレのこと男として意識してねえだろ。

「すいませんっした。お見苦しいトコをお見せして……」

 涙も鼻水もさしあたりの処理が終わって落ち着いたのか、ほうっ、と一息ついた森川がポソッと呟く。

「もう大丈夫っす。たぶん大丈夫だと思うっす」

 そしてゴクリとツバを飲み下し、ふたたびオレに向かって上に向けたてのひらを差し出した。

 そのあからさまと言っていいほど悲痛な覚悟を感じたオレは、丸めたネリエサを黙って、そしてゆっくりとそのてのひらに乗せてやる。

 てのひらにエサが触れた瞬間、森川が身体からだをビクリと震わせるのを感じた。けれど感心なことに、森川はエサを放り出すことも取り落とすこともなく、かろうじてながら無事にエサを受け取る。

「こ、これ、どうすればイイんすか?」

 恐怖と畏怖に満ち満ちた目つきで自分のてのひら凝視ぎょうししながら、森川が声を震わせる。

「釣り糸の一番先にはりがついてんだろ? ネリエサでそのはりをくるむような感じでつけてみろ」

「くるむような感じ……っすか?」

「そ。難しくはねえだろ?」

「……くるむような。くるむような感じ……。それは、クルム伊達公子みたいな感じってコトでいいんすか?」

「是非見てえ。やってみせろ、それ」

 クルム伊達公子みたいな感じってどんな感じだよ? ライジング・ショットっぽく包むのか? いや、それどんな包み方だよ。ぜんぜん絵が浮かばねえよ。

 仕方がない。手本を見せないことには、どうにも先に進まなそうな感じだ。

「ちゃんと見てろよ。一度しかやらねえからな」

 オレは森川の手からネリエサをつまみ上げると、先端を包み隠すようにしてそれをはりに取り付けた。

「こうやって、鉤先はりさきを隠すようにしてつけてやるんだ。はりを指に刺さないように気をつけてな」

 オレの手先を覗き込む森川の目は真剣そのもの。いや、いい傾向なんだけどさ、そんな目をされると、また「やっぱり食いたいの、これ?」とかからかいたくなるんだよな。

 まあ、今はやめとこう。こんな農道の果ての果てみたいな場所じゃあ、救急車の到着も時間がかかるだろうからな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私に釣りを教えてください! ウヰスキーポンポン @whiskeyponpon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ