消去法にて決定
「じゃあ、あらためて始めるぞ」
タックルボックスを手元に引き寄せながら、森川にそう言い渡す。
ところがそれを聞いた森川、急に顔を青ざめさせて何ごとかブツブツつぶやき始めた。まるで心霊現象に遭遇して、念仏でも唱えているような感じだ。
耳を澄ませてよく聞いてみると、念仏を唱えているんじゃなくて「めめずさん、めめずさん、めめずさん……」とうわごとみたいに小声で繰り返していた。
そうか。さすがのコイツも、女の子の例に漏れずニョロ系が苦手ということらしい。
ていうか、ミミズが苦手ならそもそも釣りを始めようとか考えんな。
「心配すんな。今日はミミズは使わねえ」
森川を安心させるためにそう言いながら、オレはタックルボックスから茶色の粉末が入ったビニール袋を取り出した。実際、念のためにとミミズも一パック用意してはいたのだが、森川に対する精神衛生上の配慮から、今はそれを取り出すのはやめた。
「……そ、それはなんすか?」
「ネリエサだ。これを水で練って使う」
それを聞いて、森川がおそるおそるといったふうにオレの手元を
「ネリエサ……」
「ああ、まあそうな。残念ながら、お前の……」
みなまで言わないうちに、上目遣いでギロリと睨まれた。
「すまん……。オレが悪かったから拳を握るな、拳を!」
ちっ。ちょっとくらい冗談に付き合えっての。余裕のないやつ。
念のため、森川の正拳のリーチ外に退避したオレは、持参したビニールバケツに茶色の粉末をあける。それから川の岸辺にしゃがみ込んで、バケツに少量づつ川の水を注いでいった。
粉末と水を混ぜあわせて指先で練り、固さを見計らってまた水を少し足す。そんな作業を数回繰り返し、少しづつバケツの中のペーストの固さを理想に近づけていく。
「よし。こんなもんだろ……」
寄せ餌に使うならもう少し柔かめだが、今日は喰わせ用だ。
「なんか、独特な匂いがするっすね」
完成宣言を受けてバケツの中を覗き込んできた森川が、なんとも説明しがたい顔をしながらそう言う。
「……ふうん。どんな匂いがする?」
ふと、森川を試すようなそんな問いが口をついた。
森川のこの表情、ネリエサの匂いから意外といろんなことを感じ取っているような気がする。釣りをするのがまったく初めてというコイツが、匂いという限られた情報からどれだけのことを読み取れるか、ちょっと興味を持ったのだ。
オレの問いを受けた森川は首を捻り、少し考え込む様子を見せた。
「ええっとすね……。こころなしか、ほんのり甘い香りがする気が」
人差し指で鼻のあたりをこすりながら、自信なさげにオレの表情をうかがってくる。
「うん。例えばどんな?」
「うーん……。この匂い、どこかで
もどかしそうにモゾモゾと身をよじる森川。見ようによっては、トイレをガマンしているようにも見える。
「あ……」
突然、森川の動きが止まった。
なに、どうしたの。漏らした?
「これって、ばあちゃんの……」
「おばあちゃん?」
「はい。ばあちゃんの
「……」
言葉を失った。二つの理由で。
一つ。コイツ、匂いだけでこのネリエサの材料を言い当てやがった。
二つ。おばあちゃんがジャガイモ
「師匠……?」
その呼びかけに、ハッと我に返った。昭和だか、大正だかから帰った。
森川は、いかにも「違うっすよね? そんなワケないっすよね?」みたいにはにかんでいる。正解したヤツにこういう顔されるのって無性にイラッとするな。
「……正解」
「え?」
「正解だ。このネリエサの材料の六割くらいはマッシュポテトだ」
「おお! マッシュポテト?」
「ああ。……食ってみる?」
ぐぎゅっ、と森川の拳が握られる。
「わーるかった! やめろ! 三十パーやめろ!!!」
「……残りの四割はなんすか?」
「当ててみろ。……その拳を開いてから当ててみろ」
森川が握りしめた拳をほどき、ふーっと息を吐き出して戦闘態勢を
「う〜ん」
再びシンキングタイムに入る巨乳人間兵器。一つ目の材料を当てた自信からか、今度の回答は一度目より早かった。
「なんか、ギョウザ? みたいな匂いがするっすけど……」
「ほう。それは多分ニンニクだな」
また正解だ。コイツ、鼻がいい。犬か。
「ニンニクが入ってるんすか」
「ああ、市販のニンニクグルテンだけどな。さあ、あと一つ。残りの二割はなんだか分かるか?」
どうやら次が最後の一つと知って、
だが、この最後の一つが難関だった。しきりに鼻をクンクンいわせて首をかしげるが、なかなか答えが出てこない。
まあ、それはそうだろう。最後の一つはおそらく、森川が見たことも聞いたことも、もちろん食べたこともないものだろうから。
「……降参っす」
ちょっと唇を
思わずしてやったり、とばかりの笑みがこぼれた。いや、なにがうれしいってワケじゃないんだけど、思わずね。思わず。
悔しそうな森川の顔をしばらく堪能してから、オレはおもむろに最後の答えを告げる。
「最後の一つはな『サナギ粉』だ」
「さ、さな……ぎ……こ?」
ピンとこないんだろう。森川の頭上に無数のクエスチョンマークが見えた。
「そ、サナギ粉。カイコなんかの
それを聞いた森川の顔が、
「さ……、さなぎさん、さなぎさん、さなぎさん……」
「もう、なんだよお前……。
ホントに、釣りあきらめたら?
「いや、さなぎさんというか、さなぎさんになる前のむしさんが……」
ああ、なるほどな。カイコも
「けどよ、ミミズと違って生きてるワケじゃねえんだし。ていうか、形すら残ってねえし」
「だから余計コワイっす! なんか、オンネンがこもってそうで……」
メンドくせえ。想像がたくまし過ぎる。
だいたいサナギ粉にカイコの怨念がこもってたら、今までに何人の釣り人が呪い殺されてんだよ。
「じゃあ……」
オレはタックルボックスのフタを開け、今日は取り出すつもりのなかった紙箱を取り出した。箱の外側には、なぜか池でクマと並んで釣りをする黄色いキャップの男の子と、無理にカワイくデフォルメされたミミズの絵が印刷されている。商品名はズバリ「元気印! ミミズ君」だ。
「……こっちにするか? 今日のエサ」
もうなんというか、見るも無残というしかなかった。
紙箱のデザインを目にした森川は、まるで刑の執行を告げられた死刑囚みたいな有様だった。
脚はガクガクと震え、唇は紫色。虚ろな目を紙箱に向け、イヤイヤをするように首をしきりに横に振っている。
「…………で……」
「え? 何だって?」
「…………さん……で」
震える声で何か言おうとしているらしいが、途切れ途切れでよく聞き取れない。
「すまん。もうちょい大きな声で頼む」
「……ぎさんで……。さなぎさんでお願いしますっす」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます