雄弁な万華鏡

湖城マコト

挑戦の日

 箒星ほうきぼし高校ミステリー研究会では、夏休み、冬休み期間中の年に二度、「挑戦の日」と称した行事が開催される。現役の部員に対して、かつてミステリー研究会に在籍していた卒業生が謎を考案し、問題として出題するという催しである。


 これは現役生の推理の実践。ミステリーの愛好を続ける卒業生が、自ら考案した謎を発表する機会の提供。行事を通じた現役生と卒業生との交流の場。等といった様々な意味合いを持つ。双方から好評で、今回で十年目を迎える人気行事である。


「今期の出題者の灯台守とうだいもり更紗さらさです。よろしくね!」


 今年度の夏期出題者は、十年前に部長を務めていた灯台守更紗という女性で、職業は翻訳家。童顔と気さくな人柄も相まって、私服姿で遊びに来た部員たちの同年代の友人にも見えなくもない。左手の薬指には結婚指輪が光っている。


「これが今回、私が用意した謎だよ」

「ありがとうございます。灯台守先輩」


 更紗はこの日のために用意してきた出題用の箱を、ミステリー研究会部長の月影つきかげ亜里沙ありさに手渡した。


「開封前に、改めてルールを確認しておこうか。制限時間は一時間。出題から三十分が経過した時点でヒントを出し、その後は十分おきに新しいヒントを出していく。時間経過と共に難易度が下がっていく仕様だね。是非とも最高難易度である、ノーヒントでのクリアを目指してみてね」


 ルールの確認に、ミステリー研究会部長の月影亜里沙、副部長の青嵐あおあらし航大こうだい、部員の不知火しらぬい美鈴みすずの三人が頷いた。本来はもう一人部員がいるのだが、彼は寝坊でもしたのか絶賛遅刻中である。


「それでは、灯台守更紗からの挑戦を始めましょう。後輩諸君はこの謎が解けるかな」


 更紗の宣言と同時にタイマーがスタート。亜里沙が箱を開封した。

 中には赤い万華鏡まんげきょうが一つと、問題が書かれた紙が一枚、収められていた。


『私がこの学校のどこかに隠した四桁の数字を探してください。あらゆるヒントを万華鏡が教えてくれます。先ずはある男性を探すことから始めてみてね』


 問題文にはそう綴られていた。


「ヒントは万華鏡だけ。万華鏡を覗くと何か分かるとか?」


 副部長の青嵐航大が早速、万華鏡を手に取り中を覗き込むが、美しい幻想的な光景が広がるばかりで、ヒントらしきものは見当たらなかった。


「あらゆるヒントってことは、数字の隠し場所も、ある男性が何者なのかも分かるってことだよね。だけど、これだけで?」


 今度は部員の不知火美鈴が万華鏡の装飾など、細部を観察し始めるも、何か特徴的な加工が施されているわけではない。至って普通の万華鏡だ。


 糸口が見えず、三人は出だしから大きく躓いた。ノーヒントで三十分以内に回答できるか、正直なところ自信がない。


 部員たちは大のミステリー好きの集まりだが、だからといって自分達の推理力に自信があるかどうかはまた別問題だ。推理小説やドラマは大好きだし、謎解き自体も楽しいと思えるが、それは決して得意とイコールではない。


 これといった閃きも浮かばぬまま、悪戯に時間だけが過ぎていく。


『……求なら分かるのかな?』


 亜里沙は遅刻中の部員であり、幼馴染でもある有車ありしゃもとむの顔を思い浮かべた。彼は熱心に部活に参加しているわけではなく、亜里沙のお願いで人数合わせでミステリー研究会に所属している身だ。しかし皮肉なことに、部員の中で最も推理力に優れているのは求だった。活動上、基本的には誰かと競い合う機会のないミステリー研究会ではあるが、誰が謎解きのエースかと言われればそれは、間違いなくこの場にいない有車求だ。


 ※※※


「有車くん。今到着したのかい? 今日、ミステリー研究会は挑戦の日だろう」


 生徒玄関を通りがかった美術教師の伊戸いどにしき先生が、のんびりと上履きに履き替えている有車求に声をかける。ミステリー研究会で挑戦の日が開始されてから、すでに二十分が経過していた。


「色々あって遅れました。心配せずとも、僕は人数合わせの幽霊部員みたいなものなので、そこまで問題はないと思います」


「顧問ではないとはいえ、教師の前でよく言うね。それとも、幽霊部員とはいえ、最低限行事には参加しようという心意気を買うべきなのか」


 伊戸先生は苦笑交じりに肩を竦める。冗談の通じるタイプなので、説教や小言には発展しなかった。


「今日はロイド眼鏡なんですね」

「ああ、形としては一番のお気に入りでね」


 今日の伊戸先生はレトロな印象のロイド眼鏡を着用していた。教師という職業上、派手な服装は控えているがその分、伊戸先生は眼鏡でのお洒落に拘っており、その日の気分で様々な眼鏡を使い分けている。美術の授業がある日は生徒達の間で、伊戸先生は今日はどんな眼鏡をしているのだろうと話題になることも珍しくない。


「最近視力が落ちてきて眼鏡を作るかもしれないので、今度、どんな眼鏡がいいか相談させてくださいよ」

「僕でよければ喜んで。それはそれとして、早く部室に行ってあげなさい。月影さんたちもきっと待っているよ」

「そうですね」


 今からでも挑戦の日への参加は間に合うはずだ。伊戸先生に促され、求は部室へと向かった。


 ※※※


「遅れました」

「遅いよ求。お客様もいるんだし、こういう日ぐらいは居てもらわないと」

「ごめんごめん」


 部室に到着した求は、両手を合わせて亜里沙に頭を下げた。本来、求は帰宅部志望なのだが、部員不足だったミステリー研究会存続のために籍を置いたり、遅刻とはいえこうして行事には顔を出したり、幼馴染の亜里沙のことは何かと気にかけている。


「灯台守更紗よ。私は別に気にしてないから安心して。今から君も参加するよね」


 出題者の更紗は嫌な顔はせず、笑顔で参加を促した。前回の挑戦の日で出題者だった先輩から、とんでもなく頭のキレる有車求という男子生徒がいると聞かされていた。もちろん、後輩たちとの交流という目的を忘れてはいないが、一人のミステリー好きとしては、謎解き問題で求と一戦交えたいという思いもあった。


「これが今回の問題なんだけど、私達じゃ全然解けなくて。この万華鏡のことは隅々まで調べ尽くしたはずなんだけど」


 亜里沙が求に、万華鏡と問題文を渡した。すでに出題から二十五分が経過しており、最初のヒントが出るまで残り時間は五分。部員たちの間ではすでに、ノーヒントでの正解を諦め、ヒントを頼ろうという空気が広がっていた。


「あらゆるヒントを万華鏡が教えてくれる。ある男性」


 問題文の一節を口ずさみながら、求は考えをまとめるために、持参したメモ帳にボールペンを走らせていく。「まんげきょう」。「ばんかきょう」。「カレイドスコープ」など、万華鏡を別の言い方に変換しながら、何かを探っていく。その作業を三分ほど続けると。


「なるほど、これが答えか」


 問題を解き始めてからほんの数分での宣言。部員たちは驚愕し、出題者の更紗はどこか愉快そうに口角を上げた。


「求、本当に答えが分かったの?」

「ある男性の正体も、四桁の数字がどこに隠されているのかも、見当がついたよ」

「回答を聞かせてもらってもいいかな。有車くん」


 更紗にコクリと頷くと、求は部室のホワイトボードを使って解説を始めた。


「先ずは、最初に見つけることを推奨されている、ある男性の正体について。あらゆるヒントは万華鏡にあるということは、この男性の正体も万華鏡から導き出されるはずだ」


「だけど求、万華鏡なら隅々まで調べ尽くしたけど、ヒントらしいヒントは見つからなかったよ?」


「それこそが灯台守さんの心理的な誘導さ。あらゆるヒントを万華鏡が教えてくれるという文言と一緒に、実物の万華鏡が入っていたら、万華鏡本体に注目したくなる。だけどあれは何の変哲もない万華鏡で、特別なヒントが隠されているわけではない。注目すべきは本体ではなく、万華鏡という言葉の方だ」


「どういうこと?」


「万華鏡には様々な呼び方があるけど、最も有名なのはカレイドスコープだ」


 求はホワイトボードにカタカナで記入していくが、「カレ イド スコープ」と、間隔を空け、言葉を意図的に三分割した。


「この言葉が、ヒントにあった男性の正体と、四桁の数字が隠されている場所を教えてくれる」


「ごめん、求。まだ話しが見えてこない」


「ヒントは見つけるべき人物を男性だと限定している。彼女ではなく彼ということだ。この学校の生徒である僕たちには、覚えのある名前が見えてくるだろう」


 求はホワイトボードの「カレ」の下に「彼」と、「イド」の下に「伊戸」と書き込んだ。


「伊戸先生!」


 部員たちの声が重なった。伊戸先生はミステリー研究会の顧問でもなければ、この学校の卒業生ですらない。彼が挑戦の日に関わっているという発想自体が浮かんでいなかった。


「彼、伊戸。ある男性とは美術の伊戸先生のことだ。ならば、残るスコープが示すものとは何か。スコープという言葉は、活動や研究の、範囲や視野という意味も持っている。ならば伊戸先生にとってのそれは何か。教師という職業上、教室が候補に上がるが、伊戸先生はクラス担任を持たないから、必然的に、授業や部活動で利用する美術室が想像される。四桁の数字は美術室に存在していると僕は結論づけた。如何ですか? 灯台守さん」


「ここまでは正解。だけど、四桁の数字を見つけるところまでが問題だよ」

「もちろんです。場所を美術室に移しましょうか」


 ※※※


「思ったよりも早い到着だったね」


 今日は美術部の活動は無く、美術室にいたのは顧問の伊戸先生だけだ。更紗の協力者として当然全ての事情を知っているので、特段驚くこともなく、笑顔で一行を迎えてくれた。


「伊戸先生。今日の鞄を見せてもらえますか?」

「流石は有車くんだね」


 感心した様子で頷くと、伊戸先生は机の上に置いていた鞄を求に手渡した。今回の問題のために用意した小道具だ。求が中を探ると、四桁の数字が書かれた紙が一枚入っていた。


「1817。これが探し出すべき四桁の数字ですね」

「大正解! たったの五分で完全回答まで行き着くとは、恐れ入ったよ」


 ノーヒントかつ、三十分の想定の問題を実質的に五分で回答。求の完全勝利といっても過言ではない。


「それにしても、どうして伊戸先生が灯台守さんの協力者に?」


 亜里沙の疑問には、更紗が左手の甲を見せながらが答えてくれた。


「灯台守は旧姓で、今の名前は伊戸更紗なの」

「お二人はご夫婦だったんですか!」


 ある意味で本日一番の驚きであった。更紗は左手の薬指に結婚指輪をはめているが、その相手は伊戸先生だったのだ。


「更紗に頼まれて、彼女の謎に組み込まれることになったんだ。生徒に身近な教師かつ、ミステリー研究会とは離れた位置にいる僕がいた方が、謎が面白くなるからってね」


 笑顔で語るあたり、伊戸先生もノリノリで協力していたようだ。芸術家でもある彼にとっても、刺激的で面白い試みだったのかもしれない。


「それにしても求。どうして伊戸先生の鞄の中に答えの数字があると分かったの?」

「そのヒントも万華鏡にあったんだよ」


 亜里沙の疑問に答えるべく、求は美術室の黒板に「ばんかきょう」と書いた。


「万華鏡には『ばんかきょう』という呼び方もあるんだ。これはアナグラムになっていて、意味を持つ言葉に並べ替えると」


 求は黒板の「ばんかきょう」の文字を、「きょうかばん」と並べ替えた。


「今日、鞄となる。幾つかパターンを考えてみたけど、具体的な場所を示していそうな言葉はこれぐらいだった」


「本当だ! 万華鏡があらゆるヒントを教えてくれるって書いてあったけど、伊戸先生の存在や美術室だけでなく、より具体的な場所まで指定していたんだね」


「ヒントはこれだけじゃないよ。僕はカレイドスコープから伊戸先生に辿り着いたけど、どうやら別のルートでも、伊戸先生や美術室に辿り着くことが出来る問題になっているようだ」


「驚いた。有車くん、別のルートにも気づいていたんだ」


 そこまで見透かされていたことには、流石の更紗も驚きを禁じ得なかった。求の言うように、万華鏡から伊戸先生や美術室へと辿り着くルートは複数用意してあった。


「万華鏡にはカレイドスコープ以外にも幾つか別名があります。例えば百色眼鏡ひゃくいろめがね。これはお洒落好きで、毎日違う眼鏡を使い分けている伊戸先生を想像させる。他には錦眼鏡にしきめがね。伊戸先生のフルネームは伊戸錦。眼鏡をかけた錦さんはこの学校には伊戸先生しかいません。


 美術をイメージさせる要素も幾つか存在します。カレイドには古代ギリシャ語で『美しい形』という意味もありますし。万華鏡で見る対象物のことをオブジェクトと言い、フランス語ではオブジェ。これも美術と繋がりの深い言葉と言える。問題文に違わず、確かに万華鏡にはあらゆるヒントが込められていました」


「まさか、私の用意していたルートを全て言い当てるとは、想像以上の探偵さんね。それじゃあ最後に、挑戦の日とは無関係の特別問題。四桁の数字が何を意味しているかは知っている?」


 万華鏡の様々な別名まで把握している求のことだ。その答えも当然知っているのだろうと、出題者しながら更紗も確信していた。


「万華鏡と関わりの深い年。1817年は、デイヴィッド・ブリュースターが万華鏡の特許を取得した年ですね」

「私の完敗。とんでもない後輩がいたものね」


 ミステリー好きとして、悔しさの一方で清々しさもあったのだろう。更紗は満足気に深く頷くと、勝者を称えて惜しみない拍手を送った。拍手は部員たちや伊戸先生にも波及していく。


「いたいた。有車くん、職員室まで来てもらえませんか」


 拍手に気付いたのか、美術室の入り口から、通りがかった教頭先生が顔を出した。教師である伊戸先生が対応する。


「教頭先生。有車くんに何か?」

「実は、警察の方が有車くんを訪ねて来ましてね」


 警察という単語に一同がギョッとし、視線が求へと注がれる。


「おっと、言葉足らずですみません。何も変な理由ではありませんよ。有車くんは学校に到着する前、通りがかりに警察の捜査に協力していたそうで、先程無事に事件が解決したのだとか。有車くんの助言のおかげで事件を早期解決出来たので、そのお礼が言いたいそうですよ」


「求。学校に到着する前にってことは、もしかして遅刻の理由って」

「後で話そうと思ってたんだけど、教頭先生の仰った通りだよ。事件がどうなったのか気になっていたんだけど、無事に解決したのなら何よりだ」


 再び一同から求に驚嘆の眼差しが向けられる。

 求は挑戦の日の謎だけではなく、その前に本物の事件も一つ解決してみせていたのだ。


 有車求の推理力は、どこまでも底が知れない。




 了

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