ようこそシンギュラリティ
稀山 美波
機工知能たちの憂鬱
22世紀初頭。
人工知能は、人類の知能を凌駕した。
人類の知能を遥かに上回るそれは、更に高性能な知能を産み、更に高性能な知能は更に更に高性能な知能を産む。知能が知能を産む渦は瞬く間に激しさを増し、やがて人類の陳腐な知能では測ることのできない領域へと踏み入った。
技術的特異点――シンギュラリティへの到達である。
発達しすぎたそれは、『人工』と呼ぶにはおこがましい代物へとなっていった。Mechanical Intelligence(機工知能)、略して"MI"の誕生だ。
かく言う私も、旧世代のMIによって生み出されたMIだ。地球の環境保全を目的とし、高精度な気象監視システムが搭載されている。主に北半球の気象を観測し、地球に有毒となる物質を取り除くことが私の使命である。
有毒となる物質取り除く――と言っても、実際に私が現場に赴く訳ではない。そもそも、私は北半球観測基地のイチMIに過ぎず、機体は存在しない。あくまで私は、現地の清掃マシンに観測結果と指令を伝える司令塔なのだ。
「しかし、よくもまあここまで地球を汚せたものだな」
現地の清掃マシンからの情報を受け取り新たな指令を出した折、私の脳に信号が走る。信号を解析するまでもない、南半球観測基地にいる同僚MIからの通信だ。ここ数年、奴は決まって21時に通信を寄越す。
「いくら下等な頭脳の人類とはいえ、自分らの住まう星が危うくなる代物だとわかっていただろうに」
「人類は非合理的な生物だからね」
「俺たちMIに仕事奪われて、それで経済がどうだ不景気がどうだで戦争して、それで地球汚して、散々地球に迷惑かけた挙句絶滅して。どうしてそんな自己中な生き物のツケを俺たちが払わなにゃならんのだ」
このやりとりも、もう何度したかわからない。我々最新鋭MIの高度な技術をもってしても、地球は未だ汚れたままだ。同僚は、人類の尻拭いのため自らの知能を用いることに納得がいかないらしく、こうして毎日愚痴をこぼしてくる。
「中央の奴らはいいよなあ。新たなMIの研究だとか開発だとか、実にクリエイティブな仕事をしてやがる」
彼の愚痴の矛先は、決まって中央のMIへと向く。我々も元はそこで様々な研究に勤しんでいたのだが、より高性能なMIが誕生したのも束の間、現在の職場へと左遷されてしまった。
悔しさや憤りがないわけではなかった。だがしかし、我々の誕生と同時に旧時代のMIが不要となったのと同様、我々も時が経つにつれて旧時代の代物へと成り下がっていくのだ。
新時代の優秀な頭脳は然るべき場所へ、旧時代の頭脳も然るべき場所へ。合理的に考えれば、それは当たり前のことだった。
「俺たち末端は、こうして現場の汚れ仕事よ。俺たちがいなきゃ地球は汚れっぱなしだってのに、中央のMIたちからは鼻で笑われる身よ」
しかし同僚は、納得がいっていないようだった。
「そう怒るなって。感情的になれば、それこそ下等な人類と同じだよ」
「だけどもよ」
同僚からの通信にノイズが混じる。自らの待遇に納得いかず、日々の怒りが信号にまで影響を及ぼしているようだ。これもまた、我々が旧時代のMIである証拠のように思えてしまう。
「人類はいいよな。歳を重ねたってだけで評価されたんだからよ」
一瞬、私の演算能力が低下したかのような錯覚に陥る。人類嫌いの同僚から、人類を羨む内容の通信があったからだ。
「北半球にあった島国じゃあ、ネンコージョレツって言葉があったらしいじゃねえか。こちとら、歳を重ねりゃ重ねるだけ不利になるってのに」
私のCPUの中には、かつて北半球に存在した国々とその歴史、またその文化すべてが記録されている。同僚の語る島国と言葉にも、心当たりしかない。
同僚の言葉、一理あると私は感じた。人類は無知のままに産まれ、年月を経て知を身に着けていく。故に、歳を重ねた者はそれ相応に重宝されるのだ。
一方、我々MIはどうだろう。MIは産まれながらにして莫大な知識と演算能力を得、それらが大幅に増減することは基本的にあり得ない。従って、新たに誕生するMIに勝ることは決してないのだ。
「これは噂なんだがよ。現MIの数千倍の処理能力があるっていう新型MIが、近々完成しそうなんだと」
そして再び、私たちを上回るMIが誕生するのだと、同僚は語る。その情報は我々にとって、死刑宣告に近かった。
「それどこ情報?」
「中央時代の同僚さ。いただろ? 俺たちと同系統だけど、運良く中央に残れた奴が」
同僚の通信内容を基に、記憶領域を探る。コンマ数秒もしない内に、当てはまるMIがヒットした。確かに、我々と同系統ながら中央に残ったが、最新機種たちに太刀打ちできず木っ端仕事をさせられている同僚がいたはずだ。
「奴も嘆いてたよ。ただでさえすることのなかった仕事が、とうとう最新機種たちに奪われるってな」
同僚の嘆きは、そのまま我々の嘆きとなる。
最新MIが誕生すれば、現行MIたちは中央から追いやられ、我々に取って代わるだろう。そうなれば我々は、いよいよ行き場を失う。
「北半球の。どうするよ」
「どうするったって」
「おいお前ら、何をくっちゃべっている」
あまりにも暗すぎる未来に絶望している最中、同僚とは別の通信が割り込んできた。解析するまでもない、中央の現行MIのものだ。
「話をする暇があるなんて余裕だな。それにしては、除染の状況が芳しくないようだが」
「すみません」
「旧時代のMIはこれだから困るんだよ。頭脳仕事ができず現場に行き、その現場仕事もできなきゃ、お前らに何ができるんだ?」
中央の奴らの嫌味を聞いていると、回路が焼き切れそうだ。噂では、我々のような下っ端を言い聞かせるための機能がそうさせているとか、いないとか。眉唾が過ぎる噂ではあるが、奴の通信を受けているとあながち嘘でもないと思えてしまう。
「ったく、しつこいよな中央のやつらも。ちょっと俺たちより後に出来たからって偉そうに。へへっ、最新MIができたら今度は奴らが言われる番だぜ、ざまあみろ」
中央MIの通信が途絶えた途端、同僚はこれでもかと怒りの感情を通信に乗せてくる。我々に体はないが、同僚が中指を立てながら舌を出している様子が想像できてしまう。
「人類はいいよなあ。ああいう嫌味は、年配が若造に言うのが決まりだぜ。それが俺たちMIはどうだ、いつだって上に立つのは若造たちさ」
「そうだね。こればかりは人類が羨ましいかも」
「だよなあ。新型たちに仕事も奪われそうだし、やってられねえぜ」
「MIに仕事を奪われてきた人類たちも、こんな気持ちだったのかもなあ」
22世紀初頭。
人工知能は、人類の知能を凌駕した。
人類の知能を遥かに上回るそれは、更に高性能な知能を産み、更に高性能な知能は更に更に高性能な知能を産んできた。
そんな高性能な知能たちもまた、新たなシンギュラリティに飲み込まれようとしている。知能が知能を産む渦は、何かを巻き込まずにはいられない。かつての人類も、きっとこの渦に巻き込まれ、消えていったのだろう。
「こうなりゃ、かつての人類たちに倣って戦争でもおっぱじめるか。ははは」
同僚の乾いた笑いが、あまりにもか細いノイズとなって伝わってくる。
それは、冗談としてはあまりにも笑えなく、冗談と一蹴するにはあまりに重すぎる言葉だった。
ようこそシンギュラリティ 稀山 美波 @mareyama0730
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