一章 冒険者編

第1話 太陽に灼かれたもの

「レイ!起きろぉぉおー!」

「うおぉ!?」


耳をつんざくような大音声に驚き、ベッドから飛び起きる。

声の主に反射的に視線を向けると、視界に映ったのは、よく知った顔の少女だった。強盗のたぐいではないとわかり安心しつつも、些かたちの悪すぎる蛮行に小さく舌打ちしながら、恨み言をこぼす。


「朝っぱらからなんだ?人が気持ちよく寝てるっつうのによ…」


こちらをじっと見つめる彼女の黒の瞳に、不満げな俺の姿が映る。そんな俺の様子に満足したのか少女アンリ•ブレイバートは鷹揚に頷き、此度の悪行の動機を宣った。


「今日は学院の卒業祝いでみんなで集まろうって話だったでしょ?だからわざわざ起こしに来てあけだってわけ、感謝してよね!」


「いや、それは昼集合って話じゃなかったか?いま日が昇り始めたとこだぜ?」


「あら?時間に余裕を持って動くのは大切よ?それにもう、私ソワソワしてしょうがないの。だから散歩にでも行こうかなって思って」


「時間に余裕どころか、持て余すわ!ってか散歩なら一人で行ってこいよ!全く俺を起こす必要なかったじゃねえか!」

余りに理不尽すぎるこの仕打ちに、思わず語気を荒げてしまう。


「あら、幼気いたいけな少女を一人、街に放り出すの?」


「どこにその幼気いたいけな少女とやらはいるんだ?」


「もう!いいからレイも行くよ、ほら準備した!」


はぁ、ため息をつく。

頑固すぎるこの少女は一度下した決断を覆すことをしない。俺は早々に、二度目の惰眠を貪ることを諦める。


「あっちで待ってるからね!」

 そう言って彼女は部屋の外に駆けて行った。


「へいへい、わかりましたよ…」

そうひとりごちて、ベッドから重い体を降ろした。肌を刺す冷たさに全身がぶるりと震える、初春の空気はいまだ厳冬の面影を残しているようだ。適当な上着を羽織り、最低限の準備を済ませた。



 あくびを噛み締めながら、外に出てみるとまだ日が昇りきっていないようで、辺りは少し薄暗い。足元に生える名も知らぬ植物は藍色の蕾を携え、朝露を滴らせている。視線を少し遠くに向ければ、彼女は手を振って俺を急かしていた。


「はやく〜」

「はいはい」


 小走りで彼女の方へ向かう。


 ここでふと気づく。


「お前、どうやって俺の家に入ってきた?俺の記憶が正しければ昨日の晩、戸締りはしっかりしたはずなんだが」


「うん!しっかり鍵は掛かってたよ」


「は?じゃ、どうやって…」


アンリは手のひらを俺の目の前に突き出しすと、ぎゅっと握った。彼女の握られた拳に魔力が集中していく、暫くしてから、手を開くと、何もなかったはずの手のひらに、氷でできた鍵が乗っていた。


「お、お前…」

 と出鱈目すぎて脳が理解を手放した。


「驚いた?」

 彼女は悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑う。


「あー…盗人になったら天下取れるんじゃないか?」


「えぇ、不名誉なんだけど…」


最大限の賞賛のつもりだったが、どうやら彼女は不満らしい。機嫌を取るのも面倒なので話を逸らす。


「ところでこんな早朝じゃ、店なんでどこも閉まってると思うぜ?」


「別にいいよ、ホントに少し気を紛らわせたいだけだもん」


アンリはそう言って、くるりと街道側に体を向けると石畳の上を歩き始める。彼女の肩までかれた濡羽の髪が、ふわりと舞い、ほんのりと差す朝日に照らされキラキラと光る。


「じゃあ、どこまで行くつもりなんだ?」

重ねて聞く。


「目的地なんて決めてないよ、う〜ん…あ、そうだ!夕凪の丘まで行こう!」


「あぁ、あの丘か、懐かしいな…」


夕凪の丘は街を少し出たところに広がっている平原にポツンと立った小高い丘だ。俺たちが、まだ幼かった頃はよく此処を訪れて、冒険やら、勇者ごっこやらに勤しんだものだ。


そう物思いに耽りながらアンリの隣を並び歩く。ふと、辺りに視線をやると、いつもは沢山の人で賑わう街が閑散としていることに気づく。慣れ親しんだ日常の風景との乖離が、まるで自分が別世界に迷い込んだかのような錯覚をもたらす。期待感と不安感が混ざり合い、いつかの冒険心を思い出させた。


 

 そのまま道に沿いしばらく歩く、やがて街を抜けて、目的の場所が見えた。舗装された街道から少し逸れて丘に向かって再び歩き始める。地面には霜柱が立っているようで、足を下ろす度にザクザクと音を立てて沈み込む。緩い傾斜を登っていく。

大した会話はない、足音とたまに吹く風の音だけが聞こえる、横日が眩しかった。古い思い出の断片を探し出すかのように一歩、一歩ゆっくりと踏みしめていく。


「はぁ、やっとついた」

彼女の声で夕凪の丘の頂上に辿り着いたことを知る。足元ばかりを気にしていたので気が付かなかったようだ。


「あぁ」

顔を上げてみると、感嘆のあまり声が漏れた。


緑の平原がどこまでも続く、遠方に聳え立つ山々、萌える木々は燦然さんぜんと光放つ太陽の後光に照らされ淡い紫の輪郭を保っている。

何ものにも変え難い美しい景色が広がっていた。

。ちらりとアンリの横顔を覗くと、黒い瞳に薄い涙の膜が張っていて、彼女もこの景色に深く感動していることがわかった。


「ここに来れるのも最後かもしれないのね」

彼女は名残惜しそうにつぶやく。


「最後って訳じゃないだろ?この街に帰れば、いつでも来れる」


「そうかもね」

反応は芳しくない、その理由を俺は知っている。


「勇者になりたいんだっけか?」


勇者。それは英雄の中の英雄、魔を滅する剣であり、弱きを守る希望の盾であるらしい。

あぁ、くだらない…


「フフッ、そうね、絶対に私は勇者になるわ」


「なんで勇者になりたいんだ?俺はどんな対価があったとしても、勇者にはなりたくない」


「もしかして心配してくれてるの〜?」

アンリは小馬鹿にしたような笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んでくる。


「別にちげーよ」


「そうだね」

彼女は暫しの間、目を瞑って考え込み、口を開いた。


「恩返しがしたいからかな?」と


希望に満ちたこの世界に…


例え打ちのめされても、立ち上がる人の尊厳と強さを知った。

例え絶望の淵にあっても、僅かな施しが人に光を与えると知った。


私はこの世界が愛おしくてたまらない。

世界を満たす優しさ、温かさをもっと誰かに知ってほしい



「だから私が勇者になる」




俺の瞳を正面から見つめ、そう締めくくった。

俺は目を逸らしてしまう、彼女の気障ったらしい世界への賛美が本気であると分かったからだ。


困った他人ひとを助けずにはいられない

苦しむ誰かを救わずにはいられない

そんな馬鹿みたいなお人好しだ。

彼女も世界の仕組みに全てを奪われたというのに…


その黒曜石の瞳に映る世界はいったい、どれほどの輝き放っているのだろうか。



嗚呼、その真っ直ぐさに俺は…

彼女にばれないように下唇を噛む。


あぁ、彼女は眩しいのだ、眼が灼かれてしまう…

これが、生まれ持っての資質ってやつだろう。


それだけじゃない。

彼女は俺に氷の鍵を作ってみせた、多くの魔法使いが不定形の魔力を有形に収束させることだけに、どれだけ心血を注いでいるか知っているのだろうか?

それを鍵なんて精密なものを片手間に作り出す尋常じゃない魔法の技量。身に宿る魔力量だっておおよそ常人じゃ想像もできないような膨大さだ。

加えて、剣技も体技だって、煌めく知性も、あれも、これも…どれもこれも、彼女は持ち合わせる。


黄金が如く光放つ精神、一身に受けた世界の寵愛…

そう、アンリ•ブレイバートは英雄であるのだ。



彼女の光に照らされ、俺の底意そこいは暗く澱んでいく。

そんな胸中を彼女に悟られぬ様、誤魔化すように軽口を叩いた。

「そうか、まぁ俺は盗人になるのを推奨するぜ」


「散々語らせておいて反応がそれなの…?」


唸る彼女を尻目に、いまだ昇り続ける太陽を見つめる。ゆったりと流れる時間を自覚した。






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不屈の墓標 アプリタロス @ringotaro

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