7月7日
今日は七夕であるし、久々に日記をつける。
今日私はなんとも小説にしたいと思える「いい夢」を見れた。将来ネタ提供なり自作の小説なり作りたいと思っているので詳細は伏せるが、「通じ会えない愛の形」と言うような夢を見た。結末は目が覚めてしまい見れなかったので、そこを創造するのが楽しみである。
これだけでは日記としてはいささか寂しい気もする。今日は続けて夢の話をしよう。
今思えば私は、子供の頃から明晰夢紛いの夢を見ていた。
いちばん記憶に残っているのは何度も見た悪夢の類だが、「過去見た事がある」「意識すれば夢を少し変えられる」という事を無意識に理解していた。例として1番怖かった保育園児の頃の夢を話そう。
夢の中ではお昼寝の時間だ。皆プレハブで作られたお昼寝部屋に敷き詰められた布団で寝ている。決まって私だけ目が覚める。先生の姿はない。園の中を歩こうと、外へ行こうとする。するとプレハブ小屋の出入口の扉の脇に、光る蛹が張り付いている。形はアゲハチョウやモンシロチョウのような一般的な蛹で、蛍光灯のように自ら光を放っている。この蛹の正体は、ポケモン映画「セレビィ 時を超えた遭遇」に出てくる、バタフリーに進化する直前のトランセルの蛹である。なにか心に残るものがあったのだろう。と、ここまではいつも必ず共通しており、この先どう行動するかでやや内容が変わる。
初めの頃は木の枝でその光る蛹をつついていた。すると中からニュルニュルと黒いものが生まれてきて、みるみるうちに巨大になり、「千と千尋の神隠し」に出てくる太った方のカオナシに姿を変え、襲ってくるのだ。勿論私は扉を開け放ち逃げ出す。カオナシはその巨体で廊下の遊具を破壊しながら追いかけてくるのだ。恐怖に目を覚まそうとしても、まぶたが痙攣したようになり目が開けられない。体も硬直して動かすことが出来ない。俗に言う金縛り状態だったのだろう。目が開けられないので眠気に揉まれるまま再び夢に落ち、カオナシにどこまでも追いかけられる。そういう夢だ。
蛹をつつくからカオナシが生まれるのだと、原因の蛹を刺激しないようにした日もあった。だが扉を越えたところで勝手に蛹からカオナシが孵り、追いかけ回されてしまう。
2階に逃げ込み逃げ場を失い、飛び降りた日もあった。その日は体を大きく跳ねらせ目を覚ましたものだ。
これらが夢だと認識できていて、何も恐れることは無い…という意識はこの頃は無かった。ただただ怖かった。だが意識すれば結末を変えられると知り始めたのは小学生の頃だった。
もうひとつ例として2番目に怖かった夢を出そう。
暗い穴に吸い込まれそうになるという夢だ。
床は明るめの色のフローリングで、爪を立てて踏ん張ってもズルズルと吸い込まれる。明るい出口があり、そこに父母らが立っているのだが助けてはくれない。そこまで逃げれば逃げ切れる気がして頑張るが、吸い込まれる力の方が強い。そして目が覚め、再び夢に落ちると吸い込まれる。その繰り返しだった。
だがある日、思い切って暗い穴に吸い込まれてみた。するとその先は狭い洞窟のようになっており、ゲームをやっているような第二者視点だった。洞窟を抜けると赤錆の鉄骨の骨組みだけの建物に場面が変わり、悪役のような人物が立っていた。成り行きで倒し、排水溝のようなところに飛び込み、巨大な建物の外に逃げ出してHappyEND(?)。大きな恐怖を抱く事はなく、その日は目覚めることが出来た。するとどうだろう。あれほど繰り返して見ていた吸い込まれる悪夢を、はたりと見なくなったのだ。
この出来事以来、「何らかの結末を迎えれば悪夢を見なくなる」という事に気がついた。だが所詮は子供で、恐怖からは逃げたい盛りだった。だが勇気を出して夢を変えようとする意識は芽生えた。そうして数々の悪夢を克服出来た。
少し面白い解決の仕方もあった。ゾンビのような化け物に追われた日の事である。
「ちょっとちょっと!台本と違うよ!もっとこーやって追いかけなきゃさぁ…」
と追いかけられるのを誤魔化してみたのである。するとゾンビも
「あ、すみません」
と頭に手をやりペコペコしながら謝ってきた。思わずその滑稽さに笑ってしまいそうになったが、努めて厳しい顔は崩さず演技指導をした。そして最初からスタート。だが今度ば怖くはなかった。楽しい追いかけっこをして終わった。分類としては怖い夢だったが、こんな楽しいならまた見てもいいなとは思ったが、ほかの悪夢の例に漏れず、この夢も再び見ることは無かった。
高校に入り、自分が見てる夢の数々は明晰夢か否かが気になり始めた。
夢の中で「Q.今が夢だという自覚はありますか?」と問われれば、はいと答えられる自信がある。だが問われなければ夢だと考えることはほとんどない。無意識下で理解しているような感覚なのだ。
「昔見た気がする」「前見た夢の続き」「念じれば銃持てるかな」「移動がだるいから飛ぼう」「犬みたいに走った方が早いのはいつもの事」
これらを特に夢だと意識せずに行える。
ゾンビが現れた!となったら面倒臭いから銃でヘッドショット狙おうかな…等が行えるのだ。
じゃがいも掘りをする夢を見た時、こんなに立派なじゃがいもを現実に持ちかえることは出来ないのだから、生で齧ってしまおうとゴリゴリ食べた日もある。この行為だけを見ると夢と100パーセント自覚してると言える。だが普段は無意識だ。
明晰夢と聞くともっと夢の内容すら自在に変えられるイメージがある。だが私は夢の大筋のストーリーは変えようと思ったことは無い。元々オリジナルなストーリーを楽しみたいと言うのもあるが、そもそもそんなに考えたことがない。ほぼ一期一会な夢との出会いを楽しんでいる。故に普段見ている夢が明晰夢か否かと問われると悩ましいのだ。
夢の中の私は基本ノリノリだ。TRPG(テーブルトークRPG)を行うように、ノリに乗って演技をする。だがそれが夢に操られている行為なのか自分の意思なのかわからなくなってしまう。
今日の夢はどちらかと言えば夢と認識していた。私が喋ったセリフのひとつに「こんなところ(夢の中)でも会ってくれるだけで嬉しいんだよ」と、そこが夢だとわかった上でそう言った。
とまぁ、ここまで明晰夢か否かを書いたが、実は現実と区別がつかないような夢を見ることがたまにある。ループする夢も見たことがある。ループする夢は、起きたその先が現実だと思って行動することが多い。何か変なことが起きて「また夢の中か」と認識する。だが夢から覚めたと思い体を起こすまでは現実だと誤認している。
スマホの画面から朝のリビングの風景まで、あまりにリアルすぎて現実だと誤認し、朝の支度を行い学校に行こうとし、「あれ、私学生…もう卒業したじゃん」と夢に気づいた時もあった。この時はどれだけ学校行きたいんだよと、自分で自分に突っ込んだ。
そんな事はありつつ、夢の世界は楽しい。指をピストルにと願えば撃てたりもする。アナ雪のような魔法をと強く願えば出来たりもする。現実の世界で友人たちと遊ぶのももちろん楽しいが、夢の世界で遊ぶのも楽しい。どちらを取るかとても悩ましい。今日もそんな思考に板挟みになりながらつるむのだろう。
月を見て考える 那菜里 慈歌 @sekainohazamade
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