第7話 初恋の結末
今日の天気は生憎の雨だった。約束の場所に着くと、すでに秋月翠がいた。
「約束の時間までまだ三十分以上あるけど、いつから待ってたの?」
「別に。いま来たところだよ」
秋月翠はベンチから立ち上がると、なだらかな山道を歩いて行った。
「ねえ、本当にこんなところに馨君がいるの?」
「いるよ」
秋月弟は墓地と思われる場所に入ると、迷うことなく突き進んでいった。ひょっとして馨君は墓地の管理者になったのだろうか。そんなことを考えていると、前方を歩いていた翠が立ち止まった。
「着いたぞ」
彼の視線の先にある墓石には、秋月馨の名前が刻まれていた。
「・・・・・・え?」
「馨は、俺が大学受験に合格した日に死んだ。膵臓がんだった」
「そんな・・・・・・」
死を受け入れる準備をしていなかったせいで、頭が真っ白になった。
「あんたに渡したいものがあるんだ」
秋月弟がリュックの中から小さなノートを取り出した。黒色の表紙には、白い文字で秋月馨と書かれていた。
「それは?」
「死ぬまでにやりたいことを書き記したノート。最後のページを見て」
翠からノートを受け取り、最後のページを開いた。
『10.神屋敷明日香さんとデートする』
「俺が馨のフリをしてあんたに会った時、どうして声をかけたのか俺に尋ねただろ?それが答え」
「じゃあ、あなたはお兄さんの願いを叶えるために馨君のフリをしたの?」
秋月弟は私に背を向けて頷いた。
「兄貴は俺と違って、頭も性格も良かったから、周りの大人たちからよく可愛がられていたよ。だけど、それが仇になったのかな。兄貴は中学の頃、いじめられていた。正確には、いじめられていた、らしい」
「らしいって、どういうこと?」
「兄貴は、家族に心配をかけさせたくなかったから、必死にいじめられていたことを隠していたんだ。だけど、偶然、俺が馨の身体につけられたアザを見てしまって、その日を境に馨は学校に行かなくなった。馨はストレスで声が出なくなって、家に引きこもる生活を送っていたよ」
馨君がいじめられていたこと。それをずっと誰にも話せずに我慢して、声が出せなくなるほど心に深い傷を負っていたこと。馨君の過去を、私は何一つ知らずにいた。
「心療内科に通って持ち直した後、兄貴は親の期待に応えるために高校に通いはじめた。兄貴は毎朝学校に行く前に、『誰とも関わらない、誰も信用しない』と言って出掛けていたよ。だけど、引っ越しをする前日、兄貴は『東京に行きたくない』って泣いていた。それはきっと、あんたがいたからだ」
「どうして、そう思うの?」
「十個目の願いは特別なものにしたいと言っていたから。兄貴にとって、あんたは、俺や俺の家族よりも大事な人だったんだよ」
秋月弟が私に笑顔を向けた。タクシーで一瞬だけ見た、あの辛そうな顔だ。
私は胸の中に溜まっていた水が、喉の辺りまで迫ってくるのを感じた。
「巻き込んで悪かった。俺のこと、気が済むまで殴っていいよ」
「馬鹿」
「ばっ、馬鹿!?」
「馨君の願いを叶えようと頑張ったあなたを殴れるわけがないでしょう?あなたは、もう十分すぎるぐらい頑張ったんだよ」
「あ・・・・・・・え・・・・・・・?」
翠は自身の頬を触り、自身の目から零れ落ちる涙に驚いていた。彼の目から次々と涙が流れ落ちた。
「見るな。見るなよ。兄貴が死んでから、一度も泣かなかったんだぞ。それなのに、どうして今さら、こんな・・・・・・」
私は持っていた傘を手放し、彼の身体を抱きしめた。それからしばらくの間、私たちは馨君のお墓の前で泣いた。雨が降っていたにも関わらず、私たちは傘も差さずに泣き続けた。
◆◇◆◇◆◇◆
次のバスが到着するまでの間、バス停横に設置された小屋で雨宿りをしていると、隣に座っていた翠がタオルを貸してくれた。
「使っていいの?」
「いいよ。風邪でもひかれたら兄貴に叱られる」
「怒った馨君、想像できないや」
「俺も」
二人で笑っていると、バスのエンジン音が遠くから聞こえてきた。
「これをあんたに」
翠から小さな封筒を受け取った。
「兄貴からの手紙。俺が受け取ったのは、さっきのノートとこの封筒だけだ。それじゃあ、気をつけて」
「ありがとう。翠君も気をつけて」
翠は口をモゴモゴさせた後、「翠でいい」とぶっきらぼうに言った。
「分かった。それじゃあ、またね。翠」
「ん。じゃあな」
翠の姿が見えなくなった後、手に持っていた封筒を開けた。中には小さなメモが入っていた。
『神屋敷明日香さんへ 僕を好きになってくれてありがとう。僕も好きだったよ。 秋月馨』
車窓の景色を見た。いつの間にか雨は止み、空には大きな虹が架かっていた。
「・・・・・・もっと早く、その言葉を聞きたかったなぁ」
私は手紙を握りしめながら、静かに涙を零した。
初恋の行方 深海 悠 @ikumi1124
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