十九
まさしく光陰矢の如し。
善きにつけ悪しきにつけ歳月は無常に流れ、若年だった私も、気づけば髷が痩せ細り、はや知命の年をすぎました。
藩剣術指南役などと身に余る大役を君公より仰せつかり、国家繁栄のため、将来を担う仙台武士の育成に昼夜励み、奔走する毎日でございます。
あれから三十数年が過ぎ、今やかつて長きにわたった御家の争乱を知らぬ若者も多くなりました。
しかしそれも悪いことだとは思いません。
家中はいたって安泰磐石、活発至極。
余人は知らぬでしょうが、それもこれも先生のご活躍と、なみなみならぬ忠義があったからこそと私は存じております。
先生の剣は無二無双。
仙台武士の鑑たる正義の剣であると、今もなお固く信じております。
御元気でおられますでしょうか。
ご病気などを召しておられぬでしょうか。
たいへんお懐かしゅう存じます。
さる先日、まことに勝手ながら、城下の寺において有志一同とともに、阿貴様とお伊都様を偲び、ささやかではありますが法要をとりおこないました。
忘れることなくお伊都様が大好きだった五軒茶屋の餡餅を、食べきれぬほどにたくさん供えましたから、さすがのお伊都様も持て余し、あるいは阿貴様が呆れてしまわれたでしょうか。
いつも迷惑もかえりみず押しかけた私に、よくしてくださった御二人のことを思い起こせば言葉は尽きません。
あれから城下では大火がありました。
大地震もありました。
君公は代替わりをなされ、家中の様子もだいぶ様変わりをいたしました。
そして先生はもちろんのこと、私たちもだいぶ年を取りました。うっかり冥土へ先回りしてしまった者もあります。
ぜひとも近々に、今生のうちに先生とお会いできたらなどと、皆で語らっていたところです。ひとつどうぞ、ご検討をいただけますと、我らは幸甚にござります。
さてやっと、此度の本題へ移ります。
他でもなく、当書状を持参させた大河内武次郎のことにてござります。
この者は出入司支配山林方、知行七十五石組士、大河内惣之丞なる者の嫡子にござります。
大河内家の両親が年遅くに得た男子ゆえ、あとはお察し頂けるかと存じます。
本人の強い希望があって八つの頃より我が稽古場へ通うようになり、大人に混じり稽古するうち、めきめきと頭角を顕し、若干十八歳にして本目録に至りました。
私が数多の者に教授するようになって三十年も過ぎましたが、この者は三指に入る逸材と存じます。
すなわちこれなるは、十年に一人現われると武芸者のあいだで語られるところの、天与の才をもって生まれた剣士にござります。
さりとて玉に瑕。いかんせん人より強きゆえか、ときに増長して不遜に陥り、年長者にたいし口答えをする悪癖これあり、扱いに持て余すこともしばしばにござります。
何度か先生から授かった金言を、私の口から本人に授けたこともありましたが馬耳東風、いまひとつはきと伝わりませぬ。
しかも此度は、よりによって江戸へ遊学し武者修行をしたいなどと急に言い出し、やさしいご両親を困らせております。ゆくゆくは山林方としてお役目を継ぐことが国家のため、本人のためとなりましょう。
しかしながら、この道の極意を己の目で見たいと志すその気持ちも、おなじ剣士として分からなくもありません。
いつかの私も同様に願い、先生の許へ日参したのですから。
ゆえに私は、この才気溢れる若き剣士を、惜しみながらも手放そうと考えました。
私などでは到底育てられませぬ。中途半端に道を歩ませ、踏み外すのが落ちとなりましょう。
では、どなたに託すのがよいかと考えたとき、おそれ多くも、あら不思議、先生のお顔が思い浮かびました。
本人に先生のお話をしましたら、まんまと私の思惑が当たり、すぐにお会いしたいと言い出しました。
興味を引くため一刀七殺の秘太刀などと、勝手に命名してしまいましたが、なにとぞご容赦賜りたく願います。さりとて瞬時に七人の多勢を討たれたことは揺るがぬ事実にて、何ら嘘はついておりません。
あらためて申し上げます。
先生の剣は、天下広しといえども無二無双、仙台武士の鑑たる正義の剣にござります。
藩の修史によりご足跡の記載はなく、先生は違うと仰られるでしょうが、私は何度でも申し上げましょう。
何度でも、いつまでも、もしもあの世へ行ったなら、阿貴様とお伊都様にも。
ゆえに妙見北辰流の術理を、ここで絶やしてはなりませぬ。
妙見北辰流は、いつかまた国家存亡の危機が訪れたとき、これを救う正義の宝剣となるに相違ありません。
それでも頑なに墓場まで持って行くと仰られるのであれば、先生はとんだ不忠者ということになってしまいます。お父上様のみならず、数十人のご先祖からお叱りを受けることにもなりましょう。それだけはいけません。
ですから後世に伝えてください。
先生の素晴らしきお言葉を、美しき太刀筋を、その御心を。
何としても、何としても。
それが兵法武芸者としての勤めではありませぬでしょうか。幸運にも私は、すでに何人か、そうした弟子を得ておりますから、もう結構です。役目を無事に終えられました。
先生は、いかがでしょうか。
さてこの大河内武次郎、どこか先生の太刀筋と似ているところがあるようにも存じます。
それは私の贔屓目から出でた誤謬でもなく、そもそも神刀流と妙見北辰流は、香取の太刀を同源とする流儀にござります。
この者、体は壮健、心根は素直にござりますれば、必ずや先生の術理を注いでも割れぬ器となり、妙見北辰流を次の代へつないでくれることでしょう。
なにとぞご存分に鍛えてくださりますよう。
最後に、しつこいようではありますが、遠からずご再会がかないますことを、垂首垂首、お願い申し上げます。
恐惶謹言
遊佐幽玄斎
妹葉伝九郎様
吉日
【伝九郎は留守にて候――了】
伝九郎は留守にて候 葉城野新八 @sangaimatsuyoshinao
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます