迷子の風船

天洲 町

滑落

 梅雨明けから二週間になるが、今夜は雨が降り続いている。

 アパートの三階の真っ暗な一室で張本和也は一人、暗澹たる気分に沈んでいた。職場からの不在着信は五分前に十三件になった。


 最初は魔が差しただけだったのだ。給料日まで1週間だったが、ギャンブルで生活が厳しい状況になった。あと一万円、いや五千円あればやり過ごせる。そう思ったが、同僚や友人に借金を申し込む勇気はなかった。職場で噂が広まることや、数少ない友人と縁が遠のくことは耐えられなかった。結局そのまま一日を過ごし、仕事が終わる頃にはオフィスに一人になっていた。

 ふと、社長のデスクの隣にある金庫が目に止まる。そこには現金がいくらか置いてあることも和也は知っていた。

 唾を飲み込んだ。その音が嫌に大きく響いた気がした。

 そろりと社長のデスクに向かうと上から2番目の抽斗を開ける。心臓が激しく脈を打ち、体が破裂しそうなほどに血が巡る。円柱状の金庫の鍵はすぐに見つかった。

 鍵を差し込み、レバーを九十度捻るとガシャリと大きな音を響かせて金庫が開いた。中にある現金の入った白い封筒を探しながら、背中側の出入り口のドアが急に開くのではないかと想像し、手汗が滲んだ。


 一万円は給料が入ってすぐに戻した。誰にもバレることはなかった。それがさらに災いした。

 何度か繰り返すうち、また金庫から借りればいい、今月返せない分は来月まとめて戻しておけばいい。と考えてしまい、横領した額は三十万円になった。

 そしてどうせバレることはないと高を括っていたところに、今朝電話がかかってきたのだ。

「とにかくすぐに来い。金庫の金の件で話がある」

 社長の声だった。出社などできるはずがなかった。


 もはや死ぬしかない。天涯孤独の自分に助けを差し伸べてくれる人は誰もいない。悲しさと情けなさで涙が出た。食いしばった口元からは涎が垂れた。

 しかし自殺するのはやはり怖かった。死ぬことさえ自分ではできない、芯のない人間だと自分が嫌になる。仕方なく和也はある仕掛けを作った。

 ベランダに貼り付けた紙が雨に濡れて千切れると紐が引かれ、洗剤を入れた瓶が倒れて混ざりガスが発生するようにした。ゴミ袋を頭から被り、ガスが漏れないように縛って布団に入った。


 橙子は友人の真由香と高校から下校していた。

「あ、見てみて。迷子の風船がいる」

「ほんとだ。どこからきたんだろうね」

 紙切れと紐が繋がる萎んだ風船は街の隅へと転がっていった。

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