エフ博士の偉大な発明

 エフ博士のとろけた脳髄のうずい茫漠ぼうばくとした不安が支配していた。かつては新たな発明や企業へのひらめきが絶えることのなかった優秀な脳細胞も、今となってはにぶってろくに役に立つこともない。

 エフ博士は有名な発明家であり、また実業家でもあったが、としごとに脳味噌は鈍麻どんましていき、日々の暮らしすらままならないまでになっていた。

 エフ博士は科学者であるから、それを老化にともなのう機能きのうの低下として理解してはいたが、数字や論理で解くことができない不定形な感情が、彼の心をおおっていることも同時に理解していた。

 最近のエフ博士はいかにして人生の幕を下ろすかという破滅的思想にとらわれている。ただ、惨めな死を迎えるのだけは嫌であった。人生を謳歌した者に相応しい有終ゆうしゅうとしての死。それがエフ博士の最後の願いであった。

 エフ博士はずいぶんと熟考を重ねた上で自ら死を選ぶことを決めた。思考する事が全てであった彼にとって、徐々じょじょに脳細胞が溶けて失われていくだけの残滓ざんしのような人生は、苦痛そのものであった。エフ博士はたっぷりと時間を掛けて、長々ながながしくおごそかな遺書を書くと、粗末そまつなスーツの内ポケットにしまって玄関に向かった。

 ――全く忌々いまいましい発明をしてしまったものだ。これではまるで、機械に生きることを強いられているようなものではないか――

 今度こそ、あの意図せずして用意してしまった関守せきもりの目を誤魔化ごまかして、人生に終止しゅうしを打つつもりであった。いつも通り、エフ博士はいさあしで敵に向かっていく。

「おはようございます。クリーン・ロビーが身だしなみを整えるお手伝いをさせていただきます。おや、今日は顔色がすぐれないようですね。失礼ながらおものの取り合わせを整えさせていただきます」

 エフ博士は泣きだしそうになりながらも、自らが開発した全自動玄関に「やめてくれ」と懇願こんがんした。しかし、機械きかい仕掛じかけの玄関は容赦ようしゃなく遺書を回収してしまう。今や、機械の中には膨大な数の遺書が保管されている始末しまつであった。

「この文書はあなた様には相応ふさわしいものではないと判断しました。この情報は全国に設置されているクリーン・ロビーに共通認識されています。それでは今日も良い一日をお過ごしくださいませ」

 今日もエフ博士は悄然しょうぜんと肩を落として全自動玄関が開けた扉をくぐり、騒々そうぞうしい街の中へと送り込まれていった。

 彼が発明した機械は大ヒット商品として、当然のごとく全国に広く受け入れられている。玄関という玄関に、「クリーン・ロビー」は設置されているため、関守せきもりの目を盗んで「不適切」とみなされる物品を、外に持ち出すことは困難になりつつある。エフ博士の遺書もその範疇はんちゅうと認識されてしまっていた。

 エフ博士の優秀な発明によって世界は清浄せいじょうなものに変化した。銃やナイフ、ドラックといった物騒ぶっそう品物しなものの持ち出しは、人工知能を備えた全自動玄関によって厳しく検閲けんえつされる。世界にはなごやかな雰囲気にあふれ、誰しもがおだやかな微笑ほほえみを浮かべている。皆が満足している中で、エフ博士だけが取り残されたような気分を味わっていた。

 自宅の機械の目を盗み、街角のどこかで密かに遺書をつづることも考えたが、コンビニエンスストアからホテルまで「玄関」と名が付く場所には必ず、「クリーン・ロビー」は備わっている。

 路上で遺書をしるして、そのまま横死おうしする道だけが、エフ博士に残されたわずかな希望だったが、それは彼が想像する有終ゆうしゅうとはかけ離れた死に方だった。それはエフ博士の矜持きょうじが許さなかった。彼はそれを思う度に、自身がいだく死に対する覚悟の甘さを、まざまざと突きつけられているようで、なさけなくみじめな思いにおちいってしまうのだった。

 実際のところ、エフ博士は自殺という最後に残された、のっぴきならない道を、何か壮大そうだい楽曲がっきょくのようなもののように思い込んでいた。それは人生に対する冒涜ぼうとくのほかのなにものでもなかったが、エフ博士は死というものがかもあま情緒じょうちょに包まれながら大きな誤解をしているのだった。

「おはようございます、エフ博士。今日もお元気なようでなによりです。次の発明品を皆が楽しみにしていますよ」

 「クリーン・ロビー」によって身だしなみを整えられた紳士がエフ博士の肩を叩いて挨拶をして去って行った。街をう人々はエフ博士が心の内に秘めたあまったれた憂うつをよしもない。エフ博士は曖昧あいまい微笑ほほえみで人々の期待に応えるほかにしようがなかった。彼はとろけた脳髄のうずいで考える。

 ――自分はいつになったら、この生き地獄から解放されるのだろうか――

                  

(了)





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヒロイズム教本 胤田一成 @gonchunagon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る