最終話 帰ってくる場所


 あの日以降、広斗は美織と全く会えていなかった。


 近藤は優しそうな見かけのわりにやり手のプロデューサーだったらしい。

美織の代表曲であるSNSで火がついた曲がいつの間にかプロの手によって編曲されて高校野球の応援ソングになり、美織自身も高校3年生でライブの下積みを経てデビューしたばかり、と高校球児の努力と重なってみえるような売り込みが人々の興味を惹きつけることに成功していた。

その他にも、いつから準備を進めていたのかと驚くほど、美織の名前と顔はいろいろな場面で世に出回っている。

派手な宣伝活動こそしていないが、確実にミオとしての知名度はじわじわと世間に知れ渡っていた。


 当の美織はというと、プロによる歌と楽器のレッスンに加え、これから世に出ていく宣伝の撮影やらで毎日朝から晩までいろいろなところを飛び回っているらしい。

当然、広斗と過ごすための時間はなく、それどころか自宅にも帰っていないようなので少しも会うことができない。


 唯一できる交流がチャットアプリのみで最初のころは頻繁にやり取りをしていたけど、そのうち美織の返信が遅くなり、ついには美織から話しかけてくることも少なくなった。


「お兄ちゃん、美織ちゃん捕まえとかなくていいの?」


 妹の結衣がソファで寝っ転がりながらニヤニヤした顔で広斗にスマートフォンの画面を向けた。


「どういう意味だよ」


「これ。美織ちゃんの傍にいつもいる人がイケメンで、美織ちゃんとデキてるんじゃないかって噂になってるよ」


「こら、変なこと言わないの」


 母親が結衣をたしなめるが妹は、はーい、という曖昧な返事をするだけで全く反省していない。


 イケメンというのは高杉のことだ。

美織が移動中やインタビューに答える前後など、これみよがしに高杉は美織の側をぴったりくっついている。

マネージャー兼ボディガードなんて役割らしいけど、これが一部の媒体で歌姫とボディガードの恋だなんてタイトルを付けて盛り上がってるらしい。

この噂に対して美織も事務所も声明を一切出さず、噂だけが尾ひれをつけて一人歩きをしている。

これも近藤の戦略のうちの一つだと広斗は推測した。

近藤が言っていたマーケティングの戦略とやらは高杉との噂も想定済みで、だから広斗との交際は禁止されたのだろう。


「ただの噂だろ。お前も学校で変なこと言いふらすんじゃないぞ。美織のマイナスになるようなことはするなよ」


「美織ちゃんはあたしにとってもお姉ちゃんなんだから変なことなんてしないよ。あーあ、本当のお姉ちゃんになってくれたらいいけどなー」


「絢子さんと賢一さんの血を継いでるだけあって美織ちゃんも美人だもんね。お母さんも、美織ちゃんが娘になってくれたら嬉しいな」


 息子の気も知らず、母と娘はきゃっきゃと勝手に盛り上がっている。


 広斗はごちそうさまと手を合わせて部屋に戻り、勉強机に腰を据えて予備校で出された課題に取り掛かった。

この夏は第一志望の大学に受かるための受験勉強に費やすと決めている。

美織が夢に向かって進む一方、広斗にも将来のためにこの1年は正念場だ。

 

 夜、寝る前にチャットアプリを開いた。

前回の美織との会話は既に1週間前で、最後に広斗が送った「おやすみ」は既読にすらなっていない。

美織のことだから、通知のプレビューだけを見て読んだ気になっているんだろう。


 やれやれと思いながらベッドの上で目を閉じると、結衣が見せてきた高杉と美織のツーショットが脳裏に浮かんだ。

プロのスタイリストとメイクアップの手によって着飾った美織と、スーツ姿の高杉が颯爽と歩く姿は文句のつけようがないくらい絵になっていた。

近藤の戦略による話題性なら、美織は好調なスタートを切れている。

例えばどれだけ歌がうまい人でも、世間に知られなかったらその才能は埋もれてしまうことになる。

近藤の戦略は美織にとって必要なことだと頭ではわかっているが、頭で理解することと感情は全く別物だった。


 ようやくウトウトしかけたときに、チャットアプリが着信を告げた。

時計を確認すると午前1時。

メッセージを確認すると美織からだったので、広斗は飛び起きて部屋の電気を付けた。


——起きてる?


——起きてるよ。


——嘘、いま電気つけたんだから寝てたでしょ。ごめんね、起こしちゃったみたい。

 

 なんで電気つけたことを知ってるんだ、と気付いた途端、広斗の寝ぼけていた頭は一気に覚めた。

続けて美織からメッセージが入った。


——いま家にいるの。会いに行ってもいい?


——いいよ。


——玄関から入れないから勝手口のカギ開けてくれる?


 自分の部屋のドアを開けると、家族全員は眠っているようで家全体が真っ暗だった。

電気は付けず、真っ暗闇の中つま先立ちで階段を降り、キッチン横の勝手口のカギを開けてその場に佇んだ。

目は暗闇に慣れてぼんやりと物の形は掴めるが、広斗はこれが現実なのか、それとも自分の願望が見せるはっきりとした夢なのか区別がつかなかった。

そのとき、ゆっくりとドアノブが動き勝手口のドアが開いて、開いた隙間から美織が顔を見せた。


「よっ」


「うん」


 広斗は暗闇の中でも美織の姿かたちをしっかりと捉えることができた。

美織は物音を立てないように慎重に靴を脱いでドアを閉めた。

カギを締めたところで、うしろから広斗が美織を包み込むように抱きしめた。


「ちょっと待って。おばちゃんたち起きちゃうでしょ」


 美織は最小限に声を抑えて、目の前にある広斗の肩を押しのけようとした。


「夢でもいいや……」


 広斗が耳元で呟く声を聞いて、美織は体の力を抜いて広斗を子供をあやすようにポンポンと叩いた。


 2人そろってつま先立ちの忍び足で広斗の部屋に戻ってゆっくりとドアを閉めると、どちらからともなくクスクスと笑い声をあげた。


「ドア閉めたら母さんにしばかれるんだけど」


 広斗の横の部屋で結衣は寝ているので、ささやく程度の声しか出せない。


「緊急事態だから」


 美織も悪巧みをする子供のように笑いを我慢している。


「なんか瘦せたんじゃないか?」


「見栄え良くするために食事制限もしてるし、歌のために腹筋もしてるの。あ、腹筋に縦線ようやく入ったんだけど見る?」


 美織がトレーナーを捲り上げる仕草をしたので、広斗は慌ててその手を止めた。


「なにしてくれてんだよ、お前は」


「なんで? じゃあ、6つに割れたら見せてあげるね」


 美織のあっけらかんとした態度に、広斗はげんなりと首を下げた。


「仕事はどうなんだよ。ちゃんとできてんのか」


「うん、近藤さんがスパルタでね。スケジュールが朝から晩までびっしり。今度、ドラマにも出るんだって。でもストリートミュージシャン役の一瞬で、主役の2人と一言交わすだけだから自然体でいいんだって」


「でも、なんか疲れてないか?」


「……やっぱりそう見える? 自分でやりたいと思ってた夢の一歩ずつなんだけど、想定外なこともあるんだなと思って」


 美織にしては珍しく素直に弱音が出てきた。

これは相当へこんでいる証だろう。

おそらく高杉との噂話も美織の耳に入っているが、戦略の一部だと言われたら黙って受け入れるしかない葛藤もあるだろうと察した。

久しぶりに家に帰ってきたのならゆっくり休みたいだろうに、こんな夜中にわざわざ広斗に会いに来たのも、その噂を気にしているからだろう。

そう思うと、素直に本音を話さない幼馴染がなおさら愛おしく思えた。

広斗は美織の頭を優しく撫でた。


「がんばれ。疲れた時にはいつでもここに来ていいから」


「うん」


 美織は広斗の胸に抱きついて、背中に回した腕にぎゅっと力を込めた。


「もしかして、恋愛禁止令、解けた?」


「まだ」


「じゃあ、これ、だめなんじゃないの」


「幼馴染としての慰めだから大丈夫」


「物は言いようだな」


 広斗は、苦笑いをしながら美織の頭を撫で続けた。


 もし、あの日、自分の想いを伝えていなかったら今日美織はここに来なかった。

さらに、美織と高杉の写真を見て文面通りの噂を真に受けて広斗は嫉妬に狂っていただろう。

そうなると美織の夢を応援するどころではなかった。

それだけは想像するのも辛い。

あの日、きみが遠くへ行くまえに、自分の想いを伝えておいて本当によかった。

そして、大切な幼馴染がいつでも飛び込めるように腕を広げて待っていようと心に強く誓った。

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きみが遠くへ行くまえに 常和あん @TokiwaAnn

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