第2話


「ねぇ、好きなんだけど」


放課後、私と彼しかいない静かな教室で、私はポツリと彼に聞こえるように呟く。


「突然なんだよ?」


彼はけげんな顔をして返事を返してきてくれた。

すぐに鞄から雑誌を取り出しあらかじめわかりやすいように折り曲げていたページを素早く開くと、彼の隣の席に座って心奪われたキャラクターの写ったページを見せつけた。


「……ん。これ、見てよ一昨日発売した雑誌何だけど、私の大好きなメンダコちゃんのぬいぐるみの特集。コンビニコラボでエコバック売ってるの、すごく欲しい。今ならつがいキーホルダーが付いてくるの」


人気のイラストレイターが描いた、やる気のなさそうなぐにゃぐにゃした線の枠の中に点が二つある赤いイラスト。

子供でも描けそうであって、それでいて他にない独特な線は見た瞬間に強い印象が残る。

蛸のイラストなのだが彼には分らないらしく少しの間そのイラストを眺めていて、答えを聞いてから少し納得したような顔をしまたそのイラストを見た。


「メンダコ、何だよそれ?」

「ほら前に流行ったダンゴムシみたいなやつ。深海生物シリーズの派生形の一つだよ、今これがブームなの」


信じられないという顔をして彼はそのイラストから興味をなくす。


「欲しいなら買い行けばいいんじゃないか?」

「はっはっは、お小遣いはすべてスイーツに消えてしまったのです」


「なら諦めればいいんじゃないか」

「酷い、よくそんな残酷なこと言えるねぇ!」


先に鞄を背負い席を立つ彼。

置いて行かれないよう雑誌を閉じ丸めて鞄の中に突っ込み奥の方へと押し込み、ファスナーを閉め肩にかけ教室の出口の前で待つ彼を追いかけた。


「それじゃぁ帰ろうか」


そして二人で教室を出る。

毎日会っているせいで話す内容も少なく、話したいことがあったが切り出せず私は先ほどの会話の続きをした。


「ねぇ、好きなんだけど~」

「好きなんだけど~、買えないんで買ってくれないかなぁって続けないあたりが嫌いだ」


しつこさに怒るでもなく淡々と答える彼。


「ということは、言ったら君が買って!」

「買わない、今ちらっと見たけど高い。ぼったくり価格だ」


他のクラスメイトや友達には到底他者には出来ないウザ絡みを、幼馴染の彼は真面目に答えながらあしらう。


「だよね~、まぁコラボ商品だし。仕方ないママに前借りするかな~」


話したいことはこういうことじゃない。

無言、下校の音楽と誰かの話声そして私たちの階段を降りる足音が響く。

長かった学校の授業も終わり放課後、階段を降り下駄箱に着いたこうなってしまえばあとは一緒に帰るだけでその間の会話がなくなる。

伝えたいこと、伝えること、私は息を整え話を切り出す。


「そういえば、引っ越しの話したっけ?」

「ああ、再来月だろ。こんな時期に転校なんて災難だな」


共に育ち共に学んだ彼とのいきなりの別れ。

私ではどうすることもできずただそれを受け止めるだけ。


「パパの仕事の都合だから仕方ない。裕福じゃないから家を2つ借りて私だけ残るってこともできないし。新体操部のみんなにもお別れ言わないとなぁ」

「なら早めに片付けとか始めておけよ、頭いいから前日勉強するだけで間に合うのかもしれないけど、引っ越しの片付けはそうはいかないだろ」


「そうそう、いらないものは早いうちに捨てておけって言われて少し整理してたらいろんなものが出てきてさ。散らかっただけで何も進まなかったよね」

「大丈夫か、二か月後までその調子じゃないだろうな」


「それがさぁ、アルバムとか日記とか出てきちゃって。覚えてる、一緒に隣り町までかくれんぼミミックちゃんの玩具を買いに行ったの」

「帰りに迷子になったやつだっけか、あの時から変なの好きだったな。目覚まし時計だっけか」


懐かしい記憶に私も彼も表情が緩む。


「そうそう消費税のこと忘れてて帰りの電車賃二人分使って何とか買えたやつ。なんと、物置の奥にかくれんぼミミックちゃんもちゃんと残ってた。だいぶ汚れてたけどね」

「懐かしいな、捨ててくのか?」


「ミミックちゃん? まさか、綺麗にしてまた飾っておくよ。電池変えれば動いたし。何より思い出深いし、人生最初の4桁の金額の買い物だよ」

「電車で行き来する予定が、知らない町をしかもだんだん暗くなっていくなかで子供二人っきり」


今では自転車で三〇分程度で着いてしまうその駅も、当時は二時間近くかかった大冒険。

真っすぐ線路の近くの道を進むだけで帰れたのだが、人を見ると吠える犬、塗装の禿げた人形が置いてある店、路地でタバコを吸う大人など当時は怖いものが多く、彼と子供二人ということもあり心細くそういったものを見るたびに駄々をこねて道を変えてもらった。

延々と回り道をしてお互い家に帰るころにはへとへとだった。


「知らない町だから交番の場所も知らないし、知らない大人怖いし大変だったね」

「ずっと俺の利き手にずっと引っ付いていたよな」


小さいころの記憶なのによく覚えている。

覚えていてくれている。


「そうだっけ? 君が私に引っ付いてきたんじゃなかったっけ」

「確か、あの日の夜風呂に入ったとき手形が残って様な気がする。爪まで立ててて湯船で染みた記憶がある」


靴を履き二人は学校を出る。

日が傾き、夕暮れに染まる空。

校庭では運動系の部活の道具の後片付けが行われている。


「引っ越ししたらしばらく会えなくなるね。まぁ、連絡は取るけど」

「進学校が同じ希望だから、会えなくなるのは半年程度だけどな」


同じ学校に行こうと言い、彼は私に合わせて少し背伸びをした進学先を選んでくれた。


「半年って結構長くない?」

「来年の春には卒業って考えると学校生活も短かった気が?」


そう、短い。

あっという間だった。

本当に、楽しい時間というやつは。

彼と会えなくなるとどうなってしまうのだろう。


「それもそっか」

「その時までにもう少し落ち着きが出てるといいな」


「どういう意味? ねぇ、そういう意味?」


手を伸ばして彼の肩に腕を回すとぐっと引き寄せた。

大冒険をしたあの時は背の順で大して差がなかった彼も、今ではつま先立ちでも並べない。

体重をかけ彼の背を丸め低くさせる。


「絡みついてくるな歩きずらい、鬱陶しい」

「締め上げてやる」


「そういうところだよ。つか手白いな、青白い血管浮いてるし」

「ブルーブラッド、お貴族様の血なのだ。というか見るなら肌艶の方を見てほしいな、そんなところ見るなよ。異常性癖か」


大きな手で巻き付けた腕は引きはがされた。

学校前のバス停でバスを待つ。

こちらは駅には向かわずそのまま住宅街に向かうため利用する生徒は少ない。

駅へと向かうバス停には委員会や部活帰りの生徒が並んでいた。


「そういえば来週テストだねぇ、また勉強見てあげようか?」

「よろしく頼む。点数が悪いと塾に行かされるから遊ぶ時間が減る」


もうすぐ、本当にすぐ受験を控えているというのに遊ぶというのは困る。

でも塾に行かれると私としても共にいられる時間が減ってしまう。


「いいともさ、君は教えがいがあって楽しいよ。どの教科でも教えてあげよう」

「ありがとう、礼はいつかする」


「なら、さっきのを買ってくれてもいいんだよ!」

「高くつくな、もっと安く済まさせて」


「引っ越すから餞別にでも!」

「そっちのご両親にはお世話になったし、もっとちゃんとした菓子折り持ってくよ。どんだけ欲しいんだ」


少し待ちバスがやってくると定期を取り出して乗車する。

奥の席が空いており二人は並んで座った。

余裕はあったが気持ちばかり彼に体がぶつかり合う程度に距離を詰める。


「そういえば、引っ越したら彼氏どうするんだ?」

「彼氏、誰それ?」


突然なことで思わず間髪入れず反射的に聞き返す。


「誰って隣のクラスに仲いい奴いただろ。……隠してたのか、なら話は深く聞かないけど?」

「ああ、あいつか、違う違うそうじゃないよ勘違い。移動教室で一緒の班になっただけ、課題の相談しただけだよ。あの先生は面倒な課題を出してくるから。それはそうと、なに、私たちそう見えてた? はっはっは、そう見えてたか~」


幼馴染で親しい異性の友人程度の認識だと思っていて、私のことをそこまで見ていてくれたのは意外だった。

思わず体が熱くなる。


「俺と接する時とはまるで違ったからな」

「むしろ君が他と違うとは思わないの」


「あまり男子と話しているイメージがない」

「まぁ、用がなければ話す必要もないからね」


「合唱祭や学園祭の時とかいつものテンションだったじゃないか」

「知らない人とでも同じテンションで話しかけろと? 流石に余所余所しくはなる」


少し大きな声が出てしまい周囲の注目を集め咳払いをしてごまかす。


「……お望みなら、私こちらの話し方で話しますよ。ええっと、それで私たち何の話をしていましたっけ?」

「明るく知的なクラスメイトの男っ気の無い話」


洞察力の無い幼馴染に私の気持ちをやさしくしたたかに打ち込んで黙らせた。


家が近く帰路も同じで最寄りのバス停で降り彼と一緒にだらだらと帰っていると、帰路の道に一つだけあるコンビニが見えてくる。

帰り道は手前の道を曲がっていくため少しだけ離れるが、足を止めてコンビニの方向に指をさした。


「コンビニによって言っていい? 喋り過ぎて喉渇いちゃった」

「いいよ、俺も夜食べる菓子でも買っていくか」


「夜食べると太るよ」

「毎日のようには食べてないから大丈夫、自分のことを気にしろ」


やや強めに彼の背中を拳で叩きながらコンビニへと立ち寄る。

目的のものが違うため彼とはそこで別れて自分の欲しいものを探しにあまり広くはない店内を進んだ。


ついさっき話した流れでお菓子を買うのに抵抗が生まれ、飲み物だけを選びレジへと向かうと彼がレジ前にあるコーナーの前で立ち止まっているのが見えた。


学校の教室で私が言っていた独特な味のある線で書かれたキャラクターのエコバックが陳列されている。

エコバックを手に取り見ている彼に声をかけた。


「気になった? やっぱりすっごくかわいくない?」

「か、かわいい?」


エコバックを見ていて私の存在に気が付かなかったのか、彼は少し驚いた反応を見せる。


「これにこれだけの価値があるとは思えないんだけど」

「そう? でもエコバックだよ、エコだよ」


「他のはもっと安かった気がする、これの半分くらいには」

「キーホルダーが付いてくるからじゃない? ほら二つもついてくるし」


「金かかってなさそうなデザインなのに、あくどい」

「人によって価値観が違うから」


今は手持ちのお金が足りなく親にお金を借りてからまた今度買いに来ようと、手にしたジュースを買いにレジへと向かった。


会計を済ませ彼女がコンビニを出て彼の買い物を待つ。

いつもより話したせいか喉が渇き、レジで会計をしている彼をジュースを開ける。


迫ってくる引っ越しの日時、この楽しい時間ももうすぐ無くなってしまう。

このまま何もなく同じように繰り返して終わるのか。

連絡はとれても気軽に会うことはできなくなる、数駅離れるとは違う。

次また会ったとき今日や今まで通りに話せるだろうか。

思いをいつか伝えるなら、早いうちがいい。


彼がどこかぎこちなく鞄を抱えてやってくる。


「おかえり、意外と時間かかってたね。お菓子分けてよ」

「ほら」


ジュースに会うようなお菓子を集り向かうと、彼が無言で会計済みのテープの張られたビニールに入ったエコバックを差し出してきた。


「あ……」


一目でそれが何かわかる、嬉しさに鼓動が高まった。

彼に差し出されたそれを受け取り封を切ると、折りたたまれた布製の生地を広げた。


どんな気まぐれか今日は諦めていたそれ思わず握りしめ彼を見る。

目が合うと照れくさそうに彼は目をそらした。


「全く嬉しい限り、しかし買ってくれないはずでは? はっはっは、冗談、ツンデレだな君は」

「ありがとうが先だろ、正直じゃないな」


思いを、今、伝えるべきじゃないだろうか。

そんな考えが頭をよぎり冷や汗が背中を伝う。


「君が言うかい?」

「それもそうか」


おまけで着いてきたキーホルダー。

まるっきり同じデザインの二つで一つのそれを一つ取り外して彼に差し出す。

このまま、この高まる心音の勢いのまま。


「そんなツンデレ君に、このつがいメンダコちゃんを一つプレゼントしよう。この子を布教してくれ」

「いらない、興味ないしつがいってデザイン一緒だろ」


「まぁまぁ、鞄にでも付けてくれ。なくすなよ?」

「こっちのセリフだ」


少し迷いの出るその大きな手を引き寄せキーホルダーを握らせる。

火照った体に残りのジュースを流し込む、それでもすぐに体が熱くなり歩き出す。


次、彼の顔を見たら伝えよう。


腕を伸ばして大きく深呼吸をする。


これから起こす自分の行動を考えて体が震え、指に引っ掻けたキーホルダーが激しく揺れた。

そして後ろからついてくる彼に向かって振り返らずに空を仰いで声を発する。


「ねぇ、好きなんだけど」


彼の興味を引こうと突拍子もなく行っていて口癖になった言葉。

脈略もなく言われた言葉に彼は疑問を返す。


「主語を言ってくれ、今度はなんだ」


意を決し振り返る。

すぐ後ろに立つ彼。

見慣れた顔を見ることができず、急に恥ずかしくなり鞄で顔を隠す。


「……私は、君が……さ」


ジュースを飲んだばかりなのに声が掠れる力が抜ける。

少しずつ鞄を下ろして彼の顔を覗く。

彼の顔は耳の先まで赤かった。


返事を待つが言葉は帰ってこない。

何も言わず彼は私に向かって手を伸ばしてきた。


返事を聞くことできなかったがそれが彼の答えだと理解し、私は飛びつくように両手でそれを強く握った。

そして、手をつないだまま歩き出す。

あの時と違い手を引かれるのではなくともに並んで。

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広く深く未知数 七夜月 文 @nanayodukihumi

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