第25話 ただそれだけの



 天女認定の儀は、ごく控えめに言って最低の代物しろものだった。



 多くは語るまいが一言で表すと、古びてボロボロなはかま姿の長老が、落ちくぼんだ瞳を怪しく輝かせるしわだらけの笑みで、連れて来させた無辜むこの女子生徒二人に対して仰々ぎょうぎょうしく手順を踏みながら独自のことわりで天女に認定していくさまは、無表情で見守る物言わぬ大人達と合わせてまさに生贄いけにえの儀式を想起させるもので、実体験して初めてわかるたぐいの異様な雰囲気と異質さに、姫山ともども(あるいは私だけだったかもしれないが)存分におびえながら一刻も早く逃げ出したいと願うとともに、無意味に部屋の奥の電灯を眺めつつ無駄に奥深い当校の闇に内心で呪詛じゅそを唱えて耐え忍ぶ時間となり、はなはだしきに至っては、病的認定を終えて気分を悪くした女生徒達に誰と婚約したいか聞いた挙句あげく、「落ち着いたら熟考致します」という社交辞令に対して婚約祝いの万歳バンザイ三唱と盛大な拍手を周囲に要求する論外行動で締めくくられた。



 学費全額免除が確定した解放感もいまいちであり、偏見にまみれた陰鬱いんうつな人造天女は、いまも当校の地をう生活を送っている。


 今日も今日とて登校した午前中、卒業式の予行演習を終えた教室への帰り際に白虎院びゃっこいんが話しかけてきた。



「山中山さん、特待生決まったんだってね。おめでとう」


「ありがとうございます、白虎院様」


「でも大変だね。天女の相手が誰なのか、皆が気にしてるから」


「ええ。思いのほか多くの皆様が誤縁ごえんのお話までご存じなので、本音を言うと戸惑っています」



 ここ数日、祝福ムードで声を掛けられる事例が散見され始めた。しかしながら、天女として誰と婚約するのかと問う諸生徒は、むしろ呪われた雰囲気を私の肌にじっとりと感じさせる。


 うんざりだと首を横に振る私に、白虎院は肩と声の調子を落として返した。



「婚約者を決める期限は卒業式の日。両親は考えを変えて、僕の好きにして良いと言ってくれたよ。けれど僕は、自分の気持ちがわからないままだ」


「分からないままで期限切れになると、何か問題があるのですか?」


「問題どころか、何もないんだよ。何もしなくても」



 そうつぶやいた白虎院は口を押えて笑い声を上げる。いきなりどうした。



「あはは、僕はずっと、……いったい何のために悩んでいたんだか! 散々脅しておきながら、実は何もしなくて良かったなんて。独りで踊らされていた気分だよ」


「心中お察しします」



 私はその独演ミュージカルに昨年末から強制参加させられた気分だ。三文の値打ちもない心情は語るまでも無い。



「せめて、僕たちを困らせたものの正体くらいは知りたいと思わない?」


「私は状況の中心をドーナツの穴のように解釈しています。実体が在ろうと無かろうと、食べてあたらなければ良しとしましょう」


「味も無いよ僕のドーナツは。まるで僕の心みたいだ」


「ぼくもたべたい...どーなつ......ちょうだい、ユキちゃん...」



 神出鬼没の玄武堂げんぶどうが忍び寄っていたようだ。より一層仲良くなった生徒会メンバーの後ろから肩越しに片腕を伸ばして非実在食品を探している。のしかかる巨猫に対し、白虎院は姿勢を崩してもがきながら成り行きを説いた。



はるか、今日のお菓子は例え話だから食べられないんだ」


「ユキちゃんとシャーリーで......なんのおはなし...?」


「ごきげんよう玄武堂様。天女のお話です、軸も芯もよく分からない例の」



 話題のドーナツが腐臭を放つ猫またぎの廃品だと教える。白虎院の背から引きはがされた玄武堂は、デカい猫の縫いぐるみを両手で抱きしめた。未だに制服姿だ。



「わかるよ...だいじなこと」


「いちおう聞くけどはるか、大事なことって何だい」


「これからなにがあっても......ぼくたちが...こんやくしゃだったこと.....おぼえてる..ね、シャーリー...」


「候補の言葉も記憶に刻んでおいてください」



 想い出が大切と語る玄武堂の横で、白虎院は眼鏡を外した顔を抑えて息を吐く。せいぜい大人の語る実体の無い怪談におびえた青い経験を活かす術を考えることだ。







*****







 放課後、参考書を机に広げる私は後ろからの声に振り返った。



「山中山、貴様は手を抜かないな。学年末の試験が終わっても」


「四月から最高学年ですからね。ごきげんよう、青龍寺せいりゅうじ様」


「くく、お得意の図書館には行かないのか?」


「御存じでしょう。客寄せパンダが居ては、正規利用される方々が困ります」



 なぜか諸生徒には第一級特待生がありがたい筆頭天女に映るようで、さながら有名人気分だ。親交を結びに突撃してくる人面獣心がいることにも驚かされた。



「認定期限の切れる卒業式まで、青龍寺様も私に話しかけない方がよろしいかと」


「ふん、俺には関係のないことだな」



 不敵な笑みと偉そうな態度が鼻につく。昨年末に見られたまな板の上の鯉はいつの間にか龍門を登り、青龍寺として復活を遂げていた。



「当家は、貴様との婚約話を破棄することにした」


「素晴らしい判断だと思います。私の家にはお気遣いなく。青龍寺様方にお声がけ頂いただけで光栄の至りです」



 期限切れに先がけて断定的に斬り捨てにかかる力強い言葉は評価できる。口から出そうな今さら感を飲み込み、立ち上がって形ばかりの礼を尽くした。



「念のためうかがいますが、関係を破棄して元に戻るのですよね。婚約者候補を破棄して正式に婚約者に、という話ではまさか――」


「無い」


「お言葉を頂けて、ひとまず安心致しました」


「ふん、顔色ひとつ変えずにか。ただ山中山、その、何だ……」



 鋭い目をそらして口ごもる青龍寺。



「貴様に助けられたことには感謝している。……ありがとう」


「……? それは青龍寺様の努力の賜物たまものです。どうか、私のことはお気になさらず」



 助けた覚えは皆無である。加えて私は感謝されることなど求めていないので、言葉があるなら鏡にでも述べた方が良い。



「経緯はどうであれ、難しい状況の中で不本意な婚約を避けられるのは素晴らしい事です」


「ああ。しかし次があれば俺自身の力で、大切なものを守りたい。そのために成長する時間は、まだ俺に残されている。かなり後れをとったが、俺も上を目指さねば」


「陰ながら応援しております」


「ふん。山中山、まずは次の試験で貴様に勝利してみせるぞ。余裕でいられるのも今だけだ」



 最終学年であれば、校内首席の簒奪さんだつはどうぞご自由に。私の定期テスト対策は今後、明らかな低落を防ぐ程度に留まる。むしろ机から顔を上げ、学外に広がる進路を見渡す時代を迎えるだろう。



 婚約破棄決定の良いニュースに続いて、教室に朱雀宮すざくみや妹が入ってきた。生徒会活動の合間にわざわざ教室に戻ってくる役員たちに私は恐れ入るばかりだ。



「ごきげんよう、山中山さん、青龍寺さん」


「ごきげんよう、朱雀宮様」


「御機嫌よう。朱雀宮も山中山に用事か」


「ええ。お邪魔でしたか?」



 控えめに揺れる金色の縦巻に青龍寺は道を譲る。



「ちょうど終えたところだ。婚約話を破棄すると伝えにな」


「まあ!」



 口に両手をあてる朱雀宮。今の今になってようやく主張した遅さに絶句する気持ちは良く分かるので、私から二の句を呼び込む。



「朱雀宮様、ご用件はどのような?」


「兄からの言伝ことづてですわ。卒業式の後に大講堂にいらして欲しいと。大事なお話があるそうです」


「承知致しました。式後に伺いますとお伝えください」



 進学先は海外と聞いているから、卒業に伴う離別の辞であろう。承諾すると、怪訝けげんに眉を寄せる青龍寺が視界の端に入った。



「俺がいる前で話していいのか?」


「当家は逃げも隠れも致しませんわ」



 朱雀宮家の兄君に一冬の隠れみのにされた気がするのは、言わぬが花としよう。知った顔の門出を華やかに祝う礼儀くらいは持ち合わせているつもりだ。







*****







 三月初旬の卒業式がつつがなく終わった後、私は「大事な話」とやらを拝聴するため朱雀宮兄を待っていた。眼前にそびえる大講堂は生徒退場の後では静かなもので、風に揺れて芽吹きを待つ木々の枝鳴りだけが聴こえてくる。


 朱雀宮家の長兄は校門前の人囲いの中にいたから、突破してくるまで少し手持ち無沙汰である。なんとなしに扉を押してみると、蝶番ちょうつがいがギィと動いた。



 そして私は開錠のドアをそっと戻した。屋内に用事などない。




 しばらくすると予約の相手がやってきた。



「待たせてしまって悪かったね。中でくつろいでくれても良かったんだが」


「気が至りませんでした。まずは朱雀宮様、後ろの皆様も、ご卒業おめでとうございます」


「ありがとう。僕から皆を代表して言わせてもらおう」



 新旧の生徒会役員をぞろぞろと引きつれて派手やかなことだ。場違い感を覚える奥ゆかしさはもはや絶無であるが、聴衆のそろった伏魔殿の深部では心がざわつく。さっさと済ませよう。



「外で待つのは疲れただろう。中へ入ろうか」


「館内限定のお話、ということですね」


「…………いや、話はここでもできるね」



 長く呼吸をおく間、大講堂を背に立つ私に数少ない想い出をみたのだろうか。あるいは悪しき記憶をこのはこに封じた朱雀宮兄の碧眼には、見慣れた私の姿だけが映っている。



「シャーリー、僕は君と、正式に婚約したいと思っている」


「朱雀宮様。私は婚約話とは別の道を進むことを決定致しました。本日はそのことをお伝えしに参りました」


「そうか、――とても残念だよ」



 これにて予定は調和した。



 そして常識的な判断を成し遂げた私の眼前に、卒業して最初の体たらくを演じた青年に続いて、その妹を含む名家四天王が立ち並ぶ。



「山中山さん。お姉様とお呼びできなくなるのは惜しいですが、これからも私達と変わらず接して頂けると嬉しいですわ」


「はい、今後ともよろしくお願い致します」


「....りっくとこんやく......しないなら......ぼくと?」


「玄武堂様とも致しません。引き続き節度ある距離感でいられれば幸いです」


「山中山さん。僕とは、そうだな。お友達からっていうのはどうだろう」


「白虎院様、婚約に至らない道を進むことは決定済です。話し合いの余地はありません」


「俺は貴様とは婚約しないと言った通りだ」


「存じております、青龍寺様」



 卒業証書授与のごとく定型文を述べて要件を終えた。


 後ろで棒立ちになっている幾人かは、もし事情を知りたければ、これから大講堂の内部で四天王を問い詰めるなどすると良い。


 高校生が婚約とは違う進路を目指すという、当然のことが当然のように起こっているだけの、まるで面白みも盛り上がりもない話が聞けるはずだ。







*****




















 ありふれた日の放課後、クラスメイト達が下校した教室の片隅で、カーテンが柔らかな風に揺れていた。


 私は解いていた問題集を閉じて窓辺へ歩く。清潔感のある白い幕をあけると、ぼんやりと暖かい日差しがいっぱいに入ってきた。窓にも手をかけて外の世界を迎え入れる。


 いくらか涼し気な空気が吹き込んできては端によせたカーテンが膨らむ。手で掴んでまとめる布地の向こう、青空には絹のように輝く雲がぽつんと丸く浮かんでいて、地面に立ち並ぶ木々にはつぼみが淡く目覚め始めている。



 透き通った風が運ぶ景色は新しい春の気配がした。



 ただそれだけの退屈な、とても素晴らしい天気だ。








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乙女ゲーの世界観にそぐわない山中山 @M_Chikafuji

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