月明かりを頼りに、黄雲は一人で森に向かっていた。

 後方にある高楼では、戦勝を祝った宴会が行われている。山奥の城では正月くらいしか騒げる時がないため、祝勝会ともなると羽目の外し方が半端ない。品の無い大きな笑い声が聞こえて、黄雲は息を吐いた。

 しかし、黄雲は宴会が嫌になって逃げてきたわけではない。

 森に着くと、背負った弓を気にしながら、手で枝を掻き分ける。月明かりが届かない暗闇の中を、黄雲は目を凝らして見回した。

「おい。みんな、いるか?」

 黄雲が声を掛けると、あちらこちらから草むらを掻き分ける音がする。

 草むらから顔を出したのは、黄雲と年齢が十も違わないような青年達だった。彼等はみんな、擦り切れた着物を身にまとっている。

「こちらの戦況は、どうだ?」

「上々ですぜ。なんせ楽器を鳴らしていただけで、戦ってませんから」

「でかい龍が現れた時は、驚きましたけどね」

 青年達の間で笑いが起こる中、龍を呼び出した張本人の黄雲は苦笑いを浮かべた。

 巨大な龍は日が暮れる前に、森の向こうへ帰っていった。子供の龍は日が暮れても黄雲に引っ付いていたが、今は部屋の文机の上で眠っている。龍は鼻が良いため、起きれば黄雲を追ってくるだろう。

「てことで、この辺りに敵はいませんよ。武装してるのは、お頭だけです」

 弓を背負ったままの黄雲は、肩を竦めた。

「これで良いんだよ。軍師ごっこは、もう止めだ」

「それは残念だ。公翼の弓を、もっと見たかったのだが」

 子供の龍が、黄雲の肩にまとわり付いてくる。黄雲は龍を構うことも忘れて、ゆっくりと振り返った。視線の先には、二人の護衛を従えた李洪が立っていた。

 李洪は黄雲の顔を見ると、目を細めた。

「ところで、公翼。一つ賭けをしておったな。私が勝ったというのに、公翼が妹君を連れてこぬものだから、こちらから迎えに行ってしまったぞ」

 黄雲の膝が、小刻みに震える。劉立の後ろには、黄雲の妹が隠されていたのだ。妹は申し訳無さそうに俯いている。

 黄雲は奥歯を噛み締めると、その場に座り込んだ。

「妹やこいつ等は、自由にしてやってくれ。俺のことは、好きにすれば良い」

 周囲から、兄上だの、お頭だのと、声が上がる。黄雲が目を硬く閉じて背を向けると、李洪は溜め息を吐いた。

「私や姉上は忘れておらぬというのに、どうして本人は忘れておるのだ? 公翼が龍を呼び出したのは、こたびが初めてではなかろう。弱味を握って脅してみろ、と言ったのも、おまえだぞ」

 李洪は、黄雲の頭を小突いた。

「私は、賊を許す、と申したはずだ。立場上、郭義を罰して公翼は許す、というわけにもいかぬのでな」

 呆然と李洪の顔を見上げる黄雲に笑いかけて、李洪はしゃがみ込んだ。

「公翼が軍師のまねごとをするよう仕向けたのも、私だぞ」

 黄雲は、目を見開いた。

 彼は同じ年代の孤児達と共に盗みを繰り返していたが、幼い子供達を養うことができずにいた。そんな矢先に、新しく仲間になった男が、黄雲に提案したのだ。軍師になってみる気はありませんか、と。孤児達に戦のまねごとをしてもらい、策をもって追い返したように見せかけてはいかがですか、と。

 その時の男は、今も仲間に混じって立っている。李洪の手の者とは、誰も気が付かなかった。

「一本の矢のために、そこまでしますか」

「一つ、やってみたい事があるのでな」

 ぼやく黄雲に、李洪は笑った。

「好きにすれば良い、と申したな。では、これからも私と遊んでたもれ。碁盤は、これじゃ」

 掌で地面を叩いた李洪に、黄雲は目を瞬かせると地面を撫でた。

「これが、碁盤?」

「天下の諸侯と勝負じゃ、公翼」

 李洪は口を横に開いて、歯を見せる。黄雲は彼を呆然と眺めていたが、次第に込み上げてくる笑いに身を任せた。

「こんな山奥から、各国に攻め入ると申されますか」

 目尻に浮かんだ涙を指で拭った黄雲は、背筋を伸ばして座り直した。

「未熟者ながら、この黄雲。お言葉、真に承りました」

 黄雲は、李洪に深く頭を下げた。彼の頭の上で、子供の龍が高い声で鳴いた。


   了

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龍を呼ぶ弓 朝羽岬 @toratoraneko

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