第11話

 日勤の帰り道、ひかりはカガワの言ったことについて考えていた。誰かに負担をかけてまで生きていたくないという言葉についてだ。ひかりはその意味も、そう思う気持ちも、もちろん分からない訳では無かった。もし自分に何らかの不幸が起こり、自分1人の力では生きていけなくなったとしたら、生きていることに何かしら罪な意識を感じるかも知れない。

 もし両親ならきっと人生をかけて私を支えてくれる、それに関して1ミリも疑いが無いくらいに、ひかりは愛され恵まれて生きてきたと自負している。そしてだからこそ、これから先両親に不幸があったとしても、自分の出来ることを何でもしながら支えていきたい。もちろんそれは簡単ではない。時間やお金、労力など自分の生活から奪われるものだってたくさんあるだろう。しかし家族なのだ、私は今まで両親に育てて貰う中で、沢山のものを貰ってきたのだ。だからこそ両親に何かあれば迷うことなく自分の生活の一部を犠牲にできる。しかしヤマカワには身寄りが無い。家族でない人間の生活を犠牲にして、生きていくと考えると確かに気が引けるのも分かる。世の中には本人の望まない医療に多額の税金を使って延命させることに異議を唱える人もいる。しかし、命だ。きっとヤマカワだって今まで色んな人を支えてきたはずだ。だからこそ今カガワやホンダが惜しみなく援助をしているのではないか。税金にしたって生きていくことを遠慮させるくらいなら、もっと他の使い道を減らしたら良いのではないか。なんにせよ生命を優先させることは絶対だ。だがそれでももし、本人が生きることそのものに絶望して疲れてしまったとしたら、生きていることが苦痛なのだとしたら?もし、ヤマカワの状況になって、今後どうするか選択肢があるのなら、自分は何を望むだろう。

 今日は平日だからカズヤはいない。こんなネガティブな思考にはまりそうな夜は、カズヤの纏うあたたかい空気が恋しい。私のなんでも考え過ぎてしまうところを、茶化しながら優しく包んで欲しい。そう思いながら、ひかりはカズヤについても考える。

 もし今私がヤマカワと同じ症状が出たら、カズヤはどうするだろうか。きっと自分にできることをカズヤなりに考え、私を助けようとしてくれるはずだ。それに対して私は嬉しさと申し訳無さを感じるだろう。そしてもし治療しても症状が改善しなければ、カズヤからの援助を断ち切って、お互い別の人生を生きた方がいいとわたしは考えると思う。手足を動かせず、会話も出来ない状況で、自分がカズヤにしてあげられることなどあるだろうか。カズヤの負担にはなりたく無い。でも逆にカズヤにヤマカワと同じ症状が出たら?そうだ、カズヤはただそこに居て、体温に触れるだけで充分に幸福を与えてくれるではないか。そんな存在が近くにあるだけで、それ以上何も望む必要ないではないか。

 そんなことをぐるぐると頭の中で巡らせながら、ひかりはコンビニに寄った。さすがに疲れた。仕事のことを考えるのはこれで終わりにしよう。長引くと眠れなくなるのがいつもの落ちだ。帰ったら面白そうな海外ドラマでも探してみよう。そう思い、出来合いのパスタと安い白ワインを買って帰った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沈黙の龍 あきら @akira_w

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る