SCENE2

 三木さんは地味で目立たない…という形容がぴったりの人だったけれども、それだけだとあまりに可哀相なので、具体的な姿を言うなら、髪は今でいうボブ。私らよりもひと世代前でいうなら、聖子ちゃんカットで丸い顔の、ちょっと自信なさげな、いつも伏し目がちの女の子だった。

 正直、顔をはっきり覚えてない。人の顔、覚えるの苦手だし。


 さて、三木さんはとても真面目なコだった。美化委員の仕事である花壇の植え替えも、他の委員がサボってカラオケ行ってる間に、一人、首にタオル巻いて土が爪に入るのも構わず、白い夏服が汚れても一生懸命にやってるようなコ。

 こんな女の子がどういう理由でカヤと仲良くなったのかわからないけれども、同じクラスだったから、まぁ、機会がまったくないわけじゃない。いつの間にか彼女はカヤについて回って、カヤの怪しげなサークルにも入り浸るようになっていた。


 その日、例のカヤのサークルに寄った後、たまたま塾に向かう私と同じ方向だという三木さんと一緒に帰ることになった。

 正直、それまでそんなに話したことはなかったんだけども、話してみると、案外気が合った。その頃読んでいたファンタジー小説の話で盛り上がって、互いの考察なんかを始めたりなんかして。途中の公園で喉が渇いてジュース買って飲むくらい、けっこう話したと思う。


 三木さんはおそらくあんまり友達がいなかったんだろうな。人生において。だから、私なんかでも、ものすごく気の合う友達が見つかって、どうしても言いたくなってしまったのかもしれない。


「あのね、須藤さん……変に思うと思うけど…私ね……カヤのこと好きなの」


 その時、私が驚いたのは二つ。


 一つは私の名前を知ってたこと。自己紹介とかした覚えないんだけど、カヤから聞いてたのかな。

 もう一つは女の子が女の子を好きっていう、シチュエーション。


 いやもちろん、レズビアンっていう存在のことは知ってたし、隠語で百合っていうことも知ってましたよ。でも、まさか普通の…男女共学の極々普通の公立高校において、女子同士恋愛話の相談が、自分に来るとは思わないでしょう。当時は私も、自分の性癖について決めかねている上で、まだ異性を好きになることが正常と思いこんでいたから、そりゃあいきなり過ぎてびっくりしてしまった。


 おそらくは三木さんも、自分で自分の気持ちを持て余していたのだろう。それでも、誰かに吐露せずにおれないほど、カヤのことを好きになってしまったのだ。


「あー…そう」


 とりあえず私は言った。三木さんは心配そうに尋ねた。


「……気持ち悪い?」

「いや、それはない」


 私は即答した。事実、気持ち悪いとかっていう感情は持たなかった。(まぁ、持ってたら今こんなになってないな)

 三木さんはいつも伏し目がちだった顔を上げて、私を見てホッとしたように笑った。


「良かったぁ…」


 心底安堵したようだが、私には今も謎だ。

 なんだって、今日たまたま帰路が一緒になって、話してみたらわりと気が合った程度の、まだ友達以前の私に彼女がそんなに勇気のいる告白をしてきたのか。

 それこそカヤが皮肉まじりに言う、私の聞き上手…親しみやすさというやつだろうか。まぁ、どうでもいい。


「カヤって人気あるから…きっとみんな好きだと思うけど」

「うん…まぁ」


 祖母がインド人というカヤの容貌は、やや浅黒い肌にくっきりした二重瞼の黒目がちの瞳、ゆるい癖のあるショートカットに、スラリと背の高い、あまり凹凸のない姿で、どこか中性的な雰囲気を漂わせていた。その上で、生徒会役員なんかも進んで立候補して、あっさり会長なんかもできちゃうので、男女問わずに人気ではあった。まぁ、多分に憧れ要素を含んだものだ。


「私は…本当に好きなんだ…カヤのこと。初めてなの、こんな気持ちになるの…」


 きっとあの頃、カヤに恋をしていたのは彼女だけではないだろう。けれど、私が直接触れたのは彼女の言葉だけだった。熱に浮かされて、震えながらつぶやいた、本気。 


 LGBTなんて概念が、まだまだ遠い彼方にある状態で、それでも彼女は彼女を好きだと言った。その人が女であれ、自分が女であれ、好きになることが先で、その気持ちに気付いたら、もう止められない。


「……カヤに告白して嫌われないかなぁ?」


 最終的に、三木さんの心配はそこだった。

 自分の思いを伝えたい。でも伝えたら、もう友達でいられなくなるかもしれない。この辺りは異性間であろうと、同性間であろうと、友達から恋人に発展しようとする時のパターンなのだろうか。 


「嫌うことはないと思うよ。たぶん。カヤはそういうの、あんまり否定するタイプじゃないだろうし」


 もっともだからといって告白を受け入れるのかと言うと、それもない話だった。当時、カヤとそんな恋バナになることもなかったけれども、薄々、カヤに好きな相手がいることぐらいは気付いていた。


「……うん、そうだね」


 三木さんが私の言葉で多少勇気を持てたのかは疑問だ。その後、彼女がどういう行動を取ったのかも。


 しかしいつしか彼女の姿はサークル内から消えた。半年もしたら、同じ学年の男子とつき合ってたみたいだから、彼女は熱から醒めて、無事自らの『異常事態』を回避したのだろう。

 私とすれ違っても、目も合わせないようになっていた。

 別に誰にも言ってないのになぁ。当人以外には。





「フッたんだよねー。きっと」


 私はチラとカヤを見たが、ご当人はその事に関しては記憶にございません、とばかりにツンと澄まして酒を呑んでいる。


「あらー。勇気出して告白したんでしょうにねぇ…まぁ、初恋が実るのなんて、物語だけよねぇ」


 ママさんはいかにも残念そうに言ってから、ニンマリ笑って私を見た。


「だけど須藤さんが、そんなにちゃんと恋愛相談に乗るとか意外」

「えぇ? 相談っていうほどのもの?」

「須藤さんってば、その子の告白聞いて、目覚めちゃったんじゃないの?」


 ママがフフフと笑いながら言う。


 どうなんだろうか? 確かにまだはっきりと自分の性癖への自覚はなかったけれど、女の子が女の子を好きになってもいいんじゃない? と実際に思ったことで、一個、たがは外れた気がする。もっともその前から、芸能人でも好みは男と女それぞれにいたし、気に入った子には男でも女でもプレゼントしたりもしていたから、素養はあったのだろう。


 ママさんの言葉に、カヤは渋い顔のまま、また私の八海山を猪口に注ぐ。


「お前、まさか三木さんに手出したんじゃないだろうな?」

「は…」


 私は吹き出しそうになった。コイツ、自分がフッた相手のことまで気にするのか。


「まさかも、まさかも、まさかだわ。カヤ、アンタ、私の好みは知ってるでしょ?」

「……ツンデレな」

「その四文字…情緒ないわ~。私の好みは我儘で高飛車なお嬢様」

「……ブレないな、お前。女の好みは」


 カヤはややゲンナリした顔だった。まぁ、そのお嬢様の中には嫉妬して、私の周りの人間に迷惑をかけることもあって、カヤも被害を蒙ったことがあるので、思い出したのだろう。


「男はいつもタイプが違うの?」


 ママさんが不思議そうに尋ねてくる。


「そう、そう。コイツの男の選別の基準がわからない」


 カヤはケッと吐き捨てる。まぁ、この人は男であれ女であれ、自分が守ってやりたくなるような、半分病人みたいなのが好きだから、私よりは明確な基準があるのだろう。


「あ…ヤバ。時間過ぎてた…」


 カヤがブーンと震えたスマホを見て、あわてて何か打ち込んでいた。彼女タツヤからのメッセージだろうか。


「じゃ、帰りまーす」


 カヤは途端に笑顔になって、会計する。最近じゃ、こんな場末の小料理屋でも○イペ○が使えるから便利だ。


「カヤ」


 私が声をかけると、カヤが上着を羽織りながら振り返る。


「で、結局私は言葉で人を殺したっけ?」


 カヤはしばらく私を見てから、ふぅと吐息をもらした。


「お前、覚えてないの?」

「何を?」

「さっきの…三木さんに告白された後に、お前がいきなり聞いてきたんだよ。彼女から告白されたでしょ? って。誰にも言ってないのに、なんでよりによってお前が知ってるんだって思った」

「ふぅん」

「その時だよ」

「はい?」

「お前が言葉で人を殺すような奴だと思ったの」

「…………なんか言ったっけ?」

「言わない。今更、何十年も前のことで傷つきたくもない」

「まー、繊細」

「お前はさ、優しい顔して人の心理をえぐってくるようなこと平気でするんだよ。そのくせ相手に一片の興味もない」

「興味はあるよ。好意がないだけで」

「そういうとこ!」


 カヤは怒って帰って行った。


「やれやれ…」


 私は残り少なくなった八海山を飲み切ると、ママに会計をお願いする。


「彼氏さんと別れたなら、また来てよ」

「うん。カヤのいない日にね。また怒られたら食欲なくしちゃうから」


 最後に厨房から顔を覗かせた大将に、ちょっと頭を下げて出て行く。


 大通りに出ると、クリスマスイルミネーションで街路樹にLEDの灯りが点滅していた。酒で火照った体が一気に冷えて、ダウンのジッパーをあわててしめる。


 例の独特な名前の企業のビルの前には、ロックフェラーセンターのクリスマスツリーを真似したような、どでかい樅の木があり、多くの人がスマホで写真を撮っていた。恋人だったり、親子連れだったり。


 その中に、別れたばかりのユキヤの姿を見つけた。隣には、見覚えのある女性。そう、彼と別れるよう迫ってきた例の女だ。

 じっと見ていたら、当然彼が気付いた。さっと視線を逸らす。急に険しい顔で黙り込んだ彼に、連れの女が尋ねた後、キョロキョロと辺りを見回して私を見つけた。


「あっ!」


 思わず大きな声が出て、周囲の人間の目線が彼女に集中する。女はすぐに恥ずかしそうに俯いた。


 私は微笑んだ。こんなシチュエーションもじゃないか。

 ゆっくりと彼らの方へと歩いて行って、前で止まった。


 彼は近寄ってきた私に何を言われるのかと身構えていた。


よ、ユキヤ」


 ポカンとなる彼らの顔を見て、私はニッコリ笑った。

 軽く肩をすくめて、バイバイと手を振ると、また雑踏の中を歩き出した。



<終>

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彼女はすぐにフラれることにしている ~実話少々~ 水奈川葵 @AoiMinakawa729

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