水面の彼

小此木センウ

水面の彼(1話完結)

 中学校への通学路は、川沿いを行く。

 大して幅もない、コンクリートで護岸された川だが、意外と深いところもあって、特に近ごろは注意を促す看板が目立つ。ありふれた風景ではあるけど、その道が好きだったから、アキと一緒にいつも通っている。もちろん今朝も。

「またここ? もう別のところから行こうよ。今はみんな使ってないよ、この道」

 同じ中学に向かう生徒たちから離れ、川沿いの道に繋がる階段を降り始めた私を見て、アキが口を尖らせた。

「いいよ、こっちで。学校まで一番近いし」

「なんで……もう」

 階段の手前で立ち止まってしまったアキに、私は声をかける。

「ねえ来なよ、置いてっちゃうよ」

「行くよ、行くけど」

 アキは唇を噛んで、悲しそうな顔をしながらついてきた。最近のアキは少し様子が変だと思う。何かあったのだろうか。私は心配になる。

 でも、きっと私たちなら大丈夫だ。たとえ足りないものがあっても、二人いれば補い合っていける。私たちは親友だから。

 私がアキの手を握ると、アキははっとしたように私を見て、少し笑ってから握り返してきた。そこでちょうど、階段を降り切る。

 どうしてなのかは知らないけれど、今日みたいにうす曇りの日は、川の流れる音がよく響く。小学校の時のように、二人で手をつないで、黙ってその音を聞きながら歩く。

 川を下る風に一足早い春の暖かさを感じ、私はなんだか気分が良くなってくる。もうすぐ花も咲くし、魚や水辺の生き物も出てくるだろう。そういうのが、私は好きだ。自分の名前がハルだからだろうか。

 けれども、本当はもっと気になるものがある。

 階段から少し進むと、道の向こう側からケヤキの古木がせり出した場所にぶつかる。川のサイズと不似合いな、神社にでも生えていそうな大きな木で、そのおかげで川は木を避けるように蛇行し、道もくの字にゆるく曲がっている。

 蛇行する部分で流れが変わるせいなのか、川底は深くえぐり取られ、水もゆっくりとよどんでいる。

 私は立ち止まってアキの手を離し、川のすぐ手前まで近づく。危険と書かれた邪魔な看板を軽く蹴飛ばし、新しく設置された鉄の柵にもたれて、私は川面を眺める。

「ねえ、行こうよ。遅れるよ」

 アキが私の腕をつかんだ。

「大丈夫だよ。ちょっと早く家を出たんだから。それよりアキも見てみなよ」

 袖を引っ張ると、アキはため息をついて、諦めたように私の隣に並んだ。二人で見下ろした水面は波も水紋も見えず、まるで鏡のようだ。そこに二人の影が映る。そうして、奇妙なことが起こる。

 私たちは女同士なのに、水面に映った片方は、男の子だ。私の代わりに、同じ学校の制服を着た知らない男子が、こっちの様子を眺めている。

 しばらく前、今日と同じようなうす曇りの日に初めて気がついたことだ。その時もアキと一緒だったけど、川を見ていたのは私だけで、自分が変になったんじゃないかと怖くなって、そのまま何も言えずにいる。

 けれど、それ以来毎日のように私がここで水面を見ているのを、いい加減アキもおかしいと思っているはずだ。

 隣を向くと、アキはなんだか寂しそうな顔で、水面のあの子をじっと見つめていた。

「ねえ、アキ。確かめたいんだけど」

 私は水面の顔を指差す。

「あの男の子、アキにも見えてる?」

 思いきって聞いてみる。

「――うん」

 アキは短く答えて、それから川ではなく私の顔を見つめた。

 アキにも見えていた。私は嬉しくなる。

「不思議だよね。本当にいるのかなあ、彼。同じ学校だよね。今度探してみようかな」

「探さなくても」

「えっ? アキ、知ってるの、あの子のこと?」

 アキは私を見たまま、黙ってうなずいた。

「そうなんだ――」

 私も黙り込んでしまう。なぜなら、それは。

 見るたびに、私は水面に映る彼のことを好きになってきているからだ。彼が一体誰なのか、知りたい。

 教えて、と口が動きかけ、そこで止まる。

 もしかしたら、アキもあの子のことが好きなのかもしれない。いや、きっとそうだ。そうに違いない。この頃アキの態度がおかしいのも、そのせいなのかも――


 だとしたら私の気持ちは、だれにも言えない恋だ。


 私は目を閉じる。これ以上見ていたら、ますます彼を好きになってしまうからだ。アキが彼を好きなら、私は諦めよう。私たちは親友なんだから。

「あの子はアキに譲るよ」

「え?」

 アキは驚いたような、困ったような表情で私を見た。

 私は歩き出す。少し涙が出そうになって、慌てて話題を探す。

「だけど何ていうのかな、彼の名前。私がハルであなたがアキだから、あの子はナツか、それともフユかな?」

「やめてよ!」

 突然、アキが叫んだ。私は驚いて振り返る。

「当てつけてるの? あなただって一緒じゃない!」

「一緒? それ、どういう――」

 アキは肩を震わせて、私の目の前まで歩いてきた。

「いくらそんなことしても、もういないの、あの子は」

 私たちがさっきいた場所を指差して、アキはしぼり出すように言った。

「死んじゃったのよ、そこから川に飛び込んで」

「死んじゃったって……あの子が?」

 私はおろおろして聞く。

「どうして私といる時だけそうなの? ひどいよ」

 アキはまくし立てた。

「ごめん、アキ、何の話をしてるの?」

 うろたえた私が重ねてたずねると、アキの怒りの表情が、ふっと柔らかいものに変わった。

「ねえ、私のこと好き? 好きだよね、好きって言ってくれたよね」

「も、もちろん好きだよ、アキのこと」

 私はアキの両肩に手を置いて、何度もうなずきながら答える。

「うん……ありがとう」

 今度は泣きそうな顔になってアキは言った。そんなアキに、私はほほえみかける。

「大丈夫だよ。だって私たちは親友じゃない」

 突然、アキは乱暴に私の手を払いのけた。真下を向いて両手を握りしめ、そしてまた急に顔を上げた。目には涙がにじんでいた。

「あなたのこと、私にはわからない。わからないよ!」

 走り去るアキの背中を、声もかけられずに呆然と見送る。

 一体どうしてしまったんだろう。どうやったら、アキを助けることができるんだろう。

 だけど、おかしいのは自分のほうなのかもしれない。

 まだ新芽も生えていないケヤキの、裸の枝を通して、にわかに冬が戻ったような冷たい風が吹く。ぶるっと身体が震えて、心にかかった薄もやが晴れてくる。

 この頃ずっとだ。アキと一緒にいる時に限って、不意に気持ちがたかぶって頭がぼうっとしてくる。どこを歩いて、何を話したのかも、ぼんやりとしか思い出せない。

 多分、あの子、ハルに対する罪悪感だろう。そうだ、僕たちが悪かったんだ。

 ハルとアキと僕は、小さい頃からいつも一緒にいた。

周りの誰もうらやむくらい、仲が良かった。でも、いつからかそれは変わってきた。

 ハルとアキの二人とも僕を異性として好きなんだと意識したのは中学に入ってからで、だが僕はしばらくの間、それに気がつかないふりをしていた。気がつくことで、三人の関係が今までと違ったものになってしまうのが怖かったからだ。

 多分ハルも僕と同じ考えで、けれどアキは違った。アキは次第に僕と二人で会いたがるようになり、そして僕も、アキと過ごすうち、アキに対する恋のような気持ちが芽生えた。

 ハルにそのことは伝えていなかったのだが、三人でいる時も、だんだんとハルは会話に加わらなくなっていた。

 もちろん僕もアキも、ハルを大切な友達だと思っていたから、邪魔者あつかいするようなことはなかった。それでも毎日近くにいれば、繊細で優しいハルに僕たちの気持ちがわからないはずがない。僕たちの余計な気づかいが、ハルには逆に重荷になってしまったのかもしれない。

 ハルが冷たい川の流れに飛び込んだのは、しばらく前のことだ。

 どうしてそんなことをしたのか、ハルの気持ちになって理解しようと、それ以来、僕は考え続けている。けれど答えは出てない。足りないもの、欠けてしまったものを僕たち二人で補い合っていけるのかも、まだわからない。

 僕とアキに宛てて、ハルから最後に届いたメッセージを、僕は思い出す。

「フユはアキに譲るよ」

 メッセージには、それだけ書かれていた。

 もう一度川に向かい、手を合わせてから、水面に映る自分の影を眺め、僕はアキを追って走り出した。

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