第47話 1つの嘘の終わり

お互い抱きしめ合って、しばらく経ってから俺は少しだけ叶から体を離した。


といっても、まだ腕はお互いの背中に回したままだったが。


「ごめんな、今まで。俺、ずっと叶の気持ちに気づいてながら、ずっと答えを曖昧にしてた」


「ううん、いいの」


気にしないで、と叶は首を横に振った。


そして何を思ったのか、叶はそっと俺の胸に頭を寄せる。


服越しでもわかる彼女の火照り。俺も今は恥ずかしさと嬉しさで頬が上気している。こんなの、鏡を見なくてもわかる。多分、お互い耳まで真っ赤になってるだろう。


心臓が激しく鼓動していることを今にも叶に気づかれてしまいそうだけれど、今はそれでもいいと思えた。だって、彼女も同じくらいドキドキしているのだから。


「律に大好きって言われて、すごく嬉しい」


ふる、と彼女が一瞬震えた。


「私、すごく怖かった」


「……何が?」


俺は少しだけ目を見開く。


怖いという言葉が叶から出てくるとは思わなかった。一体何を怖いと思っているのか。


「記憶が無い前の私は、律のことをどう思ってるんだろうって」


「あ……」


彼女の口からは俺が先程までずっと胸に抱いていた不安が出てきた。

やっぱり、記憶が無いとはいえ叶もそこを不安に思っていたのは同じだったのだ。


「律を好きになる度に、どんどん本当の自分から私が離れていってるように感じてた。記憶のない私で、塗りつぶされてる気がしたの」


彼女は俺の胸に頭を預けるのをやめ、そっと俺から離れていった。


「でも」


叶は微笑んだ。


そこから先の言葉は、マイナスなものではなかった。


「もう、それは解決したから、大丈夫」


「え、解決したって……」


今のこの流れ、普通は怖いとか言って俺に助けを求める場面ではなかっただろうか。

自分のまさかの思い違いに、俺は少し恥ずかしくなる。


叶は「ちょっと待ってて」と言って自分の部屋へと入っていく。


そしてなにかの引き出しを開ける音が聞こえた。しばらくの沈黙の後、叶は小走りで物置部屋の前にいる俺のところまで戻ってきた。


「……日記に、全部書いてた」


そう言って、叶は1冊のノートを俺に差し出した。


「あ……」


昨日、俺が部屋に入った時に叶が慌てて隠した日記帳だった。


それは昔の叶の記憶が記された道標。

誰も知りえない答えが記録されているもの。


ここに、彼女の記憶の全てが書かれているのだ。


昨日、叶が慌ててこの日記を隠していたのは、もしやこのことを俺に知られたくなかったから?


でも、なんで?


「記憶の無くなる前の私、こんなこと書いてた」


──これは繰り返される、新たな私の物語



「これって」


……どういう意味だ?


俺の頭の中は「?」で埋め尽くされる。


「昔の私、日記に書く内容がポエムっぽくなる癖があったみたい」


「……んん?」


ほら、と彼女は日記を開いて俺に見せてくれる。


『私は部屋の隅でうずくまっていた。大切な、自分にとっては思い出の1部であるものを無くしてしまったから。

髪からは涙のようにポタリポタリと雨雫がしたたり落ちていた。

でも、雨が上がると同時に、律が家に帰ってきた。そして、何気なく、おかえりを言いに行ったところで、彼は私にとっての大切なものをくれた。

びっくりした。それでも、それが私の心の闇を沈めてくれた。

心が、とっても、温かくなった』


これ、もしかして叶の無くしたヘアピンを俺が探して渡したときのことじゃないか?


確かに、言われてみれば詩っぽくなってる気もする。


「多分、私が言いたかったのは、新しい自分になって、律にちゃんと気持ちを伝えるってことだと思う」


1枚1枚、丁寧に日記のページをめくる叶。その目はどことなく、柔らかい雰囲気を纏っていた。


「でも、かといってと記憶の無くなる前の叶の気持ちはまだ……」


「ううん、分かる」


叶は最後のページまでめくり終えると、そっと日記を閉じた。


「記憶の無くなる前の私、すごい、幸せそうだった」


叶は日記を胸に抱え、瞼のカーテンをそっと下ろす。その様子はまるで、教会にひっそりといる聖母のようなものだった。


「それが、もう、答えなんじゃないかな」


昔の叶の声が、脳の中で反響する。



初めて俺の名を呼んでくれた時の、照れを頑張って押し殺した表情。


ヘアピンを渡した時、紅潮していた表情。


川で遊んでいた時に見せた、いたずらっぽい表情。


律、律、律。


俺の名を呼ぶ彼女の姿が、脳内でありありと映し出される。








はっと息を呑んだ。

その様子を見た叶は、ひとつ頷く。


ああ、そうか。そうだったのか。


俺はようやく、その事実に気がついた。



「「……は、記憶の無くなる前からずっと、のことが好きだった」」



俺と叶の声が揃った。


偶然とは言えないまでも。まさかここまで言葉が一致するとは思わず、お互いくすっと笑みを浮かべた。


「律が、この気持ちに気づいてくれるまで、ずっと待ってた。記憶のない私が気づかせるのは、違うと思ったから」


「……うん」


「でも、ようやく気づいてくれた」


「うん。……気づくの、遅くなってごめんな、叶」


俺は、叶と、そして叶の中に眠っているであろう本当の叶に対して謝った。


「ううん、大丈夫」


叶はふるふると首を横に振る。


そして、その言葉の後、叶は俺の手を取った。


「律は、謝らなくていい。でも、代わりに私、言いたいことがある」


叶は1度、深呼吸をした。


そして、俺に満面の笑みを向けてこう言った。


「気づいてくれてありがとう、律」


瞬間、ドクンと大きく心臓が跳ねた。


なんだ、この感覚。


この笑顔、どこかで。


「叶、もしかしてお前──」


言い終わる前に、叶は俺をぐいっと引っぱる。おかけで、俺が言おうとしていた言葉は強制的に打ち消されてしまった。


「行こ、律」


「えっ、ちょ、どこに」


「みんなのところに戻らなきゃ。私と律のせいで、いっぱい迷惑かけたから、謝りに行くの」



叶は今度は、いたずらっぽい笑みを浮かべて俺にそう言ったのだった。







■■■

お久しぶりです。香屋ユウリでございます。くだらない冗談から始まったこの物語も、ひとまずこれで1区切りになります。

ここまでこれたのも皆様がぽちぽちと読み進めてくれたおかげです。メッセージ等くれた方、大変励みになります。ありがとうございます。


さて、ここまでは叶編ということで書かせて頂きました。ですが皆さん、ツッコミどころは色々あると思います。


特に、「おい、白川さんはどうなってんだ」という方が複数名いらっしゃるかもしれません。


というわけで、次からは千聖編をやっていきます。


のんびり更新になるかもしれませんが、引き続き何卒よろしくお願いします。




























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エイプリルフールだったので「記憶喪失になった」と言う義妹に自分達は恋人だと冗談を言ったら信じちゃった件について 香屋ユウリ @Kaya_yuri

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