第46話 大好きだ

「はっ……はっ……」


俺は息を整えながら、高山家の玄関前に立っていた。


無我夢中で走っていたので気づかなかったが、道にあった水溜まりに踏み入れたせいか靴はぐっしょり濡れている。若干ズボンも湿っていて、肌に張り付いていた。


その冷えた足元から、先ほどの恐怖の感情がせりあがってくるような気がした。けれど、ここで立ち止まってはダメなのは分かっていた。この状況を生み出したのは自分。ならば、終わらせるのも俺じゃなきゃダメなのだ。


若干震える手を無理やり動かして、玄関のドアを開く。


ガチャリ、という音がいつもより重く俺の胸にのしかかる。


「叶……?」


家の中は真っ暗だった。電気は二階はおろか一階のリビングにも点いていない。叶のことをよく知らない人なら、たぶん無人だと思うに違いない。


けれど、俺にはなんとなく分かっていた。    


2階には俺の部屋と叶の部屋と、それと物置部屋がある。大人一人が少し体をかがめてはいれるくらいの小さな物置。叶がまだ小学生のころ、彼女がいじけたりぐずったりするといつもそこに潜り込んでいたのを覚えている。


俺は二階へと上がり、廊下を進んでいく。


そのまま俺の部屋、叶の部屋、と通り過ぎてから、一番奥にあるその部屋の前に立った。


そして


「叶」


扉の向こうにいるであろう彼女に、俺は努めて優しく呼びかけた。


「さっきはごめん、叶」


扉の向こう側から微かに床が軋む音がした。


俺は彼女がちゃんとそこにいることに安心してから、言葉を続けた。


「俺、酷いことを叶にしてしまった。逃げるなんて、最低だよね」


もし怒るなら存分に怒って欲しい。罵ってほしい。たとえそうなったとしても、これで良かったんだって思えるだろう。最低なことをした俺には、それがお似合いだ。


『逃げるなんて、最低』


そんな幻聴が、俺の耳に木霊こだまする。


「叶がせっかく自分の想いを伝えてくれたのに、俺はそれを……受け止めもしないで、放り出した。本当にごめん」


「……あと、叶にもう1つ謝らないといけないことがあるんだ」


いつか、このことを伝えねばならない日が来ることは分かっていた。けれどいざその瞬間がくるとなると、失望されていると思っていても怖くなる。


でも、俺の気持ちを叶に伝えるには絶対言わないといけない。


息を吸って、吐く。決意を十分な程に固める。叶の激情を受け止められるように、準備をする。


「四月一日にさ。俺が言ったこと覚えてるか?『俺たちは恋人だ』って。叶はその時記憶が無くなってて、混乱してた状態だった。それなのに俺はそのことも理解してあげられずに……エイプリールフールだからって平気で冗談を言って、しかもそれで叶と恋人になった。もしかしたら叶の記憶が無くなる前は、そんなこと望んでいなかったかもしれないのに」


「それも、ごめん」


俺は扉にそっと右手をあてがう。


「怖かったんだ、ずっと。叶とは本来恋人の関係じゃないのに、偽物の関係なのに、君は俺の事を好きになってくれた。それを正直に言った時、どんな反応をするんだろうって。怒るかもしれない、失望するかもしれない。……ただただ、怖かったんだ。だから、さっき俺は逃げてしまった」


義妹として、叶が家にやってきた日。あの日、俺は叶と初めて出会って、奇妙な胸の高鳴りを覚えた。


「正直、まだ怖いよ。でも、それでも俺はこの気持ちをもう誤魔化したりはしたくない」


たとえ俺が脳でどんなに否定しようとも。


叶が好きだという気持ちは心からの、否定しきれないほどの、愛なんだ。


「誤魔化すことは、叶に対して、失礼だから。想いを誤魔化すことがどれだけ残酷なことか、知ったから。教えてもらったから」



だから


「叶」


今、ここで


「色々思うことはあるかもしれないけど、せめてこれだけ言わせて欲しい」


君に伝えたい。



「叶。俺は叶のことが好きだ。………大好きだ」



次の瞬間、ガタリと大きな音がした。


続いてふわりと、目の前で美しい白色の雪が舞う。


叶が俺に正面から抱きついたのだと、一瞬の間を置いて理解した。


「律……っ」


俺は叶の背中に手を回し、優しく彼女を包み込む。


重なった頬を、一粒の雫が流れ落ちていく。


「逃げたりして、ごめん」


「うん……」


「記憶がなくなっても、叶は叶だ。たとえ記憶が無くなってたとしても、俺は叶のことを想ってる」


「うん……私は、大丈夫」


叶と俺は互いに顔を見合わせる。


真っ白色の頬をほんのり赤く染めた叶は一瞬目を逸らしたが、すぐに俺の瞳へと視線を戻す。


「律……私も、好き。律のことが好き」


そして浮かべる、満面の笑み。


今まで笑みを見てきた中で、過去最高のかわいさだった。


俺は思わずもう一回叶を胸に抱き寄せる。


叶は驚いた表情を見せたが、すぐにそれを受け入れてくれた。


叶の肌が落ち着く温かみを帯びていて、不思議と心地よい。


俺と叶は抱き合ったまま、しばらくそのままお互いの温もりをひしひしと味わっていた。











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