後編

 都会の喧騒とは程遠い静けさでも、照り返す暑さには参ってしまう。久方振りのお盆休みを利用して来たその町は、面影はそのままに風変りしていた。隣街と繋がる無人駅が出来て、駄菓子屋は小洒落こじゃれたカフェへと変わっている。そしてかつての学び舎があった場所には、「めぐり」という名の観光案内施設が建っていた。


 「10年も経てば変わるか...。」


 中学を卒業した私は家族と共に東京へ戻り、高校・大学を経て都内の大手広告代理店に就職した。がむしゃらに働いて休みも献上してきたものだから入社して初のお盆休暇もご褒美の様なものだ。とおもむろに歩いていると、目的の場所に着いていた。20段程の石段を上がると小さくも立派な鳥居の奥に本堂が見える。その脇を通って進んだ先に数は少ないがお墓が並んでいる。良かった、ここは変わってなかった。その名前を見つけて墓前にしゃがみこみ、静かに手を合わせた。


 「久しぶり。香介。」


 お墓の周りには沢山の花が手向たむけけられていた。当時の同級生からだろう。花々の中に‘‘成沢和也,,と書かれた手紙もあった。

 ずっと愛されているんだね、あなたは。少し変わったこの町を見せてあげたいよ。あんな事故さえ起きなければ...。

 あの日の事を思い出すと、あなたとの過去が悲しみで覆われていく様で、涙が止まらなくなる。


 「お嬢ちゃんもその子のお友達かい?」


 突然の声に驚いて振り返ると、見覚えのあるお婆さんが立っていた。見られたかなと思い咄嗟に涙をぬぐう。


 「毎年お盆になると花でいっぱいになっとるよ。昔はよく、うちの本屋に来てくれとったから、こうしてちょこちょこお参りには来させて貰っとるのよ。ただねぇ、うちの店を出た後であんな事になるなんて思わんでな...。」

 

 あの頃よりさらに小さくなっていたが、香介が通っていた本屋のお婆さんに間違いなかった。泣いていた私に気付いたのか、少し離れた所から静かに話しかけてくる。

 

 「生まれはここの子かい?」

 

 「いえ、中学2年になるタイミングで越して来たんです。」

 

 「じゃあ彼とは少ししか。」

 

 「1週間だけ。」

 

 「そうかい、それでもお参りに来るなんてね。」

 

 「——忘れられない人なんです。」

 

 「...あんた、1度だけ彼と本屋に来た子かい?」

 

 また目が熱くなってくる。「もういいんです。彼を思い出すと悲しくなってくるから。これを最後に忘れようって決めてきたんです。だから――」



 「もう1度、彼に会いたいかい?」


 

 突然の問いに、答えようとした言葉を飲み込む。私の反応を気にすることなくお婆さんは続けた。

 

 「本堂さんにお願いしてごらん。願いが本物なら叶えてくれるさ。」

 

 「いや、だから私は」

 

 「彼を忘れることが、本当にあんたの望みなのかい?」

 

 「だって、そんなことできるわけ――」

 

 「『好きな人がいるんだ。』彼が最後にあたしに言った言葉さ。」

 

 頭の中が香介でいっぱいになった。

 

 「会いたい...香介に、会いたいよ...。」


 気づくと私はお婆さんと一緒に本堂の目の前に立っていた。

 

 「1つだけ、あんたに言っておくことがある。あんたがどれだけ頑張っても『過去の事実は変えられない』からね。」

 

 「え、じゃあ香介は...」

 

 「ただし、事実は変えられなくても『思い出は変えられる』のさ。恥ずかしかった話が笑い話に変わるように、悲しい思い出が輝くほどの素敵なものに変わる。自分次第さ。」

 

 「わたし、次第...」

 

 「さあ、彼の事を思いながら願うんだよ。」

 

 目をつむり昔の思い出を呼び起こす。周りの草木が風に揺れてざわめくのを感じた。いつまでこうしていればいいのか、お婆さんはまだそばにいるのか。急に怖くなり目を開けようとした時、一瞬突風が吹き抜け、栗色の毛先が大きくなびいた。

 

――————


 そこは見覚えのある廊下だった。お世辞にも綺麗とは言えないが、微かに広がる自然の香りと窓から見える山々が、都会とは逸した場所であることを物語っている。ふと、手洗い場に置いてある手鏡に目がいったとき、驚きのあまり声が出た。

 

 「嘘...でしょ...。」


 白いセーラー服に臙脂色えんじいろのリボン、肩よりさらに伸びた真っ黒い髪。


 「これ、私?」


 鏡を見ながら立ちすくんでいると突然、扉が開いて一人の女性が出てきた。


 「ごめんごめん待たせちゃって!じゃあ行こうか。私に付いて来なさい!」


 そう言うと、その人は大股で廊下のど真ん中を進んで行く。訳も分からず後に続くが、その女性の一言で私の疑心が確信に変わった。


 「大変だったでしょー、ここまで来るの。何たって街からは50分かかるバスしか移動手段が無いし、おまけに案内板も無いからねー。でも分からないことはクラスの皆に聞きな!私なんかより、あいつらの方がここの土地はずっと詳しいから。困ったら成沢ってやつが助けてくれるさ。学級委員長もやってるから。」


 

 間違いない。ここは私が引っ越した町の中学校で、この人が担任だった先生。そして今は、10年前の転校初日。——戻ってきた。


 「さあ、ここがあんたの新しいクラスだよ。」


 そう言うと先生は扉を開けて教室の中へ入っていく。心の準備が出来ぬまま私も続いて入った。

 「早速だが今日は皆に新しい仲間を紹介するぞー。ご両親のお仕事の関係で東京から...おい静かにしろー男ども!」

 あの日と全く同じ。どうしよう。教室にいる全員が私を見て何か喋っているが、突然襲ってきた不安と恐怖で周りの声が何も聞こえない。立っているのもやっとだ。せめて、この場だけでも乗り切らねばと思い顔を上げた時、1人の生徒が目に飛び込んできた。


 少し高めの鼻に奥二重の大きな目。眉にかかった前髪が外からの風で少し揺れる。



 香介。あぁ、香介だ。私の知ってる香介がそこにいる。何勝手にいなくなってるのよ、ばか!あんたのせいでどれだけ私が辛い思いをしたか。

 今ここで全部言ってやりたかった。彼の顔を見ていると全ての感情が溢れ出そうで。瞳に溜め込んだものがこぼれない樣、彼を見つめ続けた。


 あなたがいない事実は変えられない。だから私は、あなたとの思い出が『悲しい』ままで終わらせない為に、あなたとの日々を『輝かしい』ものにする為にここまで戻ってきたの。


 

 


 私のかけがえのない1週間が、始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミノラヌナラバ 大禾 希 @kev1n

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ