ミノラヌナラバ

大禾 希

前編

 好きな人を思い浮かべてと言われたら、誰が真っ先に浮かぶ?

 同じクラスの子、街で見かけただけの女性、テレビの中の彼...

 誰しも思い思いの顔が、頭に映し出されているだろう。



 じゃあ、忘れられない人は?



–––––



 ずっと目が合っていた。気のせいかと思い一度視線を外してみるが、そのキラキラした瞳はぐ俺を見つめている様な気がした。


 「おはよう!早速さっそくだが今日は皆に新しい仲間を紹介するぞー。ご両親のお仕事の関係で東京から...おい静かにしろー男ども!確かに可愛いけどなー、先生だって昔は―—」


 先生の話と周りの雑音の中でも、彼女の俺を見つめる目は、一瞬たりとも離れる事は無かった。


 「——という事で、転校生の『小城原美奈おぎわらみな』さんです。みんな仲良く...だから騒ぐな男子ー!」


 どっかで会ったかな...しかし東京から引っ越してきたんだ。観光地でもない、電車が通る街中までバスで片道50分のこんな田舎町にわざわざ遊びに来ることなんて、余程よほどの物好きじゃないとありえない。俺が東京に行ったのは小3の夏休みに家族と遊園地に行ったきりで、当時の事など暑さと都会の風景以外、何も憶えていない。

 それに、同い年とは言え、これだけの美人を忘れる筈がない。


 

 ホームルームが終わり授業が始まっても、朝の出来事が気になって頭の中は小城原美奈で一杯だった。



 「おい聞いたか香介こうすけ!美奈ちゃんがいた東京の学校って大学まで一貫いっかんの超有名進学校なんだと!」和也が興奮しながら俺の机の前に現れた。

 「何でまたこんな田舎に引っ越して来たんだろうなー。俺なら一人になっても東京に残るのに...ってもうこんな時間!部活に遅れる!」

 そう言うと和也は、俺の前から走り去って行った。俺もぼちぼち帰るか。今日もいつもの本屋へ寄ってお婆ちゃんの顔でも見て行こうかな。そんなことを考えながら学校を出て正門へ向かっている時だった。



 「あのー!長谷川はせがわくん!」



 急に後ろから名前を呼ばれ振り返ると、そこに立っていたのは小城原美奈だった。俺が振り返ったのを見て小走りで近づいてくる彼女の姿に、俺の心臓は胸を突き破るほどの勢いで動き始めた。


 「長谷川香介くん、だよね...?」


 

 不意を突かれすぎて上手く声が出せない。



 「あ、ごめんね!いきなり声掛けられてびっくりするよね。」

 

 「あ、うん、いや?」

 

 「私の新しいお家なんだけど、成沢なりさわくんに言ったら『香介ん家近いから帰り道教えて貰いな!』って。それで探してたら正門に向かって歩いてるの見つけたから、つい...」


 ああ、和也が言ったのか。妙に納得した。


 「...あ、ごめんね。やっぱり迷惑だった、かな?」

 

 「え?あ、いやいや!全然全然!そりゃそうだよね!引越して来たばかりで、こんな何も無い田舎で!よし、帰ろう!大船に乗った気分で、俺について来なさい!」


 緊張からか、不自然な言葉が口から飛び出る。


 「...長谷川くん?」

 

 「あ、ごめん!その、大丈夫、いや俺じゃなくて、あの、帰り道は、ちゃんとするから、いや、ちゃんとというか、その...」







 「あっはっはっはっはっはーーー!!」


 「......あの...小城原さん?」


 「あっはっは!ごめんごめん!長谷川くんてクールな人だと思ってたから!そんな面白い人だと思わなくて!はっはっはっは!!痛い!お腹痛いよー!」


 「え、まじで?いや、面白かったなら良かったけど...。てか小城原さん笑いすぎ...。」



 見た目からは想像も出来ないほど屈託くったくなく笑う彼女は、沈みゆく夕日がかすむくらい俺の目には魅力的に映った。彼女と一緒に帰る道は、住み慣れた場所とは思えないほど全くの別物になっていた。薄明かりの街灯に映し出される沿道と、昔から変わることのない駄菓子屋や雑貨屋。その全てが彼女との時間の中では、舞台のセットとなった。


 「そっかー。成沢くん、学級委員長だったんだー。初対面なのにクラス全員の紹介してくれてびっくりしちゃった!」


 「和也とは小学校入る前からずっと一緒でさ。昔からああいう奴なんだよ。友達想いの奴でさ。」


 「成沢くん、長谷川くんの話ばっかりするんだよ!香介の事なら何でも聞いてって!いい奴だけど、たまにエッチだから気をつけてとか。」


 「あいつ次会ったらただじゃおかん!」


 不思議だった。始めこそ緊張でまともに会話出来なかったが、彼女と話していると、それが初めてではない感覚で会話が進んでいく。


 ふと俺はあることを思い出した。


 「そういえばさ、教室に入ってきた時、ずっと俺の事見てる様な気がしたんだけど。どこかで会ったことあるかな?」


 聞いた直後に自分の顔が熱くなっていくのを感じる。彼女の答えを聞く前に咄嗟とっさに言葉をつむぎ出した。


 「いや、ごめん何か変な事聞いちゃって!なんとなく目が合ってた気がしてさ、俺の気のせいだよね!ごめんごめん!!」


 「あるよ。」


 「...え?」


 「あるんだよ。憶えてない?私と会ったこと。」



 脳の記憶棚から全ての過去を引きずり出すが、彼女との思い出はひとつも出てこない。



 「いや、ちょっと待って。俺が小3で東京行った時に熱中症で倒れたところを助けてくれたとか!?それか遊園地の並び順を抜かしちゃった時にいた子!?じゃなかったら...」





 「あっはっはっはっはっはっは!!ごめん、嘘だよ嘘!あまりに真剣過ぎてちょっとからかいたくなっちゃって!もう騙され過ぎだよ長谷川くん!はっはっは!!」


 

 もう言い返す気力すら残ってなかった。


 「あ、ここ曲がったらもう私の家だ。ありがとうね、長谷川くん。」


 「いや、こちらこそ!...じゃあ、また...。」


 急に彼女との別れが悲しくなった。明日も学校で会える、けど今日の帰り道の様な関係では無くなっているんじゃないか。さっきまでの距離感がとてつもなく虚しく感じた。このまま別れたら、後悔する。何か言わなきゃ。そう思って口を開きかけた時、彼女が突然振り返った。


 「あのさ!明日から学校終わりに、少しずつこの町を案内してよ!同じ帰宅部なんだし、いいでしょ?約束!」


 言葉が出なかった。ただ、さっきまでとは違う意味でだ。


 「あれ、もしかしてダメだった?」


 「...する。案内するよ!俺が知ってる場所、全部!約束するよ!」


 「やったー!じゃあ学校終わりに正門で待ち合わせにしよ!」


 「わかった!そうしよう!」


 「うん!本当に今日はありがとう。楽しかった!」


 「いや、こちらこそ小城原さんのおかげで...」


 「もう、よそよそしいなー。美奈でいいよ!私もいまから香介って呼ぶから!」


 心臓が大きく、脈を打った。


 「また明日ね!香介!」


 そう言って彼女は俺に手を振ると、足早に角を曲がって消えて行った。


 「...明日。うん!また明日!」


 そこにまだ彼女がいるかの様に、残り香が空気に揺れている。鮮明に頭をよぎったのは、別れ際の彼女の瞳がホームルームで俺と目が合っていた時と同じく、キラキラしていた事だった。          



 それから俺たちは、毎日の学校終わりに正門で待ち合わせして色々な所へ立ち寄った。行きつけの本屋に小さな駄菓子屋、この町の神様がいると言われる本堂さんなど町の隅々を案内した。どれだけ歩いても彼女は嫌な顔ひとつせず笑顔で俺についてきてくれた。

 転校してきて6日目の夜。和也と美奈の家族を交えて長谷川家でバーベキューをした。美奈の両親は明るく社交的な人で、すぐに皆と打ち解けた。

 「そうだ!明日のサッカーの試合、美奈ちゃんも観に来てよ!学校のグラウンドでやるからさ!」


 「あ!行きたーい!香介も行くでしょ!?一緒に行こうよ!」


 俺の意思など関係なく明日の観戦が決まった。けど、今はそれが凄く嬉しい。

会も終わりを迎え、俺は見送りがてら美奈と少し話をした。


 「ねえ来週からどこ案内してくれるの?あ、私また駄菓子屋でお菓子食べたいなー。」


 美奈の自由な言い回しにはとっくに慣れていたし、心地よささえ感じていた。


 「あ、そうだ。明日試合会場行く前にお婆ちゃんに借りてた本返すから、先に行っててよ!」


 美奈の顔が急に強張こわばる。


 「...一緒に行く。」


 「なんだよ、もう学校までの道は覚えただろ?俺がいなくたって――」


 「一緒に行くって!!」


 静かな夜に美奈の大声が響いた。


 「...え、どうしたんだよ。俺、なんかした――」


 「うっそー-ん!冗談冗談!わかってるよ!学校で待ち合わせしよ!」


 またいつものからかいかよ...。


 「じゃあ今日はありがとな、来てくれて。楽しかった。」


 少しの沈黙の後、美奈が振り返る。


 「香介!」


 「ん?どした?」



 「——ううん、何でもない!」

 

 美奈の目からは何故か涙が溢れている。


 「ありがとう!楽しかったよ!またね!...またね!!香介!!」




 いっぱいの笑顔で目を拭いながら美奈は角を曲がって行った。


 




 





 

 

 



 



 




 




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