俺はアイツの女房で

森下千尋

俺はアイツの女房で


 『ゲームセットッッ』

 俺は、自らの手に収まった白球を高らかに掲げた。

 マウンドからエースピッチャーの大和が駆けてくる。歓喜の表情。よっしゃ。やったな。

 嬉々として上げた腕を次は三塁側スタンドへ向けた。

 さつき見てるか、勝ったぞ。

 走ってきた大和が勢いよく俺を抱きしめた。痛え。

 「サイコー!!優、おまえのリードは日本一だわ!」

 熱い、突き抜けるような快晴となった甲子園球場。高校三年生の夏、俺たちはここにいる。

 「日本一って、まだ早えよ」

 俺は大和を引っぺがす。

 「だよな、でも」

 でもそれも、あと一戦。次の決勝で、俺たちは勝っても負けても引退する。


 「大和! 優ッ! おめでとう」

 スタンドで応援していたさつきが一階通路まで降りてきていた。

 ドロドロの汗まみれだったけど、今勝利を一番に分かち合いたいのはさつきだった。

 「なあ、俺の──」

 嬉々として話しかけた俺の声を遮るように、さつきが言う。

 「大和! ナイスピッチングだったね」

 彼女の言葉がズドンと大和のグラブに収まる。ありがとう、と大和が頭を下げる。

 「まったく、俺の盗塁阻止率も見てくれよな」

 軽い調子で言い直したところで空しかった。

 さつきの視線の先にはいつも大和がいる。俺は胸がチクッと痛むのを感じた。


 『二人とも、ちょっとインタビューいいかな?』

 甲子園準決勝にもなるとさすがの報道陣の数だった。大和も俺も試合とは違った緊張感にドギマギする。全国に流れるんだよな、これ。

 『難しいゲームだったと思います。大和くんズバリ今日の勝因は?』

 「最高の女房を信じて投げただけです」

 頭を掻きながら、うちのエースは即答する。今年のドラフトの目玉で、最速145キロの直球を武器にする本格派。ついでにイケメン。

 そのイケメンが俺を見ている。カメラが俺の顔をアップにするのが解った。

 ヤバい俺の番? 何だっけ、聞いてなかった。背中に変な汗が出る。

 「優―しっかりしろー!」

 カメラの後ろからさつきの野次が飛んでくる。

 「外野がうるせえな」「野球だけにね」

 まずいテレビで流れちゃったよな。

 「ええと、すみません。何でしたっけ」

 『ふたりは幼馴染のバッテリーですが、やはり過ごした時間の長さや仲の良さなどが、パフォーマンスに影響しているのでしょうか』

 仲の良さ、ね。大和と俺、そしてマネージャーのさつきは保育園からの付き合いだ。

 小学生になりたてのある日。校庭で野球を見ていたさつきが、あれ格好良いよねと言ったもんだから。調子のいい俺は次の日には親に野球チームに入りたいと言っていた。体格がガッチリしていた俺とは裏腹に大和はヒョロヒョロして、当時は、いや当時からか、いつも俺の後ろをついてきていた。バッティングはからきしだったけど、俺がここに投げろと言ったところには絶対に投げてきた。

 「優が構えたところに投げると、投げやすいんだ。本当に」

 大和の嬉しそうな顔を思い出す。

 中学三年生になると大和は筋肉も付き、身長もぐんぐんと伸びた。元々良かったコントロールに、スピードや球威もアップし、エースピッチャーとして打者をきりきり舞いさせた。俺は攻めのリードと打棒を買われ、二人揃って名門高校からスカウトされた。

 思えば喧嘩らしい喧嘩はしてこなかった。野球論を話していても、大和と意見が割れることはほとんど、というか記憶に残っている限りなかった。

 俺のリードに対して首を横に振ることもまれだ。

 「優のほうが相手バッターのことも、俺のことも解ってるから」

 キャッチャーはデータを読み漁って、ピッチャーを最大限活かせる配球を行うのが役目だ。大和の良いところも悪いところも俺なりに把握しているつもりだった。


 ただ、人の気持ちはわからない。大会前、俺は大和から告白された。

 「俺、優のことが好きなんだ」

 突然の告白に困惑した俺はそのボールを受け止めきれずに弾いちゃったんだと思う。

 肯定も否定もできないまま、俺たちはバッテリーを組んだままここまで勝ち上がった。

 「好きなんだ、本当に」

 そう言った大和の顔は苦しそうに見えた。

 「どうしても、言わずにはいられなかった。誰にも知られたくなかったけど、優だけには知っておいてほしかった」

 俯いた大和になんて声を掛けていいかわからなかった。

 いつから? 毎日のように顔を合わせて、大和の投げた球を受け続けてきたのに。

俺は何も知らなかった。わかっていなかった。冗談なんか言うなよとおちゃらける雰囲気じゃない。大和が本気なんだということは、空気で感じた。だから尚更苦しかった。


 俺たちは、ふたりでひとりを取り合ったほうがよかったのかもな。


 決勝のスタメンマスクを被る。今日も暑い。ナインで円陣を組む、緊張感と高揚が全身をびりびりと駆け巡る。

 「オッケー! しまっていこう」

 俺はチームを鼓舞する。勝っても負けても高校生活最後の試合だ。

 『ストラァァイク!』

 大和の直球は絶好調に走っている。幸先の良いスタートだった。


 昨夜、宿舎で夜のミーティングが終わった後、さつきに「ちょっといい」と呼び出された。

 「どした」

 「うん、まあ」

 なんだか歯切れが悪い。

 俺は自動販売機で買ったペットボトルのミルクティーをさつきに渡す。

 「ほら」

 「ありがと」

 さつきは辺りをキョロキョロと見回してから、声を落として言った。

 「明日、勝ったらさ。わたし大和に告白しようと思うんだよね」

 俺は自分用に買った麦茶をゴクゴクと音をたてて飲んだ。

 飲み物がなかったら、間が持たなかったかもしれない。

 「どう思う?」

 微かに頬を上気させたさつきに聞かれた。

 「なにが」

 「優から見てさ。どうかな」

 「いいんじゃね」

 大和も、さつきも。こいつら俺の気持ちも知らないで本当に自分勝手だよな。俺は、俺の想いを麦茶と一緒に飲み込んだ。

 「大和は完封した時ですらチームのおかげで勝てたって言うし、挨拶とか掃除とか、マジでちゃんとやるやつだ。謙虚でさ、男前で、人生でたぶん親よりも一緒に過ごしている俺が自信を持ってお勧めする親友だよ」

 「うん、知ってる」

 さつきも同じ年数、大和と俺と共に育ってきた。いつもそばにいて試合に勝った時は喜んで、負けた時は励ましてくれた。私も男だったら、三人で一緒に試合が出来たのにね。何だかたまに二人には嫉妬するよ、バッテリーって羨ましい。そう、さつきに言われたことがある。

 「アイツの女房としてアドバイスさせてもらうと」

 さつきの方は見られなかった。俺は声を絞り出してさつきへ伝える。

 「さつき。あいつは、大和は──好きなヤツがいるみたいよ」

 俺自身の人間の小ささに、悔しくて拳を色が変わるまで握りしめた。

 「うそ」

 「嘘じゃない」

 「私たち三人いつも一緒にいるんだから。うそだってわかるよ」

 いつも一緒にいてもさつきも俺も大和の気持ちに気付けなかった。いや、大和が気付かせなかったんだ、きっと。

 さつきの気持ちはどうだろう、大和は気付いているのだろうか。

 俺の気持ちは?

 「明日は、勝って終わらせるから」

 俺はさつきに約束して、部屋へ戻った。


 三回裏、ランナー二塁三塁のチャンスで俺に打席が回る。

 0対0、早めに得点して少しでも大和を楽にさせてあげたい。

 ふと、邪魔な考えが脳裏によぎる。

 俺が好きなのはさつき。さつきが好きなのは大和で、大和が好きなのは、俺。

強振した打球が三塁線を転がる。ファウルだが痛烈な当たりに観衆がどよめく。

 二球目は完全にボール球だった。手が出てしまいバットが空を切る。

 あー、くそ集中しろ。

 一回バッターボックスを外す。大和が祈るような顔でこっちを見ている、わかってるよ。

 「優っー! 打てぇー!」

 甲子園特有の風に乗って力強い声が聞こえた。さつきだ。

 ゆっくりと息を吐く。

 三球目。手前で曲がるスライダーに格好を崩しながらもなんとかファウルで粘る。

好きな人の前で良い格好したいのが男だろ。

 四球目。甘く入ったカットボールに身体が反応する。

 振り切ったバットがボールをジャストミートし金属音が破裂した。グゥンと伸びた打球がフェンスに直撃する。

 「走れ!」

 さつきが、大和が声を上げた。

 土のにおい、燃える太陽。俺は一塁へ向かって走った。


 「好きだ!」

 それだけの言葉なのに。

 今はまだ、勝利よりも遠い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺はアイツの女房で 森下千尋 @chihiro_morishita

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ