消えたゆきだるま

麻々子

消えた雪だるま



  丘の上に小さな図書館がありました。

 図書館まで急な坂道がつづいています。

 お天気のいい日には、子どもたちやお年りも、ふうふう言いながら坂道を登って来すまが、雨の日や風の強い日には、だれも来ないことがありました。


 館長さんの緑川さんは、貸し出しと書いたカウンターに座って、昨日からふりつづいている雪をながめていました。館長さんといっても、この図書館には緑川さんがひとりしかいませんけど……。

「よ、館長、おはようさん」

 いつも図書館に通って新聞を読んでいく、白髪頭の今井さんが緑川さんに声をかけました。

「おはようございます。雪の中、大変だったでしょ。今日は、お休みかなって思ってました」

「ハハハ、こんな雪じゃ休めないよ。あれ、またかわいい人形が増えてるじゃないか」

 今井さんは、大型絵本の棚に飾ってある手のひらサイズの木の雪だるま人形を見て言いました。

「ああ、あの雪だるまですか。あまりに可愛かったので、つい買っちゃったんです。こんな日は、だれも来てくれないかもしれないと思うと、淋しいじゃない? 雪だるまが子どもたちをいっぱい呼んでくれるかなぁと思って飾ってみました」

「館長は、いつまでたっても乙女だね」

 今井さんは、そう言ってから、緑川さんに顔を近づけ小さい声でささやきました。

「また、あの子が来てるのかい?」

 今井さんは、絵本コーナーの大型ソファーに座って本を読んでいる女の子をチラッとみました。

 女の子は、小学5、6年生に見えました。この頃毎日のように図書館に通って来ていました。

「学校は、休みじゃないよな」

 そう言う今井さんに、緑川さんはそれ以上は聞かないでというように少し困った顔をしてほほえみました。

「ハハハ、そういう俺も毎日通ってんだから、同類ってことか?」

 今井さんは、笑って首の後ろを叩きながら新聞コーナーへ歩いて行きました。

 今井さんの代わりに女の子が立ち上がりました。

 緑川さんは、女の子が気を悪くして帰ってしまうんじゃないかと心配になりました。しかし、女の子は、雪だるまの前に立ってじっと見つめていました。

「その雪だるま、かわいいでしょ?」

 緑川さんは、思いきって女の子に声をかけました。

 女の子は、少しうなずいたように見えました。

「ここに雪だるまの絵本があるの。面白いから読んでみる?」

 緑川さんは、絵本を引き抜いて女の子に見せました。

 女の子は、今度ははっきりうなづいて絵本を手に取りました。

「この雪だるまも、持って行ってもいい?」

 女の子が初めて口をききました。

「もちろん。どうぞそばにおいて読み聞かせてあけて」

 女の子は、木の雪だるまを棚から下ろして絵本コーナーのソファーに座って絵本を読みはじめました。

 緑川さんには、本当に女の子が雪だるまに読み聞かせているように見えました。


 静かな時間が流れていきます。

 時々今井さんが、新聞をめくる音が聞こえるだけでした。


「さ、昼メシの時間だな。帰るよ」

 今井さんがカウンターの前で緑川さんに言いました。

 緑川さんは、顔を上げました。

「あ、あの女の子も帰ったみたいだね」

「あら、いつの間に帰ったのかしら。気がつかなかったわ」

 緑川さんは、空っぽになったソファーを見て、目をパチパチさせました。

「お、雪だるまも帰っちまったようだ」

「え?」

「ほら、棚の上。消えちゃってるよ」

「ああ、それなら女の子に……」

 今井さんと緑川さんが目を合わせました。雪だるまは、どこにも見あたらなかったのです。

「きっと、どこかに落ちてると思いますよ。後でよく探してみます」

「そうだよな。あの子が持って帰るなんてことは有り得ないよな」

「まぁ、今井さんたら、そんなこと」

 緑川さんは、ちょっとにらみつけました。

「ハハハ、雪だるまが館長を楽しませるため、雪だるまを集めに出て行ったのかもな。一人じゃ淋しいって言ってだろう」

「もう、今井さんたら……」

「俺は、昼メシ、昼メシ。一人になってネズミにひかれるなよ、館長」

「今井さんの方こそ、雪に滑ってこけないでね」

「言うねぇ。じゃ、また、明日。バイバイ」

 今井さんは、後ろ手に手を振って帰っていきました。




 暗くなった空からは、雪がまだふりつづいています。

 五時を知らせるチャイムがなりました。閉館の時間です。緑川さんは仕事をやめブラインドを下ろし、絵本の棚の横を通りかかったとき、もう一度雪だるまをさがしました。

 今井さんが帰ってからすぐにソファーや絵本の棚の周りを探したのですが、見当たらなかったのです。

「雪だるまが消えちゃった。やっぱり、あの女の子が持って帰っちゃったのかしら」

 緑川さんは、頭をふりました。女の子を疑ってしまった自分が悲しかったのです。しかし、雪だるまが消えたことは、本当のことです。明日、きっとまたあの女の子が来るでしょう。雪だるまのことを聞いた方がいいのか、知らないふりをした方がいいのかと色々考えて、緑川さんは気が重くなってしまいました。



次の日の朝、太陽の光で積もった雪がきらきら光っていました。

 緑川さんは、急な坂をゆっくりのぼりました。坂をのぼりきったところで、ふうとため息をつきました。女の子と雪だるまのことを考えたからでした。

 図書館の裏口からセキュリティを解除して中に入りました。

 ブラインドを上げ窓を開け、空気を入れ替え、開館の準備をします。


 朝一番の利用者さんが「おはようございます」とか「やっと雪が止みましたね」とかはなしかけていきます。

 緑川さんは、それに笑顔で答えていきました。

 すこし時間がたちました。図書館のざわめきが収まったころ、あの女の子がカウンターの前を通りました。

「おはよう」

 緑川さんが声をかけました。

「……」

 女の子は何も言わずすこし頭を下げました。

「あ、あの……」

 緑川さんは、雪だるまと言おうとして言葉を飲み込みました。

 女の子が泣きそうな顔をしていたのです。

 緑川さんは、もう一度「おはよう」と言ってにっこり笑いました。もう、雪だるまはどうでもいいかなぁと思ったのです。でも、女の子は、泣きそうな顔をしたままそこから動こうとはしません。緑川さんもどうすればいいかわからなくなり、動く事ができませんでした。

 二人は、立ったまま不自然に向き合っていました。


「館長、駐車場が大変な事になってるぞ!」

 今井さんが飛び込んできて大声で言いました。

「え、どうしたんですか?」

「こっち、こっち」

 今井さんが呼んでいます。

「ほら、そこのお嬢ちゃんも来てみな」

 緑川さんと女の子は、顔を見合わせて今井さんについて行きました。

 駐車場まで来ると、緑川さんは「あ!」と叫びました。

 駐車場中、雪だるまでいぱいだったのです。大きい雪だるま、小さな雪だるま。半分とけた雪だるま。でこぼこ雪だるま。笑ってる雪だるま。泣いている雪だるま。いろんな雪だるまがいました。

「な? 大変なことになってるだろう」

 今井さんが、雪だるまたちの真ん中に立っている木の雪だるまを指差して言いました。

「館長が昨日、利用者が少ないから淋しい淋しいと言ってたろ。だから、ほら、館長の雪だるまが、そこら中の雪だるまを連れて来てくれたんだよ」

 今井さんは、緑川さんにパチンとウィンクしました。

「ああ、きのう消えたのはそういうことなのね。これはあなたのお友だちで、私のためにお友だちを連れて来てくれたんだ。ありがとう」

緑川さんは雪だるまを手のひらに乗せると、雪だるまについていた雪どけのしずくを、ハンカチでそっとふきとりました。

「な? あの館長は、いつまでたっても乙女なんだよ。乙女のところには、いつだってファンタジーが舞い降りやがる」

 今井さんは、女の子に困ったもんだというように顔をしかめて頭をふってみせました。

 女の子は、今井さんの顔を見つめ、コクンと頭をたれました。



 女の子が帰って行った後、今井さんは緑川さんに言いました。

「俺は、昔、探偵をやっていたんだ。知ってた?」

「え、本当ですか?」

「名探偵と呼ばれてた」

「まぁ、かっこいい!」

「だから、消えた雪だるまの謎なんか、たちどころに解決できる」

「謎解きは?」

「実は、夜に出かけた時あの子を見かけたんだ。図書館の方に行くから、へんだなと思って後をつけて行ったんだ。そしたら、玄関に館長の雪だるまを置いたんだよ」

「今朝、何も無かったですよ」

「俺が持って帰った。だって、寒そうに見えたんだよ」

「雪だるまが帰ってないとわかったから、あの子は、あんなに動揺していたのね。私が先に見つけていれば、安心したでしょうに」

 緑川さんは、ちょっと今井さんをにらみました。

「その代わり、あの子は館長に怒られずに済んだだろう?」

「まぁ! でも本音を言えば、私もちびっとホッとしましたけどね。それにしても、あんなにいっぱい雪だるまをどうしたんですか?」

「子どもたちがそこら中でいっぱい作ってるさ。な、俺は名探偵だろう。事件は5分で解決さ」

 今井さんはどうだというように胸を張りました。



                   了


 

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