居酒屋こでまり 🐡

上月くるを

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 自粛のなかで今年が明けたと思ったら、もう半分近くが過ぎた。

 夏至まで半月の時節の午後6時は、まだ真昼間のように明るい。


 さっき磨きあげたばかりの格子戸を開けると、猛烈な蒸し暑さが押し入って来る。

 近くの古社の森に棲みついた蝉が、うなりたてるほどの騒音をまき散らしている。


 ここでもこうなんだから、森に隣り合った眼科は、たまったものではないだろう。

 木曜は休診日だから、先生きっと、派手なアロハにビーサンで現われるだろうな。


 そんなことを思いながら藍暖簾を掲げていると、馴染みのシニア女性がひょこっ。

 いつものように遠慮がちな目顔で「もう入ってもいいの?」と訊いて来る。('ω')


 ミチルも目顔で「もちろんOKですよ~」と答え、入りやすいように手招きする。

 親子ほど年齢差があるお客さまにご無礼かもと思うが、そういう仲だから。(笑)


 開店と同時にやって来る常連客はカウンターのいつもの席に座り、吐息をついた。

 お通し付きの生中なまちゅうを出すと「ホッケと茄子漬けにするね」これもいつもの通り。



      🎇



 女性客がミチルの店に通うにようになって、ほぼ3年になる。

 最初はだれかと一緒で、つぎからひとりで来るようになった。


 仕事で気をつかうのでと、開店直後に入店し、他の客が入り始めると帰ってゆく。

 刺身や揚物の準備をしながら、聞くともなく話を聞いていてくれるのがいい、と。


 しんみりした話、だれかのうわさ話、じめっとした話……ネガティブシンキングを好まないのはふたり共通で、そういう点でもウマが合い、適度な距離感が心地いい。



      🎠



 小さな事業を経営している女性客は、清濁、いろいろな経験を積んで来たらしい。

 「きれいな顔だけで生きていかれればいいよね」そんな呟きを漏らしたりもする。


 かたやミチルは、幼いころ両親を失い、ふたりの妹たちの母親として生きて来た。

 中学卒業と同時に温泉街の芸妓になり、宴会のコンパニオンと掛け持ちで稼いだ。


 妹たちの巣立ちを機に、三味や琴の音が聞こえる裏小路に小さな居酒屋を開いた。

 落籍ひかせてくださるという話もあったが、縛られたくないので丁重にお断りした。


 それなりの水に磨かれて、恋人のいない期間はないが、結婚したいとは思わない。

 人生のアタマで辛い目に遭ったのがトラウマになっているのか、夢を、持てない。


 女性客もミチルも、話したいとき話したいことだけ話し、それ以上ツッコマナイ。

 そんな関係が互いの心を解き放ち、いつの間にか親友にも似た間柄になっている。



      🎢



 みんな、社長がいるとくつろげないと言うから、午後5時ジャストに退社するの。

 その代わり、朝は一番早く出社して、事務所の掃除や花壇の水やりをするんだ~。


 笑い転げながら話していた女性客は「じゃあね、ごちそうさま~」と立ち上がる。

 え、もう? 驚いて壁の時計を見ると、そろそろつぎの常連客が来る時間だった。


 今夜は、出張に出かけたノブさんが根曲がり竹を持って来てくれるんですってね。

 サバの水煮缶と味噌汁にすると、メッチャ美味しいんだよ~、ご一緒にいかが?


 誘っても無駄なことは分かっているが、一応、ミチルは声をかけてみる。👩

 ありがとうございます、また今度ね~……やっぱりな答えが返って来た。👵


 いっとき羽を休めていたシジミチョウのように、女性客がひらりと外へ舞い出る。

 ほぼ同時に元気いっぱいのサラリーマンたちが濃厚な汗の匂いを持ちこんで来た。

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