11.ちょっと愛嬌が出てきた

〈図書塔都市〉の旧市街にあるドラクル人街というのは奇妙な街で、南北に走る通りに同業者がズラリと店を構えている。

 家具屋だけの通りや、衣類店だけの通りや、なぜか金魚を売っている店だけが並んでいる通りがあったりする。

 それは飲食店も同様で、ひとつの通りにぎゅうぎゅうに詰め込まれるようにして路面店と屋台が並んでいた。

「それにしても。塔の異世界階層ではイージーな一〇階で、あんなことが起きるなんて。まったく塔は油断も隙もないね。いい教訓になった」

 デシーカは運ばれてきた温い瓶ビールをグラスに注ぎながら、丸テーブルを取り囲む面々を見やった。

 狭い飲食店の一角である。

 換気が悪い店内は調理と煙草の煙が立ち込め、床は油でベタベタだった。

 だが、客たちはそんなことはまったく気にしてない。

 怒鳴り散らすようなドラクル語の会話が飛び交っている。

 ここは〈図書塔都市〉にあって、最も雑多で、エネルギーに満ちている場所のひとつだ。

 デシーカはこの誰もが生きることにギラギラしている空気が、どんな高級店の洗練された空気よりも好きだった。

「デシーカ、これはなんの肉ですか?」

 いつものむっつり顔に多少の困惑を浮かべつつ、イオが串焼きを手にしている。

「食べても死なない肉だよ」

 デシーカは愉快そうに笑った。

 眼前の丸テーブルにはなんの肉なのか定かではない串焼きや、なんの野菜か定かではない炒めものや、卵以外はなにが入っているのか定かではないスープなどが、大皿で並べられていた。

「ひひ。イオちゃん。意外といけるっすよ」

 そう言って躊躇なく料理を口にしようとするキルシェトルテに、イオが懐疑的な視線を向けている。

「本当なの?」

「マジのマジっすよ」

「この辺りは怪しい店しかないが、味は確かだぞ」

 ルールーも平然と謎の炒めものを自分の皿に取り分けている。

「本当なの?」

「そういえば、ルールー。前にいこうとしてた、すごい流行ってた店あったじゃないっすか」

「ああ。一度食べると週に一度は通ってしまうというカレー屋か」

「そうそう。あの店、カレー中毒になるように、店主がルーに麻薬入れて煮込んでたみたいで潰れたっす」

「それは残念だな」

「ほら! それは残念とかではなくて。ほら、もう、ほら」

 イオがますます懐疑的な視線を手にした串焼きに向けている。

 その様子をにやにやと眺めながら、デシーカはビールの入ったグラスを掲げた。

「んっふふ。イオイオが我が社に馴染んできてくれてなりよりだ」

「これは馴染んでいるのでしょうか。わたし、不安です」

「いやいやー、イオちゃんは十分馴染んでると思うっす」

「私もそう思う」

 デシーカに合わせるようにして、キルシェトルテとルールーもグラスを掲げる。

「はあ、もう、まったく、もう。そんな気がしない」

 イオも遅れてグラスを掲げた。

 この場はちょっとした慰労会のようなものだった。

〈魔法図書塔〉の探索から無事に帰還すると、デシーカは決まって彼女の奢りで食事会を開く。

「諸君。今回の探索はいろいろとあったが」

 デシーカはわざとらしく畏まった口調になった。

「あたしとしては懐かしい友人と親交を深められたし、久しぶりに魔法図書の原本も手に入れたしで、実に有意義な探索だった」

 一呼吸置き、続ける。

「では、暴飲暴食してくれたまえ」

「デシーカちゃんの奢り、いぇーい!」

 キルシェトルテが陰気な笑みを浮かべたまま、グラスのビールを飲み干した。

 デシーカも温いビールに口をつけ、苦くもない曖昧な味を噛み締める。

「ロレッタとオードリーも招待したのにこなかったなー」

「そうなのですか?」

 恐る恐る串焼きに口をつけているイオが、「案外といけるな」という顔をしながら言ってくる。

「あれはあれで忙しい女だからねー。いまごろは上司にデカケツ揉まれてるに違いないよ」

「誰がデカケツですの。わたくしにそんなこと言うのはあなただけですわよ」

「おっと。噂をすればロレッタ・イェン。こんなところまでようこそ」

「よくもまあこんな場末の店に招待したものですわね」

 狭い店のなかをずかずかと歩いてきたロレッタは、腰に両手を当てて嘆息した。

「探すのに一苦労しましたわ。こんなところに呼び出すなんて――」

「ドラクル人街でも一番の場末だからね」

 ロレッタの言葉を途中で遮るようにして答えながら、デシーカは後ろにいるオードリーに手を振る。

「オードリー、はろはろー」

「……おつかれさまです……デグランチーヌ」

 いつもの掠れた声で、オードリーはぺこりと頭をさげた。

「怪我はどう?」

「……労災がおりました。ラウ大人ダーレンは寛大なお方です」

「それはよかったじゃん。でも、アンソニー・ラウは寛大じゃないと思うけどね」

「ちょっと、わたくしを無視しないでくださる?」

「まあまあ、座りなよ。髪切ったんだ?」

「ええ」

 ロレッタが慣れた様子で別のテーブルから椅子を引っ張ってきた。

 イオの隣に座ると、瓶ビールをグラスに注ぐ。

「ドラゴニュートの炎で燃えてしまいましたから」

 緩い三つ編みにしていたロレッタの長く艶やかだった黒髪は、いまはばっさりとショートカットになっていた。丸いレンズの眼鏡も新調されて、どことなくアート系の学校に通っている女子生徒に見える。

「ロレッタはショートも似合ういい女だね」

「あなたに褒められてもまったく嬉しくないですわ」

「……私も似合っていると思いますよ」

「オードリーも余計なこと言わないで。ほら、どうせこの女の奢りなんですから、好きなもの頼めばいいですわ」

「それはあたしが言うセリフだと思うけど」

「……でしたら……謎の大きな魚を丸揚げにした餡掛けがいいです」

「おっと。容赦なくこの店で一番高いやつじゃんかよー」

 デシーカは手元にあったアルミの灰皿を引き寄せると、煙草を咥えて火を点けた。

 半分しかない耳をひこひこさせて笑う。

「まー、いいけどさ」

 ロレッタとオードリーを見る限り、〈魔法図書塔〉の探索に失敗したことで大きな処分を受けた様子はなかった。会社は彼女の判断を支持したということだろう。

 ドラゴニュートがドロップした魔法図書の原本の所有を巡って、〈ティンパ商会〉と戦争することはひとまずはなさそうだった。

(なかなかに太っ腹だな、アンソニー・ラウ)

 デシーカは紫煙を吐き出し、胸中で独りごちた。

 あるいはこちらの武力を侮らず、準備万端でやり合うつもりかも知れないが。

「んっふふ。そのときはそのときで、やってやるよ」

「なんの話ですの?」

「あたしの話さ」

 デシーカは煙草の灰を灰皿に落とすと、温いビールが入ったグラスを空にした。

「そんなことより、ロレッタ。しばらくは有給なんだって?」

「うちの情報セキュリティ、がばがばですわね」

「腕利きの情報屋がいるからね。勤務スケジュールくらいは手に入るよ」

 ロレッタのグラスにビールを注ぎ、続けて自分のグラスにも注ぐ。

 瓶ビールがちょうど一本空になった。

「この前の塔の探索で〈第九〉があのざまですから。再編されるまでは貯まりに貯まった有給を消化することにしたんですの。オードリーと南の島にでもいきますわ」

「ロレッタはともかく、オードリーに南国の太陽は似合わなそうだ」

 デシーカは太陽が照りつける砂浜で水着になっているオードリー・フーを想像した。

 本当に全然似合わない。

「なんならうちの別荘、使えるようにしてもいいよ」

「遠慮しておきますわ。次に会うときは敵同士かもしれませんのに。必要以上に馴れ合うつもりはありませんの」

「そういう業界だからね。割り切って仲良くできるときは仲良くしようぜー」

「だからこうして、きてあげているでしょう」

 ロレッタは謎のレバーと野菜の炒めものを口に運び、ビールで胃に流し込んだ。

「あなたのほうはどうですの?」

「どうもこうも。魔法図書の原本を手に入れた魔法商人が次にすることなんて決まってる」

 デシーカは薄く笑い、ビールを呷った。

「原本を解析して、複製本をつくって、売って売って売りまくるだけさ」

「ふぅん。新商品がよさそうなら、ライセンス生産の契約どうかしら。あなたが原本を手に入れられたのは、半分はわたくしとオードリーのおかげみたいなものですし」

「冗談。面子立てさせてやったじゃんかよー」

「言ってみただけですわ」

「がめついんだよ、ロレッタは」

「あら、がめついの代表みたいな〈エルフの魔法商人〉のくせに」

「なにをー」

 二人は睨み合うと、ぎゃあぎゃあと言い合った。

 間に挟まれたイオは迷惑そうな顔をしつつ、謎の串焼きをかじった。

「はあ、もう、大人気ない」

「……いつものことですよ」

 オードリーが微苦笑じみた表情で言った。

 キルシェトルテも二人の様子を見てにまにまと笑っている。

「ひひ。本当は好き同士な二人の絡み眼福っす。デシーカちゃんはリバだからどっちでもいけるんすけど、わたしはやっぱりタチのデシーカちゃんすきぇ〜」

「なに? リバ? タチ?」

「……イオは知らなくていいですよ」

「フー師姐シージェ、わたし気になります」

「えー、じゃあイオちゃん、わたしがベッドで教えてあげるっす」

「どうしてベッドなのよ?」

 明らかに不審な視線をキルシェトルテに向け、イオは嘆息した。

 そこにアルバイトの女性店員が大皿に盛りつけられた魚をもってきた。

 丸テーブルに乗り切れないほどの巨大さだ。

 黙々と謎の料理を食べていたルールーが愕然とした表情になる。

「む。誰だ、この嘘みたいに大きい魚の餡掛けを注文したのは」

「怪魚! 怪魚の大きさじゃないっすか」

「……私です」

 控えめに挙手をしたオードリーが、客のいないテーブルを引っ張ってきた。

 謎の怪魚を丸揚げにして熱々の餡をかけた料理が、そこに鎮座する。

「オーディちゃん、これ一人で食べるつもりなんすか?」

「……なにか問題でもありますか?」

「大食いでその細さとか、マジで不公平っす」

「フー師姐は、大食いメニューがある数多の店から出禁になっている猛者なのよ」

 イオは謎の魚をちらりと見て、それだけで胃もたれしそうな気分になった。

「……イオ……それは秘密です。言わないでください。恥ずかしい」

「いやいや、もう遅いっす。こうなったからには、弊社代表として三キロのカレーを食べたことがあるルールーが相手っす」

「おいまて。それは私の知らない記憶だ」

 焦るルールーを無視して、キルシェトルテが謎の魚をもう一皿注文する。

 本当にバカみたいに明るくて、騒がしくて、落ち着きがない。

 こんな場の空気、別に好きでもなんでもない。

 だというのに。

 イオは少しだけ笑ってしまった。

 居心地がいいわけではなかったが、たまにならいいかと思ってしまう。

「イオイオ」

 デシーカにしげしげと顔を覗き込まれ、イオはどきりとした。

 煌めくエルフ人の碧眼は、彼女にはまぶしすぎる。

「なんですか」

「ちょっと愛嬌が出てきた」

「意味がわかりませんが」

 イオはいつものむっつりした顔になった。

 だが、デシーカはにやにやと笑っていた。

「んっふふ。イオイオは可愛いねー。いつか満面の笑顔を見たいぜー」

「だから。意味がわかりませんが」

 少しムキになって、彼女は言った。

 そっぽを向くと、オードリーと目が合った。

 彼女の言葉を思い出す。


『……飼い主との相性が悪いと……犬は不幸になりますから。逆に相性がよければ……友人にだってなれますよ』


 本当に自分は、案外と気に入っているのかもしれない。

 新しい飼い主と、彼女の変な仲間たちを。

「イオ、私だけでは手に余るので手伝ってくれ」

「イオちゃんも謎の怪魚にチャレンジっすよ。あ、意外と淡白で美味っす」

「おいおいー、あたしにも食べさせてよ。ロレッタも入れて会社対抗戦にしようぜー」

「はあ、もう、まったく」

 イオは深々と嘆息し、

「わたしはつき合いませんよ」

 それだけを言った。

 まんざらでもなさそうな微苦笑を浮かべながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エルフの魔法商人 北元あきの @KITAMOTO_Akino

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ